【ご当地】東北は「異世界ファンタジー」!? 『じょっぱれアオモリの星』|佐々木鏡石インタビュー

カクヨムWeb小説短編賞2022をさらに盛り上げる「ご当地短編小説キャンペーン」。本キャンペーンについては、カクヨムで活動され、12月にKADOKAWAからとしては初めて書籍を出すお二人にもアンバサダーとして参加いただいています。

kakuyomu.jp

本記事でご紹介するのは、津軽弁を話す主人公の異世界ファンタジー作品が今年の1月にバズり、ネット上の話題をさらった『じょっぱれアオモリの星』の作者・佐々木鏡石さん。
『じょっぱれアオモリの星』創作秘話、バズがあったからこそ生まれた経験、ご当地ネタを扱ううえでの思いをうかがっています。ぜひ参考にしてみてください。

(本作品は小説家になろう発作品ですが、カクヨムでも併載が始まっています。ぜひチェックしてみてください)

kakuyomu.jp

「イキらない」「そりゃ追放やむなし」の俺TUEEE主人公をつくりたかった

――『じょっぱれアオモリの星』を書こうと思ったきっかけを教えてください。

佐々木鏡石(以下、鏡石):当時は「小説家になろう」に投稿した異世界恋愛作品である『がんばれ農協聖女』で商業作家デビューが決まっていたため、次はハイファンタジーに挑戦したいと思っていたんです。
 ただし、多くの俺TUEEE系の主人公は万能感がありすぎるがゆえ、ともすればイキっているというか威圧的にみえるような作品も多いと感じていました。
 どうすれば主人公の強さから生まれる偉そうさを和らげられるか、と考えているときに、「話している言葉がずべっずべになまっているとイキリが出ないんじゃないか」と思ったところから本作品が始まりました。日本で一番なまりが強いのは津軽弁ということで、津軽弁を話す主人公が生まれたかたちです。
 加えて、津軽弁で何をしゃべっているかわからないから追放ということにすれば、追放ジャンルの小説を書く上でも一石二鳥だなとも思いました。このジャンルでは言いがかりのような形で追放されている作品も多いと感じており、自分でやる場合はそこは説得力をもたせたいと思っていたんです。有能だけれども何をしゃべっているかわからなければ、それは追放されても仕方がないと思ってくれるんじゃないかと思いました。

――佐々木さんは生まれも育ちも岩手県ということですが、津軽弁はどこで学ばれたんでしょうか。

鏡石:青森のローカルタレントに伊奈かっぺいさんという、津軽弁文化普及の立役者とも言うべき方がいるんですが、母が大ファンで、幼少期にこの方のカセットテープを擦り切れるくらい聞いていたんです。青森の隣の岩手に住んでいることに加えてそのような経験があったので、津軽弁のヒアリングはほぼできたので、それで書き始めました。ただ話せはしないですし、実際に書いてみて微妙な違いがかなりあったので、書籍化に当たって「弘大×AI×津軽弁プロジェクト」研究チームに監修していただいています。

――幼少期の教育がウェブ小説に役立ったわけですね(笑) 

鏡石:はい、まったく思っていませんでしたが、そういうことになります(笑) この作品がSNSでバズったあとに伊奈かっぺいさんのお話――いまはCDになっているんですが――を聞き直したんですが、まあ全部覚えていまして。すごい津軽弁の英才教育を受けていたと改めて感じました。

――津軽弁以外に様々な青森ネタを書く上で、どのような準備をされましたか。

鏡石:隣の県に住んでいてふだんから情報が流れてくることに加え、昔から東北に関する歴史とか伝統的な産業とか文化とか歴史とか、そういう資料的な本もかなり好きで読んでいたので、基本的にはこの作品のために何か調べたりといったことはありません。太宰治の斜陽館で観光したときに食べた料理がものすごくしょっぱかったとか、そういう実体験から書いているシーンもありますね。
 知識はあるに越したことはないと思いつつ、青森に住んでいなかったから書けたのかもしれないとも思っています。青森の人はもしかしたらそんなこと面白いか、と思うようなネタも入っているかもしれません。隣の県で驚きがあるからこそ、ファンタジーという形で書けている面もあるのだと思います。
 ただやはり近すぎてみえなかった部分もあり、実は津軽弁のくだりも世の読者の6割ぐらいはなんとなくわかってくれると思って書いてました。でも蓋を開けたらほとんど世の中の人に全然伝わってなくて「こんなに伝わらないの」と逆に驚きました。

――冒頭は追放に当たっての青森ネタが続きますが、途中から「アオモリ」へ向かって架空の東北地方を目指す旅になっていきます。このあたりのストーリーは初めから決まっていたのでしょうか。

鏡石:いや、全く決まっていなくて、青森ネタで追放されたシーンまでを書いた後、少しの間頭を悩ませていました。追放小説のお約束ですとフェンリル(犬や狼のモンスター)が出てくるので、いったんそれをなぞろうと思って考え出したときに「青森のフェンリル…わさおじゃね?」とひらめきました。なぜわさおが暴走状態になってしまったのか? その謎を解くために「アオモリ」を目指して架空の東北地方を冒険していく、そういうストーリーの方向性がばちっと決まりました。

――書籍版1巻でのおススメシーンを教えてください。

鏡石:旅の出発に際して、主人公がギルドにごねるシーンですね。「じょっぱり」は強情とか意地っ張りという意味の言葉で、基本的にはいい意味で使われない言葉なんですよ。青森の新聞社さんから取材していただいたときも少し意外そうな顔をされながら「なんで『じょっぱれ』という言葉を使ったんですか」と聞かれるぐらいで。ですが、その強情さをうまく描けたシーンだと思って気に入っています。基本的にはどうしようもない意地っ張りである「じょっぱり」な人間でも、時と場合によってカッコよくなる。そこも含めて主人公の気質をちゃんと書けたかなあと思っています。

――本シリーズ全体の目標や読みどころを教えてください。

鏡石:偉そうに見えない「俺TUEEE」だったり、追放される理由を深く考えたり、この小説では「私だったらこうしたほうが面白いと思う」を詰め込んでいます。
 そうした流れの中で、一番気を付けたのが主人公のかっこよさです。
 いまのライトノベルやアニメではスマートな主人公が多いんですが、『じょっぱれ』ではその正反対なキャラクターとして、どんくさい人間が泥臭く頑張るカッコよさを描いています。東北は全体的に自然環境が厳しく、まして津軽は日本列島の端っこで最も過酷な場所の一つです。そこに住んでいるということだけでそれだけですごいことなんですよ。主人公のキャラクターに込めた東北人のじょっぱったやせ我慢を楽しんでいただけるとうれしいです。

ウェブ小説サイトは邪道上等の世界

――投稿された当時はあまり読まれず打ち切りにされたんですよね。

鏡石:ネタの面白さはまったく疑ってませんでした。すでに書籍化が決まっていたデビュー作である『がんばれ農強聖女』と対になるタイトル付けですし、これは本になるだろうと書き始めたときは自信がありました。ただし誘導に失敗して読まれてなかったので、悔しい気持ちでしたね。そこからこの作品がバズるまでもいろいろな作品を書いていたんですが、その間の作品は自分自身が面白いと信じ切れないまま書いていた部分があります。

――そこから半年後にバズが起こったと。

鏡石:はい、人生が変わりました。ご紹介いただいた埴科拓安さんには本当に頭が上がりません。

――バズって一番うれしかったことはなんでしょうか。

鏡石:マンガ家の椎名高志さん、声優の明坂聡美さんや三上枝織さんといったエンタメ業界の第一線で活躍されているすごい方々が読んでくれて反応いただけたのは本当にうれしかったです。特に三上さんは青森ご出身の方なので、現地の方に評価してもらえたという気持ちもありました。
 他にも多くの青森の方にうれしいご感想をいただいて、書籍化にあたってもいろんな方に助けていただいています。もう青森には足向けて寝れないです。

www.youtube.com (ご当地VTuberの青森りんこさんも応援)

――書籍化のオファーも多かったのではないでしょうか。

鏡石:ありがたいことに十数もの編集部からお声掛けいただいて、急な周囲の変化に悩みすぎてしばらくお腹の調子がよくなかったです。スニーカー文庫の担当編集者であるナカダさんには自分が仙台出身であるというところも含めてアツく口説いてくださって、それでお願いすることにしました。書籍版では足した要素の一つに仙台観音があるんですが、それはナカダさんから提案してもらいました。生活の中で仙台観音がある風景を過ごしたことがないと、提案してもらえなかった部分だと思います。
 加えてスニーカー文庫はやはり憧れのレーベルだったこともあります。『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』は大好きで参考にさせてもらいましたし、『じょっぱれ』の連載をしているときに『隣の時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』も大人気になっていて、北の言語ネタというところで意識していました。だから両作品の後輩になれるのはすごくうれしいです。

――なろう小説はずっと読まれていたのでしょうか

鏡石:ウェブ小説やライトノベルは実はそこそこで、むしろ文芸書や、先に触れた東北の文化に関する本のほうが読んでいるように思います。一番好きな先生は直木賞作家の熊谷達也先生です。熊谷先生は『邂逅の森』で直木賞もとられた方でして、その作品を含む「マタギ三部作」など、東北や北海道の過酷な歴史に向きあった作品を発表されていて、本当に尊敬しています。

――文芸作品を多く読まれる中で、ライトノベル作家になろうと思ったのはなぜですか。

鏡石:これはオカルト的で、神の啓示としか言いようがないのですが、高校時代にふと「将来はライトノベル作家になる、デビューするに決まっている」と思ってしまい、なった感じです。

――そこからはガッツリデビューを目指して活動をされていたのでしょうか。

鏡石:一回高校生の時に公募に出したのですが、その程度ですね。二次創作は高校大学時代に書いていました。東方Projjectです。『東方創想話』というサイトがあるのですが、東方の魅力あるキャラクターが山ほどいて何を書いてもいいという環境のなかで、すごい作品にたくさん出会って、そこで鍛えられたと思います。ただ社会人になってからは完全に遠ざかっていました。

――社会人になってデビューを目指して目指して活動を再開されたのはなぜでしょうか。

鏡石:ライトノベル作家になること自体は決めていたのですが、大学卒業のタイミングでは片手間に目指せるものではないという思いがあって、まずはサラリーマンをやってみた形です。ウェブ小説サイトに登録したり、途中でウェブ小説の賞に応募したこともあったのですが、本腰入れた、というわけでもなかったです。
 本気で自分の夢と向き合い始めたのは、3社目を辞めてからです。
 会社運のない人間で、まず大学卒業して初めて入った会社は早々に吸収合併されてなくなり、2社目はどうも裏とつながりがあるような会社だったことに入ってから気付き勤務2カ月で半ば脱走の形で辞め、3社目は高度な技能が要求される会社だったのですがそれについていけず体を壊してしまいました。辞めて療養することになり、そこで書き始めた形です。
 一定の期間中になれないなら辞めようという覚悟で挑戦した面はあるのですが、どちらかといえば、ようやく自分がやるべきことに向き合える、というような前向きな気持ちでした。最初は全然読まれず修行だなという感じでしたが、ありがたいことに投稿から4カ月目で出版社さんから声をかけていただきました。
 デビューが決まってからは執筆時間のとれることを優先した会社に入り、いまも兼業作家という形です。次は追放されないといいんですが。

――デビューを目指すにあたって公募ではなくウェブ小説サイトへの投稿という形をとったのはなぜですか。

鏡石:直近で自分の書きたいテーマが、何か文脈があったうえで乗っかるパロディ的なものだったというのが大きいですかね。そういうものは公募などでは評価されづらいと聞きます。
 ウェブ小説をやる以上、邪道上等だという気持ちを持っています。おもしろさのために手段を選ばず、そこにウェブ小説の魅力があると思います。

埼玉であれなら青森ならもっとすごいものできるだろ

――ご当地ネタには作者の考えが反映されると思いますが、ふだんの生活は創作に活きていると感じますか。

鏡石サラリーマン生活についていえば、正直何もないですね。邪魔なだけかもしれません。
 無理やり言えば、嫌なキャラクターの参考にはなっているかもしれません。
 サラリーマンをやっていると時折「俺は何億円のプロジェクトやっていた」というような自慢をする人に出会います。
 でもね、私はマタギのおじいさんから熊を一日に3頭獲ったという話を聞いたことがある人間なんです。
 どっちがすごいと思います? 熊でしょ。熊獲ってから自慢してくれよ、と思います。
 普段異世界でドラゴンとの死闘の物語を考えている人に、何億円がなんのスケールの自慢になるんだというのをちょっと考えてから話しかけてほしいですね。
 一方で、私は兼業農業でもあるんですが、そこから学んだことはあります。その最たるものは、人間は自然にかなわない、という圧倒的な現実です。
 台風一つ、冷害一つで一年間の努力が無に帰すことがあります。そして自然がひとたび牙をむけば人間はひとたまりもなくつぶされます。俺TUEEE主人公でも結局自然にかなわない、基本的には自然のほうがずっと上だという形ですし、事実そうですから。
 『じょっぱれ』についてはそこがいいバランスの波乱となり、人間で最強クラスでも一人でねじふせられない、という話に納得感が生まれていると思います。

――ご当地ネタの描き方で参考にした作品はありますか。

鏡石:やっぱり『翔んで埼玉』ですね。特に実写映画のほうです。ご当地ネタでやりきるというしつこさ、あそこまで執念深く埼玉のことをバカにする潔さですよね。「埼玉みたいな都会であれなら青森ならもっとすごいものできるだろ」とも思いました(笑)。『じょっぱれ』は青森だけでなく東北6県全部ネタにするので、ネタのバリエーションにかんしては負けないものにしようと思います。
 あと個別の地域とキャラクターの描き方について、いわゆるキャラクター文芸やライト文芸と呼ばれる作品から学んだ部分はあります。最近流行しているライト文芸の世界では具体的なご当地が設定されている場合が多く、地域の人に愛される商売をしながら、謎解きに挑んだり、人ならざる者たちと交流する作品が多いですよね。人気の作品では、町の中でキャラクターの息遣いが聞こえるような描き方に成功していると思って読んでいました。

――ご当地ネタをつくるうえでのポイントを教えてください。

鏡石:私が駆け出しなので偉そうに言うのも憚られるのですが、心がけていることは二つあります。
 まずは自分と読者を信用すること。ウェブ小説の世界では読者を低く見積もって、必要以上に簡単な言葉遣いにしたり展開を簡素にしているものも多いように感じています。けれども、相当マニアックなネタであっても拾ってくれるし、そういう読者が世の中には必ずいると信じてやっています。読者の反応を見ながらいろいろ調整される作家さんもいますが、私の場合は読者についてきてほしい、これでだめなら離れていってもかまわない、というじょっぱって書いている部分もあります。
 この作品は自分自身本当に手応えがあったので当初はものすごく落ち込みましたが、信じ続けた結果、実際に見つけてくれる人が出てきて、本当にうれしかったです。
 もう一つは舞台をただの容れ物にしないということ。実在の土地をつかう以上は、ただ主人公が住んでいる町ではなく、こういう文化があって、こういう歴史があって、こういう気候風土の中で生きていてどういう気性の人が出てくるか、それをしっかり想像して物語に落とし込んでいくという作業が必要だと思います。
 ちなみに『じょっぱれ』や自分が書くウェブ小説では、今生きている人たちが悲しむような話はやらないです。具体的には震災関連の話などはやりません。知って考えたうえで取捨選択するということが大事ではないかと思っています。

――最後にご当地ネタに挑戦される方々へメッセージをお願いいたします。

鏡石:地に足がついた作品を読みたいですね。縁もゆかりもない土地を聞きかじった知識で書くのではなく、住んだり足しげく通ったり、あるいは執念深く調べた寂れた土地の物語に、私自身は出会いたいなと思っています。

ご当地短編小説キャンペーンはカクヨムWeb小説短編賞2022にて1月31日まで開催します!

kakuyomu.jp