1-3 魔術の特訓

 リーゼロッテはまず、王立図書館に行って、魔術のことを調べた。王立図書館は、貴族であれば誰でも利用することができる巨大な施設だ。使わない手はない。


 この世界の人間は、誰でも一人一つ、『特異魔術』と呼ばれる強力な魔術式を持って生まれる。誰にでも共通して使える一般魔術よりも高度で複雑、そして規模の大きいものだ。


 誰でも一つ、『特異魔術』を持っているのは確かだが、能力が開花する時期には個人差がある。大体が王立学園に通う十五〜十八歳の頃に、魔術の授業を受けながら術式を発現させるのだ。


 しかし、リーゼロッテには時間がなかった。アルノルトが事故を起こす十五歳までに、確実に自分の『特異魔術』を開花させなければならない。早すぎる能力の発現は、幼い身体に対して負担を与えると一般的に知られているが、躊躇している場合ではない。

 

 小説の情報によれば、リーゼロッテの特異魔術は、【異次元への扉】というものだ。

 空間を、任意の異次元空間に接続できるという強力な魔術。異次元空間に物を収納したり、放たれた魔法を呑み込んだりもできる。術式が開花した後に鍛えれば、任意の空間と空間を接続することもできるようだ。小説の中のリーゼロッテはこの魔術を使い、遠隔から腕だけ出現させて、自死に見せかけながらアルノルトを殺害するのだ。


 この魔術を鍛えれば、魔力暴走を起こしたアルノルトから暴発した魔術を、丸ごと呑み込んでしまうことができるはず。そうすればリーゼロッテは母を守れるし、初恋の人アルノルトに殺人を犯させずに済むのである。


「特異魔術の開花に必要なのは、強い動機と集中力。そして魔術に対する具体的なイメージが必要……。なるほど。この教本に書いてある瞑想法を、今日から試してみましょう」


 リーゼロッテは、丸三日かけて、教本の必要な箇所をノートに書き写した。前世のコピー機のような物が無いので、大変である。


 まだ十二歳のリーゼロッテが能力の開花を試みているとなれば、確実に家族から反対されるだろう。両親は教師であるから、尚更だ。特訓は秘密で行わなければならなかった。

 リーゼロッテは毎日の就寝の時間を、魔術の特訓に当てることにした。皆が就寝した時間になって、こっそりと手元の明かりをつけ、静かに教本の内容を復習する。


「強い動機は、もうある。お母様とアルノルト様を、助けること……。あとは、集中力……そして具体的なイメージね」


 リーゼロッテは退屈な前世を過ごしていたものの、本の虫であったから、知識量だけは豊富にある。異次元についてのイメージは、この世界にいる一般的な子どもより具体的にできるはずだ。

 リーゼロッテはベッドに腰掛けて、リラックスした瞑想の姿勢を取る。そして頭の中に、異次元のイメージを次々と思い浮かべた。

 ――――異次元。n次元……。無の空間。広大な宇宙。全てを吸い込むブラックホール。

 そうしてゆっくりと呼吸をし、集中力を高める努力をした。



 ♦︎♢♦︎



 特訓を始めて、約一ヶ月経った頃である。何の変化も起こらないまま不安になってきたリーゼロッテの身体に、唐突に、しかしあからさまな異常が起こった。


「体が……っ!熱い…………っ!!」


 瞑想を始めたリーゼロッテの身体が、急に熱くなり始めたのだ。心臓を中心に、血流に乗って激しい熱さが巡っていく。魔力は血流に乗って流れるので、これはリーゼロッテの体内の魔力が反応している証拠である。一般魔術を使う時には感じない、その熱さと痛みに心が怯えた。


「でも……っ!やらなければ…………!!」


 リーゼロッテは手を緩めず、さらに出力を上げるようイメージした。指先から光の筋が現れ、目の前に現れていく。

 痛い。苦しい。熱い。

 しかし指から出る光の筋は少しずつ、少しずつ紋様を描き、暗闇に円形の魔術陣の紋様を浮かべ終えたところで、ぷっつり途絶えた。


「これが、私の…………私だけの、魔術陣…………!!」


 漲る熱さに耐えながら、魔力を思い切り、一気に込める。


「発動…………っ!!」


 ブゥン――――…………


 その瞬間、魔術陣が消え……リーゼロッテの目の前に、ぽっかりと無の空間が現れた。だいたい、バスケットボール大くらいの空間だ。黒よりも黒い、奇妙なその空間に、リーゼロッテは恐る恐る手を差し込んだ。


「はぁ、はぁ…………、入って、消える…………!!」


 ぽっかりと空いた空間に、リーゼロッテの手は呑み込まれた。一見すると手が中途半端に切断されたように見えるが、痛みはない。それからリーゼロッテが手を引くと、きちんと元通りに戻った。


「異次元空間だわ……!!できたわ……っ!!やった!!」


 リーゼロッテは小声で喜びながら、身体をぴょんと跳ねさせた。ベッドのスプリングで、ぴょんぴょんとしばらく跳ねる。身体じゅうが痛み、呼吸が荒くなっていたが、喜びの方が大きかった。


「やった…………わ……………………」


 そして、声が途切れていく。突然ショックを与えた身体は急激に疲労し、リーゼロッテは抗えない眠気に襲われた。そしてそのまま、気絶するように眠ってしまったのである。



 ♦︎♢♦︎



 魔術の開花後、リーゼロッテはまるまる五日寝込んだ。ショックを身体が受け止めきれず、大変な高熱を出したのである。

 隠れて無理矢理に特異魔術を開花させたことは、すぐに家族の知るところとなった。気絶したリーゼロッテの近くに、教本の写しが散らばっていたからだ。


「リーゼ!!聞いているの?命の危険があったかもしれないのよ!!」


 母からは、それはもうこっぴどく叱られた。貴女を助けるためなのよだなんて、口が裂けても言えそうにない。リーゼロッテは無茶した理由を、「興味があったから」とし、それ以上決して口を割らなかった。


「ごめんなさい……。でも私、どうしても特異魔術の特訓を続けたいの」

「全く……!!……まあ、一旦開花してしまえば、次第に身体が慣れて、ショックを受けなくなるけどねぇ……」

「お願いよ、お母様」

「……仕方がないわね。その好奇心の強さは、一体誰に似たのかしら……。いいこと?魔術の先生をつけるから、必ず彼女の監督指導のもと、練習を行うこと。これを守れなければ、今後一切禁止します」

「守るわ!ありがとうお母様!!」


 リーゼロッテは母に抱き着いた。娘の学びたい意欲を応援してくれる母を絶対に守りたいと、決意を新たにしたのである。

 


 高熱から回復して一週間後、魔術の先生が伯爵邸にやってきた。


「マリカ・ハーケンと申します。ハーケン子爵家の三女です。これから、お嬢様の特異魔術の訓練を監督させていただきますわ」


 マリカは王立学園の上に位置する国の研究機関、魔術研究院に通う院生だった。前世で言うところの、大学生みたいなものだ。彼女の専門は、特異魔術の研究なのだという。


「私は、空間に関する特異魔術を研究しているんです。……ですから!お嬢様の魔術は、とても!とっても興味深いわ!!無の空間を出現させるなんて、前例がないことです。これは調べ甲斐がありますわ!!」


 マリカはその黒い瞳を爛々とさせ、興奮しながら喋っている。好きなことになると、早口で喋り出すタイプの人らしかった。


 ともかく、強力な助っ人を得たリーゼロッテは、特異魔術【異次元への扉】の訓練と検証に明け暮れた。

 

 検証の中で、分かったことが沢山ある。

 

 リーゼロッテが生み出す無の空間は、自身のイメージ次第で如何様にも利用できるということ。例えばリーゼロッテが「呑み込んで消したい」と思えば、異次元の彼方に物を捨てることができる。「物を置きたい」と思えば、置いて保存することもできる。しかも、この空間の中は時間が止まっているらしい。マリカと一緒に熱々のお茶をティーカップごと「置いて」みたところ、一日経っても、それは熱々の状態のままだったのである。


 また、リーゼロッテは好きな空間をいつでも、どこでも呼び出すことができた。家で熱々の紅茶を「収納」し、外出先でそれを「取り出す」ことも可能だったのだ。しかも、入れる物の質量には上限がないようだった。


「素晴らしいわ!!興味深いわ!!応用の幅が広すぎる……!!訓練で空間の大きさを広げれば、きっと人間だって入れるわ。そうすれば任意の場所に空間を接続して、人間を瞬時に遠隔へと移動させることすら、可能かもしれないわ!!」


 マリカは、それはそれは興奮して検証に付き合ってくれた。大助かりである。


 一番大切なことも確かめた。この空間が、他人によって放たれた魔術を吸い込めるかどうかである。試しにマリカが、一般魔術で小さな火球を発現させて飛ばしてくれた。リーゼロッテが「呑み込みたい」と思うと、火球は無の空間に吸い込まれて消えた。


「すごいわ!これは超強力な防御になるわね。どこまでの強度の魔法を呑み込めるのか、これから少しずつ検証を進めないといけないわ……!!それに呑み込んだ魔法を再放出して、攻撃に転じることもできるかもしれない!」


 マリカは毎日興奮しながら、検証に付き合ってくれた。

 こうしてリーゼロッテは、小説の重要人物にありがちな、ややチートな魔術を手に入れたのである。あとは毎日の訓練で、発現できる空間をより大きくする必要がある。魔術の発動スピードも早めなければならない。それに、無の空間を自在に操って、移動できるようになれば心強い。

 世紀の魔術の天才と呼ばれるアルノルトが暴発する魔術は、学園教師の母でさえ対処できないほどの規模なのだ。備えるに越したことはない。


「先生!!私頑張ります!!」

「どこまでも付き合うわ!!」


 二人は気合を入れ直した。やることはまだまだ、山積みである。

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