1-9 事故に備えて
「うん、小説に関する記憶は、読み終わった」
ある日、アルノルトがぽつりとそう言った。リーゼロッテは少しの間、ぼうっと呆けてしまった。好きな人と、手と手を触れ合わせられる、貴重で大切な時間が終わってしまったのである。寂しく思う気持ちを、どうにも抑えられそうにない。
「そうですか……」
随分と力無い声が出てしまった。リーゼロッテは慌てて声の調子を戻し、アルノルトに尋ねた。
「王太子殿下には、何か話を聞けましたか?」
「ああ。フリッツ殿下は呪いの『痕』を見ることができるが、仕掛けられるその瞬間を見ることはできないそうだ。呪いとは、それだけ未解明なものなのだと仰っていた」
「なるほど……。それでは、魔力暴走が始まって初めて、呪いがかけられたことが分かるということですね」
そうなるとやはり、『呪い』がかけられること自体を防止するのは難しそうだ。後から何とか対処するしかない。
「俺は魔力が暴走した時の対処法として、自分の周囲に半径3mほどの防御壁を張れるように訓練し始めた。周囲の被害を防ぐためのものだ。集中が乱れている時でも、自分の中でスイッチを押せば、半自動的に展開されるようにする」
「防御壁、ですか……」
「魔術を吸収するものだ。ただし吸収しきれなかった分は、跳ね返ってくる」
「……っ!!それでは、アルノルト様の身が危ないのではないですか?」
「周囲に被害が出るよりも、ましだろう」
リーゼロッテは青褪めた。恐らくアルノルトの暴発した魔術は、かなり強力なものになる。防御壁では吸収しきれないだろう。そうするとアルノルトは周囲を守って、自死することになるのだ。
「いけません。アルノルト様……いけません」
「うん。……あとはリーゼロッテ、君の魔術を頼りにしている」
アルノルトが力無く笑ったので、リーゼロッテは泣き出したい気持ちになった。
「わかりました。私が防御壁の中に入り……必ずお傍に行って、貴方の魔術を全部呑み込みます」
「やはり、君の身を危険に晒すことになるな……」
「構いません。私、貴方を守ります」
必死な様子のリーゼロッテの肩に、アルノルトの大きな手が置かれる。
「……わかった。リーゼロッテ、君の頑張り次第ではそれが可能かもしれない。今日から魔術発展のための指導を行うよ」
「はい……!」
リーゼロッテは肩に置かれた手に右手を重ね、力強く頷いた。この人を死なせないために、どんなことだってやりたい。
「まずは現状を確認したい。特異魔術を見せてもらってもいいか?」
「はい!」
二人はガゼポから外に出て、広さのある場所に移動した。リーゼロッテが集中をして、特異魔術を発動させる。指先から新緑の色をした光が輝き、空中に魔術陣が描かれた。次いで無の空間が、ぽっかりと姿を現す。大きさは相変わらず、お盆くらいの大きさだ。
「発動にかかる時間は、三秒といったところか」
「暴発した魔法を呑み込むとなると、タイムラグが気になります。あとは、この空間…………」
リーゼロッテは力を込めて念じてみる。しかし虚無の空間は、同じ場所にひっそりと佇んだままだ。
「動かすことができないんです…………これでは防御に使うには、あまりにも…………」
肩を落として、弱々しく言う。アルノルトを守ると言っておいて、この頼りない有様。どうにも自分が情けない。
「いや、ここまでできていれば上出来だ。あとはほんの少しのイメージの結びつきで、あっという間に発展する」
「そうなんですか?」
「この空間を自分が生み出しているという、強いイメージはできているか?」
「できているつもりですが……魔力で繋がっている感じがしません」
「魔力の流れのイメージは?」
「それが、わかりません……初めて魔術を出した時は、体がすごく熱くなったけど……それからは全然、感じません」
「じゃあ、そこからだな」
アルノルトは少し微笑んで、リーゼロッテの両手を取った。手を広げるようにして、指をすいと絡められ、恋人繋ぎの形にされる。アルノルトの香り――――シダーウッドの香りがふわりと香ってきて、胸が大きく高鳴った。あまりにも距離が近い。
タンザナイトの青い瞳は柔らかくリーゼロッテを見て、簡潔に言った。
「今から俺の魔力を流すよ」
「……はい!」
「少し熱いと思うけど、我慢して」
「はい」
途端に、手の先端から熱いものが流れ込んでくる。リーゼロッテはぞくぞくとした感触に耐えきれず、変な声が出てしまっった。
「……んっ……、ぁ……………………!」
「ごめん、一気に入れすぎたな。少しずつにするから…………」
「っぁ………………、はい………………っ!」
ぞくぞくとした感触がびりびりと身体中に響き、腹の奥底がきゅんとする。この変な感じは、一体何なんだろう。
アルノルトは出力を調整したらしく、流れてくる魔力は心地よい強さになった。なんだか、うっとりしてしまう。
「ぁ…………、わかり、ます。入ってる、の…………っ」
「これが、最適な魔力経路だ。これに沿って自分の魔力を流すように、イメージしてみてくれ」
「は、はい………………っ」
「魔力の流れがわかるようになれば、自分の生み出した魔術にうまくアクセスできるようになるはずだ。これから毎日、この訓練を続けよう」
「はぇ………………」
なんと、今度はこの密着訓練が続いていくらしい。記憶の読み取りは終わったが、甘い触れ合いの時間は続くようだ。嬉しいやら心臓に悪いやらで、リーゼロッテは呆然とした。
♦︎♢♦︎
「やった…………動かせた……!!」
訓練をはじめて一ヶ月後のことである。リーゼロッテは、自分の生み出した無の空間を、自分の意志で動かせるようになった。しかも以前と違って、タイムラグなしで瞬時に発生させられる。一度に出せる空間は一つまでだが、次々と任意の場所に発現させられるようになったのだ。見た目には、空間が瞬間移動しているように見える。
「かなり速く動かせているな。これなら防御には十分だろう」
「すごい、すごいです、アルノルト様……!」
リーゼロッテは目をキラキラさせながら、アルノルトを見た。魔術の師匠であるマリカの指導が悪かったとは、決して思わない。ただ、稀代の天才魔術師は発想の根本から違った。アルノルトに最適な魔力回路を導いてもらったお陰で、リーゼロッテの魔術は目に見えて発達したのだ。
「君の持つ魔術が、もともとすごいんだよ」
アルノルトは青い瞳を緩ませて、口角を上げた。とろりとした甘さの感じられる微笑みだ。間近でそれを受けたリーゼロッテは、ぽぽぽっと頬を赤く染めた。
「最適な魔術回路が構築されたことで、イメージが現実に結びついている。魔術に上手くアクセスできるように、引き続き訓練を行おう」
「はい!」
「次は実技訓練だな」
魔力を流す訓練と並行して、二人は実技訓練を行っていった。アルノルトの連発した魔術を、無の空間で次々と吸い込む訓練だ。魔術が放たれた場所に、集中して瞬時に空間を出現させる。アルノルトは次々に一般魔術を操って、火炎放射や水柱を飛ばしてきた。一般魔術といえど、天才の繰り出すそれの威力は桁違いだ。
「最小限を最適の場所に出せ!」
「はい!!」
ボボボボボッ!!!!
大きな火球を次々に吸い込んでいく。いっぱいいっぱいだが、何とかくらいついていく。
「自分の身辺は、必ず集中的に守れ!!」
「はい!!」
ガガガガガッ!!!!
大きな氷柱が次々にリーゼロッテを襲う。必死にそれを呑み込ませて処理した。
特に自分の身を守る訓練は、特に重点的に行なわされた。どうやらアルノルトは、リーゼロッテの身を案じているらしかった。
彼は容赦無く攻撃をしてくるが、本当にリーゼロッテに攻撃が当たってしまいそうになった時は、瞬時に魔術を解除する。本当に自分の手足のように、魔術を自在に操っているのだ。
「まだまだ、お願いします!!」
「わかった、続けよう」
二人の特訓は続いた。
♦︎♢♦︎
魔術の空間を動かせるようになって、一週間ほど後の話である。出現する無の空間の大きさもコントロールできるようになり、その最大の大きさは、とうとうリーゼロッテの半身くらいにまでなった。
そこで今日は無の空間に、リーゼロッテ自身が入ってみることになった。
心配そうな顔をしたアルノルトが、リーゼロッテの手をしっかりと握っている。この大きな手に包まれていると、リーゼロッテは勇気と力が湧いてくるのだ。
「絶対に手を離さないで」
「はい」
ぎゅっと手を握られて、握り返す。心強くて、リーゼロッテは目尻を下げ、控えめに笑った。
「ありがとうございます……アルノルト様」
「いいんだ。必ず、繊細にイメージをすること。歩くイメージだ。呑み込まれないようにな」
「はい……」
リーゼロッテは、足をひょいと空間に入れた。リーゼロッテの片足が消える。そのままもう片足も。ほぼ半身が消えた。
「心臓に悪い絵面だな……」
「ふふ、そうですよね。でも全然、平気です。全身を入れてみますね」
屈むようにして、無の空間に体をすっと入れる。中は黒よりも黒い、光を失った異空間であった。
「きゃっ……」
「リーゼロッテ!どうした!?」
アルノルトが繋いだ手をぐいと引っ張った。リーゼロッテはまた屈んで半身だけ出し、ふわりと笑って見せた。
「ごめんなさい。歩こうとしたら、思わずふらついただけです…………っ、……!?」
半身をアルノルトに抱き竦められて、言葉を失う。温かい。大きい体。顔の横に白いサラサラとした白銀髪が当たって、リーゼロッテの心臓は壊れそうにドクンと鳴った。
「びっくりした……!君の身に何かあったらと…………!!」
「ご、ごめんなさい…………」
骨張った、男のひとの体だった。アルノルトは細身ですらりとしているが、やっぱりリーゼロッテよりもずっとがっしりとしている。彼のシダーウッドの香りに包まれて、酩酊したような心地になってしまう。
「で、出ますね……」
「ああ。…………すまない」
「い、いいえ。大丈夫ですっ」
リーゼロッテはひょいと両足を出した。全身が元通りに露わになる。特に異常はなかった。それよりも心臓が絶え間なくドキドキして、苦しくて煩い。
「無事で良かった……」
「心配をかけて、すみません……」
「俺が勝手に心配しているだけだから、謝るな。とにかく、大きな進歩だ。今度は異次元空間の中で、さらに空間を繋げる訓練だな。そうすれば場所と場所を、自在に行き来できるようになるだろう。例え暴発した巨大な魔術に襲われても、そこに逃げ込めさえすれば安全なはずだ」
「はい……頑張ってみます!」
「俺も付き合うから、しばらくは手を繋いだまま行き来すること」
「は、はい……」
こうして、二人の触れ合いと逢瀬は続いた。事故が起こるその日まで、それは毎日続いたのだ。
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