1-10 暴走
――今のところ、何も起こらないな。
今日は、雷の一般魔術の実技試験だ。小さな雷を手の上に出せば、合格というものである。
暴走事故は、試験中に起きるはず。リーゼロッテは試験のたびに緊張し、警戒を強めていた。アルノルトもきっと同じだろう。
試験の順番を待ち、列に並んでいるアルノルトを遠目に確認する。リーゼロッテは既に試験を終えて、脇にあるベンチに座っていた。
最近は前よりも、もっと上手く魔力を流せるようになってきた。あの恥ずかしい密着訓練のお陰である。
あとは異次元空間の中で魔術を発動し、接続できれば応用の幅が広がるのだが。あの奇妙な空間の中にいると、なかなか全力で集中するのが難しい。ぼんやりと考えていると、リーゼロッテに声を掛ける者がいた。
「リーゼ、試験は順調かしら?」
「お母様…………じゃない。ニーマイヤー先生」
リーゼロッテの母がやって来たのだ。心の中で、緊張のレベルが一気に高まる。リーゼロッテとその母が居合わせる、魔術の試験――――事件が起こると判明している、全ての条件がいま、揃っている。
「私は無事に合格しました。ニーマイヤー先生は、試験の手伝いですか?」
「ちょっと手が空いたから、様子を見に来たのよ」
「そうなんですね……」
リーゼロッテの母ヒルデは学年主任の教師であるから、何もおかしなことではない。しかし視界の端で、アルノルトの試験が始まるのが見えた。すぐに目を向ける。――――様子が、おかしい。
「どうした?シュナーベル」
「………………ううっ!!!」
魔術を繰り出そうとしたアルノルトが、心臓を強く押さえて苦しみ出す。次いでその身体を囲うように、大きな電流がばちばちと弾けた。彼の周囲はワッと驚き、距離を取る。
「シュナーベル!!魔術を止めろ!!」
「…………ぐっ…………!!」
「シュナーベル!!」
バチバチバチ!!!
目も眩むほどの光が、何度も弾ける。リーゼロッテはすぐさま立ち上がり、彼の方に向かってがむしゃらに駆け出した。列に並んでいた生徒に向かって放たれる雷撃を、すんでのところで受け止める。スピードがあまりにも速い。
「リーゼ!!そっちに行ってはだめよ!!」
「先生は生徒を避難させてください!!!」
背後の母に向かって叫ぶ。リーゼロッテは次々と魔術を発動させ、集団を襲う雷撃を何とか受け止めながら、アルノルトに向かって歩んで行った。
暴走した魔力の強力な圧力で、一歩一歩が重くなっていく。苦しい。熱い。でも、アルノルトはもっと苦しそうだった。
「あああああ゛っ――――!!!」
パキキキ……!!
アルノルトの周囲に、防御壁が展開された。半径3メートルほどの、ドーム状のものだ。
「皆、防御壁の外へ出て!!!先生、避難の誘導をして下さい!!」
鋭く叫ぶと、周囲は慌ててそれに従った。リーゼロッテは防御壁を踏み越え、バチバチと光が弾ける半円の中に入り込んでいく。
「リーゼ!!!」
母の声が聞こえたが、構わなかった。
バチバチバチッ!!!
無の空間を瞬時に出現させ、弾ける雷撃を受け止める。最小限を最適位置に。アルノルトに教えられた通りに。
外は大騒ぎのようだが、この防御壁の中ではほとんど音が聞こえなかった。
バチバチバチッ!!!!!
アルノルトは、文字通りもがき苦しんでいた。美しいはずの顔には、青い血管が沢山浮かんでいる。身体中に爪を立て、自分で自分を抑えようと苦しんでいる。その姿を見て、リーゼロッテの両目からは涙がボロボロ溢れた。
――アルノルト様。
――アルノルト様!!
思い出す。美しいタンザナイトの青い光。角度によって色味を変え、夕暮れから夜に変わる空に見える目の光を。
思い出す。彼のテノールが柔らかく、自分の名を呼ぶときの音を。
思い出す。緩んだ口元を、甘く小さな微笑みを。
触れ合った手と手の温かさを。失い難い、あの温度の大切さを。
呑み込みきれなかった雷撃が、彼の体を激しく切り裂いた。血飛沫が飛び散って、ダダダっと防御壁を汚す。
――――もっと、もっと近づかなくては。
リーゼロッテの体にも、次々と暴発した魔法が当たった。いつも相当手加減されていたのだと、今になって思い知る。手足や顔が切れて、血が噴き出しているが構わない。
「アルノルト、様……!!」
強力な魔力の磁波で空間が歪んでいく。
一歩一歩がとてつもなく重い。痛い。苦しい。辛い。
それでも。
リーゼロッテは何とか進み、懸命に手を伸ばした。そうして、ようやく彼の元に辿り着いた。
無の空間をそこらじゅうに出現させながら、震える手を伸ばす。何とか彼に触れる。
そうして彼を抱き締めた。
懸命に彼の顔を覗き込んで――――安心させるように、微笑んで見せた。
「もう、大丈夫……ですよ……!!私が……傍に、おります…………!!」
アルノルトは焦点の合っていない目でリーゼロッテを見ながら、手を少しだけ伸ばした。
「リーゼ…………俺の…………」
がくりと彼から力が抜け落ちる。その途端、絶え間なかった雷撃がぴたりと止んだ。電気が切れたように、唐突に真っ暗になる。彼は、意識を失っていた。
「アルノルト様…………!!」
リーゼロッテは涙と血でぐちゃぐちゃになった顔を、愛しいアルノルトの胸に埋めて泣いた。
二人が恐れていた魔力暴走は、何とか終わったのだ。
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