刺客の令嬢になる予定でしたが、標的に溺愛されています。

かわい澄香

第一章

1-1 刺客令嬢の目覚め

 十二歳のリーゼロッテ・ニーマイヤーは、広大な王宮で迷子になり、一人うずくまっていた。

 

 彼女はまるでお人形のように真っ直ぐな黒髪に、翡翠の瞳を持つ、綺麗な少女である。見るからに儚げな容貌どおり、彼女は大変大人しい性格をしていた。だから、迷子になってしまってとても心細かったのである。

 今日はリーゼロッテが、初めて参加する王宮のお茶会だった。デビュー前の貴族子女が、社交の練習をする場。そして、彼女より二つ歳上の王太子と親交を深める場としてセッティングされた茶会だ。しがない伯爵令嬢の自分が、問題なんて起こしたくなかったのに。


 しかし、困り果てて泣きべそをかいているリーゼロッテに、柔らかな声が掛けられた。


「君、迷子になったの?」


 リーゼロッテがそろりと顔を上げると、そこには絵本の中から出てきたような、美しい少年が佇んでいた。

 さらりとした白銀髪に、暮れかけの空のような、タンザナイトの青い瞳。背丈もあり、すらりとしているが、歳の頃はリーゼロッテと同じくらいだろうか。

 リーゼロッテはひどくドキドキする心を抑えながら、少年に答えた。


「はい……。お茶会に参加していたのですが、席を外した際に、道に迷ってしまって」


 控えめなリーゼロッテは、周囲のお喋りになかなか参加できず、お茶をコクコク飲んでいたのだ。そして唐突に、お手洗いに行きたくなってしまったのである。あまりにも恥ずかしすぎて、そこまでは説明できそうにないが。


「それなら、俺も茶会の参加者だよ。会場まで連れて行こう。俺は、王宮には慣れているから」


 少年は、長い指をした白い手を、すっと差し出した。リーゼロッテはおずおずと、少年の手を取る。触れ合ったところが熱くて、手汗をかいてしまわないか心配だった。


「ありがとう、ございます……」

「うん」


 少年の答えは簡潔だったが、声は柔らかなままだった。リーゼロッテは、自分の心臓が壊れそうに高鳴るのを感じていた。何だか……こういう場面に、ずっとずっと長い間、憧れていた気がする。


 ――これが私の、初恋……に、なるのかな。


 リーゼロッテは少年の後ろ姿を熱心に見つめながら、そう思った。間違いなくこの先自分は、この記憶を大切に抱えながら生きて行くのだろうと思った。


 そうして少し歩くと、間も無く二人は会場に到着した。どうやら、そんなに離れた場所でもなかったらしい。


「ありがとうございました……。とても助かりました」


 リーゼロッテが頭を下げると、少年はまた優しく「うん」と答えた。名残惜しいが、夢みたいにロマンティックな時間はこれで終わりだ。

 名前くらいは聞いてみたかったけれど、おこがましいかな。そう思ったリーゼロッテがその場を立ち去ろうとした、その時である。

 給仕の一人が、少年の名前を呼んだ。


「失礼します。シュナーベル家のアルノルト様」


 リーゼロッテはその瞬間、頭の中が記憶の奔流に飲み込まれるのを感じた。ふらついて倒れそうになるのを何とか堪え、身を翻して、必死にその場を離れた。


 アルノルト・シュナーベル。


 何度もその名が、頭の中を駆け巡る。


 ――思い、出した。


 病院の薬の匂い。退屈で真っ白なベッド。誰も来ない病室。沢山の点滴。最後に読んだ小説。

 

 アルノルト・シュナーベル。

 

 彼は、殺人事件の加害者であり……のちに被害者となる。

 彼を殺害した犯人は――――リーゼロッテ。

 リーゼロッテ・ニーマイヤー…………は、、刺客の令嬢…………。


 リーゼロッテは、全てを思い出したのである。

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