1-7 毎日の逢瀬

 秘密のガゼポで、二人は逢瀬を重ねた。軽く言葉を交わした後、リーゼロッテが手を差し出す。


「じゃあ、視るよ」

「はい…………」


 リーゼロッテの両手を包み込むように、アルノルトの大きな手が覆う。触れられるこの瞬間が、いつでも一番ドキドキする。

 どうやら触れている面積が大きい方が、過去を読み取りやすいらしいのだ。綺麗な長い指に包まれるのは、とても緊張する一方で、どこか安心もする。不思議な感覚だ。

 リーゼロッテは、目を瞑るアルノルトを盗み見る。今日も長く白いまつげが、美しい頬のラインに影を落としていた。間近でアルノルトを見つめられるこの時間が、リーゼロッテは大好きだった。


「大分読めて来たよ」


 今日の分は終わったらしい。ゆっくりと手を離しながら、アルノルトが言った。ずっと触れていた手が離れると、寂しささえ覚えてしまう。二人で会えるだけですごいことなのに、どんどん欲張りになる。


「概要は、分かりましたでしょうか?」

「ああ。まず……今年起きるのが、俺の魔力暴走事件。授業の試験中に起こったとあるが、詳しい時期や、何の試験なのかは不明だな。試験を全て休む訳にはいかないし、その状況自体を回避するのは困難だろう」

「そうですね……。私の母が居合わせるようですが、母は学年主任ですし……正直どの試験を見に来ても、おかしくありません」

「そうだな」


 アルノルトが頷く。手元のノートに美しい筆跡でサラサラと、判明している条件を書き出していった。リーゼロッテが忘れてしまっていたような細かな記憶も、アルノルトには読める。だから大変頼りになる。


「リーゼロッテ。君の考えている通り、君の強力な特異魔術で、暴発した魔術を呑み込むことは可能かもしれない」

「はい、頑張ります」

「記憶を読み終わったら……君の魔術がより発展するよう、俺が直接指導しても良いか?」

「は、はい!是非お願いします」


 願ってもないことだ。学園の寮にいては、今までの先生マリカに魔術を見てもらうこともできない。それに、正直手詰まりな状況だった。世紀の天才と言われるアルノルトの魔術指導を受けられるならば、心強い。


「俺は魔力暴走の防止法と、対処法。そして、それを引き起こすと思われる『呪い』について調べる」

「『呪い』……手がかりは、あるんでしょうか?」


『呪い』は魔術で解明することのできない、古代の術式である。失われた技術であり、禁忌でもあるものだ。リーゼロッテが王宮図書館でどんなに調べても、ほとんど手がかりが得られなかった。


「実はフリッツ殿下が、そっちを研究しているんだ。俺は殿下の幼馴染だから、直接話を聞いてみる」

「!王太子殿下ですか……小説で出て来た特異魔術は【真実の瞳】でしたね」

「ああ。本来秘匿されている情報だが、それで合っている」


【真実の瞳】は本来目に見えないものや、魔術の痕、わずかな違和感などを全て見抜けるという特異魔術だ。彼の前では、嘘すらつけないのだと言う。もしかしたら、彼には『呪い』も見えるのかもしれない。小説は、王太子の特異魔術が明かされたところまでしか読んでいなかったが……この魔術は、事件の黒幕を追い詰めるための重要な手がかりとなったに違いない。


「そして俺が十七歳の時に起きるのが、俺の殺害事件だな」

「わ、私が犯人の、ですね……」

「いまの君が犯人になるとは、俺は思っていないよ。とにかく、この事件の概要をまとめよう。俺は再び魔力暴走を起こし、周囲がパニックになる。そのどさくさに紛れて、君が特異魔術を使う。空間を繋げて遠隔から手先だけ出し、俺に魔術の攻撃を放つ。そして俺を殺害。魔術の暴発による、自死と見せかけて……」

「はい、それで合っています」

「つまり、最初から。今年起こる事件の時から、狙われていたのは俺だと言うことだ。最初は暴走事件を起こした者として、俺を社会から追放したかったのかもしれないな。しかし事件は、俺の父によって揉み消された。だから二度目は刺客の君を放ち、直接殺害してきたということだろう」


 腕を組んで熟考しているアルノルトに、リーゼロッテは自分の推察を述べた。

 

「私の考えですが…………犯人は、アルノルト様の、特異魔術が邪魔だったのではないかと……思います」

「俺の、特異魔術を消すことが動機だということか?」

「はい。知られたくない、秘匿すべき過去がある人物だったのではないかと……」

「確かにその線は濃い。俺は元々狙われやすい立場だが、俺の特異魔術を邪魔だと思っている者は特に多い。後ろ暗い過去のある者……例えば、犯罪を犯している者。他国と繋がりのある者などだな。皆、この魔術を恐れていることだろう」


 リーゼロッテはアルノルトのことが心配で、思案げな顔をした。それに気づいたアルノルトは目元を和らげ、あの柔らかい声を出した。


「大丈夫だ、リーゼロッテ。君のお陰で、きっと事件は防げる」

「はい…………」

「俺の方でも調べを進める。明日また、放課後にここで会おう」

「……はい」


 リーゼロッテが控えめに微笑むと、アルノルトも笑った。比較的物静かな二人だが、事件防止のために協働することで、そこには確かな絆が芽生えていた。



 ♦︎♢♦︎



「どう?事件防げそう?」

「わからないわ……情報が少ないもの」


 教室に遊びに来たクラリスが無邪気に尋ね、リーゼロッテは溜息を吐いた。

 アルノルトは遠くで、また人だかりに囲まれている。こうして見ると、とても強張った表情だ。リーゼロッテは二人でいる時の、リラックスしたアルノルトを知っているから、その違いが如実に分かった。

 自分を慕う群衆に囲まれている時、アルノルトはまるで――――世界に独りぼっちでいるような、そんな顔をしているのだ。


「何とかして、アルノルト様を元気づけられないかしら……」

「う〜ん。ボクの考えではね。リーちゃんの存在が、だいぶ彼を元気付けてると思うよ?」

「ええ?そんなことないわ」


 リーゼロッテは驚いた。自分のようなちっぽけな存在が、彼の助けになるとは思えなかったからだ。


「恋する乙女はいいねえ〜。そうだ、せっかく二人で会ってるんだし、手作りのお菓子とか持っていったらどう?」

「お菓子…………確かに、作るのは割と得意だけれど…………お口に合うかしら」

「喜ぶと思うよ〜?学園の厨房ならいつでも借りられるじゃん!ボクも手伝うからさあ」 


 貴族女性の趣味として、お菓子作りは一般的なものだ。クラリスに乗せられるまま、空いた時間に、リーゼロッテはクッキーを作った。

 クラリスも手伝ってくれたが、彼女の作った「猫クッキー」は、蛇のようににょろにょろとしていた。リーゼロッテは珍しく声を上げて、ころころと笑ったのだ。クラリスと居ると楽しくて、飽きることがない。


「ボクの助けが必要そうなら、いつでも呼んでよ!まあ二人の逢瀬をお邪魔する気はないけどね〜」

「そ、そういうのじゃないってば……!!」


 リーゼロッテは真っ赤になって否定しながら、綺麗にできたクッキーを選別していく。それを花柄の可愛い包みに入れ、青いリボンで留めた。


 大分慣れて来たと思ったのだが、その日ガゼボに行くのは、何だかかなり緊張してしまった。白い頭が見えたので、リーゼロッテは慌てて早歩きをしながら、彼を呼んだ。


「アルノルト様…………すみません、お待たせしました」

「リーゼロッテ。大丈夫。待っていないよ」


 前に出てきたアルノルトに、すっと手を差し出される。いつものルーチンだ。リーゼロッテは自然な動作でそれを受けながら、ガゼポの椅子に座った。そして紙袋に入った包みを取り出し、恐る恐る差し出した。


「あの…………良かったら、これ。作ったんです…………」

「!クッキーか。甘い物は好きだ」

「よ、良かったです。あの。良ければ毒味もしますので……」


 リーゼロッテがそう言うと、アルノルトはふっと吹き出した。少年みたいな、あどけない笑顔だった。


「自分の過去を読ませにきている君が毒を盛るなんて、流石に思わない」

「それも、そうですね」


 リーゼロッテも釣られて笑う。しばらく静かに笑い合った後、アルノルトはクッキーを取り出し、目の前で食べて見せた。


「美味い……君は、菓子作りが上手なんだな」

「それほどでは……。ただ、今世では健康ですし、色々と動けるのが楽しくて。覚えたんです」


 アルノルトはふっと表情を暗くして、リーゼロッテに言った。


「過去を視せてもらったが、君は……前世で、ずいぶん孤独な人生を歩んできたんだな」


 タンザナイトの青い瞳が、少しかげっている。その悲しげな瞳を見て、リーゼロッテは思わず尋ねた。


「アルノルト様は…………いま、孤独ですか?」

「!」


 アルノルトの瞳が、驚きに見開かれる。出過ぎたことを言ったかもしれないと後悔するが、もう遅いだろう。


「俺が…………そう見える?」

「ええと。皆に囲まれている時…………寂しそうに、している時があるから」


 リーゼロッテは思っていたことを、正直に打ち明けた。アルノルトはしばらく固まった後、困ったように眉を下げて言った。


「君には見透かされているな。確かに俺は、孤独かもしれない。人をなかなか信じられないから……。過去を視て、人間の嫌な部分を沢山知ってしまったし……。皆がちやほやしながらも俺の力を恐れ、直に触れたがらないことも、知っている」

「そうですか…………」


 アルノルトの孤独に触れ、リーゼロッテは胸が痛くなった。きっと自分が想像できないような苦しみを、この人は抱えて来たのだろう。しかし彼が続けた言葉は、意外なものだった。


「でも、いまはちょっと違う。君がいるから」

「私、ですか…………?」

 

 リーゼロッテはきょとんとし、首を傾げた。自分が何か特別なことをしただろうか。


「俺に過去を読ませに来てくれる、変わり者。君がいるから…………俺はいま、孤独じゃない」


 リーゼロッテの心は、大きな驚きと歓喜に包まれた。自分の存在が、大好きなアルノルトの心を癒している。そんな奇跡みたいなことが、もし、本当にあるのなら。


「嬉しい…………」


 リーゼロッテはその滑らかな頬を薔薇色に染め、くしゃりと笑った。


「私で良ければ……ずっと、おそばにおります」


 その言葉は、飾らない……リーゼロッテの、心からの本音だった。

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