1-6 過去の深淵
「アルノルト様……私に、触れて。私の過去を、読んでください」
リーゼロッテがそう申し出ると、アルノルトは目を見開いて驚いた。そしてかなり戸惑いながら、答える。
「君は……知った上で、そう言っているのか?俺の特異魔術を……」
「存じています。【過去の深淵】……触れた者の過去を覗き見て、読み取るものですよね。アルノルト様は弱冠八歳で、見事それを開花させたと、聞き及んでおります」
「では、一体何故……?進んで過去を見られたがる人間なんて、俺は今まで会ったことがない」
「読んでもらえば、お分かりになるかと思います。……時間がありません。さあ」
リーゼロッテは勇気を振り絞って、手を更に前に差し出した。彼女の震える小さな手に、アルノルトはおずおずと手を重ねる。
指と指が、触れた。
触れ合った部分が、確かな熱を持つように感じる。
アルノルトは俯き、目を閉じた。美しい白銀髪がはらりと落ちかかり、けぶるようなまつ毛が頬に影を作る。リーゼロッテはひっそりと、それに見惚れた。
そうして永遠にも感じられる数秒間を過ごした、その後である。アルノルトはゆっくり、ゆっくりと目を開き、顔を上げた。
彼のタンザナイトの青い瞳は、動揺のあまり大きく揺れていた。
「君は…………一体何者だ…………?」
「…………」
きっとアルノルトは、リーゼロッテの過去――――『前世の記憶』まで、辿り着いたのだろう。説明するよりもこうする方が、確実で早いと思ったのだ。だからもしアルノルトに会えたら、過去を見てもらうと事前に決めていた。自分でも、随分大胆なことをしたと思う。
「……すまない。配慮が足りなかった。ここでは、話せないことだな……」
「いいえ、アルノルト様が謝ることではありません……」
「放課後、E棟の裏手にある、小さなガゼポに来てくれないか?そこで少し、二人で話したい」
「……!はい、分かりました」
リーゼロッテは身体の緊張が、一気に抜けるのを感じた。ひとまず、話を聞いてもらえそうだ。憧れの人と二人きりになるのは緊張するが、これは事件を防ぐための大きな一歩である。
♦︎♢♦︎
放課後、リーゼロッテは指定されたガゼポに向かった。ちょうど建物と植え込みで隠れており、人の気配がない場所だ。周囲に植えられた花々は大層美しいが、どうやらここは穴場であるらしかった。
目的の人物は、既にそこに居た。遠目にも白い頭が見えたので、リーゼロッテは急いだ。どうやらガゼポで、本を読んでいたらしい。すらりと長い足は組まれ、持て余されていた。花々に囲まれてひっそりと本を開く姿だけでも、大変絵になっている。
「アルノルト様……」
「!」
リーゼロッテが遠慮がちに声をかけると、アルノルトは顔を上げた。その面持ちは、少し緊張しているようだった。
「来てくれて、ありがとう」
「いいえ。遅くなってしまって、申し訳ありません」
「全然、待っていないよ」
本を机に置いたアルノルトが立ち上がって、こちらに来た。すっとリーゼロッテに手を差し出す。紳士らしく、エスコートしてくれるらしい。リーゼロッテは心臓が壊れそうなほど跳ねるのを感じながら、手を重ねた。どうしても――――迷子になった、昔のあの日を思い出す。
「このガゼポは、穴場らしいんだ。人が全然来ないから、上手く使うと良いと……フリッツ殿下に教えてもらった」
「素敵な場所ですね」
フリッツ王太子は、リーゼロッテたちよりも二年先輩に当たる。どうやらアルノルトは親しいらしい。
「うん。俺は……人混みが、苦手だから」
「そうなんですね……私も、です」
リーゼロッテのが言うと、アルノルトはその目元を少し和らげた。優しげな目線を直に受けて、ドキッとする。
「君と俺は同類らしい。……ああ、そこ。段差があるから気をつけて」
「はい……」
アルノルトに優雅に促されて、ガゼポの中の椅子に座る。彼は早速本題に入った。
「君の記憶を読ませてもらった。君には、前世の記憶がある。……間違っていないな?」
「はい。そうです」
リーゼロッテはひとつ大きく息を吸い込み、思い切って言った。
「私は転生者なのです。この世界は、私が知っている物語に酷似している……。貴方は今年、大きな事件に巻き込まれるかもしれない。私は……貴方を助けたいんです。アルノルト様」
アルノルトは生真面目な顔で頷いた。その青い瞳は、もう動揺していなかった。
「自分の目で見たことだから、信じるよ」
「ありがとう、ございます……」
「君はその目的のために、随分と無茶をしてきたようだね……」
「そこまで、わかってしまうのですね」
リーゼロッテが純粋に驚くと、アルノルトは苦く笑った。
「そうだよ。だから皆、俺に触れたがらない。進んで過去を開示してきたのは、君だけだ」
「そうだったんですか……」
「記憶の中でも思い入れが強かったり、印象に残っていたりする場面が優先して流れ込んでくる。君の場合は、前世で読んだ例の小説のシーン。それから、この世界で無理やり魔術を開花させたところ」
「なるほど……」
「君の抱えていた想いや、気持ちまでは分からない。俺は、君の記憶を追体験するだけだ」
リーゼロッテは、そこでハッとした。アルノルトの能力次第では、このほのかな恋心まで読み取られた可能性があったのだ。リーゼロッテは顔から火を吹きそうになり、その頬は一気に薔薇色に染まった。
「すまない。気分を害したか?」
「い、いえ。全く嫌ではないのです。ちょっとだけ……恥ずかしくなってしまっただけです。全然平気です」
アルノルトは今度こそ、はっきりと笑った。薄い唇の端が、静かに持ち上がっている。
「……ふ。君は、変わってるな」
「そうでしょうか……」
「うん。変わってる……」
リーゼロッテも思わず、微笑み返した。青い瞳と翡翠の瞳の、視線が交錯する。
ふと、アルノルトは真面目な調子に戻って、話を再開した。
「それで、例の小説なんだが……すまない。一度では、全てはとても読み取れない」
「そうですよね。長い話ですから。途中までしか読んでいないのが、申し訳ないのですが……」
「それは仕方がない。だが、俺も自分に降りかかる危険について、できる限り知っておきたい。実は……今年に入って、気にかかることが二度起きている」
「気にかかること……?」
「魔力が暴走しそうになったことが、二度もあったんだ。俺は自分の集中力でそれを抑え込んだんだが、妙だった。何かに誘発されているような……」
「……!もう既に、事件の予兆があったということですか」
アルノルトは頷いた。通常魔力暴走というのは、実力のない者が、その身に余るほどの高度な魔術を、無理やり使ったりした時にしか起こらない。魔術の天才と称されるアルノルトに、頻繁に起こるような現象ではないのだ。
「俺としても、強い疑念を抱いていたところだ。だから小説の情報を、また読み取らせてもらえないだろうか?」
「はい、喜んで……」
「ありがとう。読み取るのは、一日五分程度で良い。一人から一日に読み取れる情報量には、限りがあるんだ」
「わかりました。また、このガゼポに来れば良いですか?」
「ああ。すまないが、放課後にここへ来て欲しい。本一冊分の情報なら、十日間程度もあれば詳細に読み取れると思う」
「大丈夫です。宜しくお願いします」
リーゼロッテが言うと、アルノルトはその端正な顔を傾げて、また少しだけ微笑んだ。
「宜しくお願いするよ」
♦︎♢♦︎
学園の寮の自室に戻ったリーゼロッテは、黙ったままボフンとベッドに飛び込み、枕に顔を埋めた。そのままぎゅううと枕を抱き込む。寮は一人部屋だし、今はメイドもいないから、誰にも見られていない。
リーゼロッテは、小さな声で叫んだ。
「アルノルト様が……!あの、アルノルト様と……!!」
言葉にならない言葉を発し、足をバタバタさせる。本当は、床をゴロゴロ転げ回りたいような気持ちだ。さすがにやらないが。
「どうしよう……!!毎日、アルノルト様と、会うなんて……!!し、しかも……記憶を読むためとはいえ……毎日、ふ、ふ、触れ合うことに、なるんだわ……!!」
リーゼロッテの乙女心は、あまりの急展開で混乱状態に陥っていた。
こうして、初恋の相手アルノルトと逢瀬を重ね、毎日触れ合うことが決定したのである。
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