1-5 標的への接触
アルノルトに会えるチャンスがないまま、リーゼロッテは十五歳になった。
今日はとうとう、王立学園への入学式である。
「大きい……」
王立学園の建物を見上げて、リーゼロッテは目を丸くした。さすがは国の貴族子女のほとんどが通う、由緒ある学園だ。煉瓦造りの壁に、美しい赤い屋根の数々。中央には、巨大な時計塔が見える。それはまるで、お城のように立派な建物だった。
「すごいね〜!テンション上がるねリーちゃん!!」
クラリスは、隣でぴょんぴょん飛び跳ねている。二人はあれから、すっかり仲良しになったのだ。今日も馬車で待ち合わせて、一緒に登校している。人見知りのリーゼロッテにとって、心強い味方である。
二人は揃って、学園の制服に身を包んでいた。濃紺のブレザーに、チェックのプリーツスカート。首元には赤いリボンだ。貴族の普段着と違い、足を出すのが恥ずかしいので、リーゼロッテは黒いタイツを履いている。クラリスは白いハイソックスだ。
リーゼロッテは前世でもろくに学校に通えることがなかったので、これから三年間ここに通うのだと思うと、胸がわくわくするのを感じた。
「例のアルノルト様も、同じ学年なんでしょ?ね、ね、もし話せたら、何て言うの?」
「お会いできたら何て言うかは、もう全部決めているの。クラリスにも……内緒よ」
「内緒か〜!!ひゃ〜、青春だねえ!!」
クラリスは恋バナのテンションで話しているが、リーゼロッテは真剣だった。アルノルトに最初に言うべき台詞は、もうずっと前から決めている。
入学式では、首席挨拶があった。入学試験自体はハードルが低いものだが、入学者はこれできっちり順位をつけられ、クラス分けされるのである。首席入学は勿論、アルノルトだった。彼は公爵である宰相の息子で、頭脳明晰。剣術の腕もあり、文武両道。そして、世紀の魔術の天才児とも言われる。すごい肩書きの数だ。
アルノルトが、ゆっくりと壇上に上がる。成長した彼の姿を目にして、リーゼロッテはうっとりと溜息をついた。
「アルノルト様……」
十二歳の頃から見ると、すらりと身長が伸びて、随分大人っぽくなった。顔つきも、以前より精悍になっている。遠目で見ても、彼は本当に綺麗だった。
アルノルトは声変わりを終えた涼やかなテノールで、スピーチを始めた。まずは形式的な挨拶から入る。それに続けて、こう言った。
「皆さんは、一人一人が違う『特異魔術』を持って生まれてくる。この意味を考えたことがありますか?」
――意味……。
リーゼロッテは首を傾げた。それは、考えたことがなかった。
「私はこう考えています。私たちをただひとつ……唯一の存在にするための、神様からのプレゼントなのだと。特異魔術は、きっと貴方を助けてくれるでしょう。或いは魔術じゃなくてもいい。貴方の特技が、努力が、そして好きなことが……あなたを夢に向かわせてくれる、そんな原動力になることでしょう」
リーゼロッテの夢は、母を守り、アルノルトを守ることだ。どうか、この特異魔術がその助けになって欲しい。リーゼロッテはスピーチに深く共感した。
「だから皆さんとはこの学校で、自分だけの夢を見つけて欲しいと思います。もちろん、私も一緒です。自分だけの、大切な夢を見つけて、そのために……自分の全てを使って。全身全霊で、精進していきましょう」
挨拶を終えたアルノルトは、盛大な拍手に包まれて壇上を後にした。リーゼロッテは感動で涙ぐんでしまい、急いでハンカチを取り出した。
――アルノルトさまの夢は、何なのかな?
ふと、そんなことを思った。もし恐れ多くも尋ねる機会があるのなら、聞いてみたいものだ。
ちなみにアルノルトの特異魔術は、【過去の深淵】である。簡単に言えば、過去視だ。触れた相手の過去を覗き見るという、強力なもの。この魔術をはじめ、どうかあらゆることが、彼の夢を助けてくれますように――――そう、リーゼロッテは願った。
♦︎♢♦︎
入学式が終わって、クラス分けが発表された。リーゼロッテは見事、アルノルトと同じクラスになった。勉強を頑張った成果である。これはもしかしたら、お近づきになれる機会があるかもしれないと、少し舞い上がってしまう。
ちなみに、クラリスとはクラスが分かれた。クラリスは勉強が、大の苦手なのである。
ドキドキする胸を押さえながら教室に入ってみると、アルノルトの周囲にはもう、大きな人だかりができていた。
とてもじゃないが、近づけそうにない。リーゼロッテは気落ちしながら自分の机を探し、静かに着席した。
「アルノルト様、私、スピーチに大変感動致しましたわ!実は私たち、アルノルト様のファンクラブを作っておりますの!」
「はあ……」
アルノルトの隣を陣取っているのは、メリッサ・ヘルソン侯爵令嬢。いかにも気が強そうで、高飛車な雰囲気だ。彼女を中心としたアルノルトファンクラブのメンバーが、がっちりと彼の周囲を固めていた。黄色い声がずっと上がっている。
「はあ……あんなの、無理だわ……」
「何が無理なの?」
突然、真横から声がして、リーゼロッテは飛び上がった。しかしそこにいたのは、クラリスだった。
「クラリス!急に声を掛けたら、びっくりするじゃない……!」
「えへへ!早速遊びに来ちゃった!ねね、愛しのアルノルト様とはもう話せた?」
「しっ!声が大きいわ……!」
リーゼロッテは慌ててクラリスの口を押さえ、周囲を見渡した。良かった、誰にも聞かれていないようだ。
「あの状態を見てよ……。とてもじゃないけど、近づけないわ」
「ほわ〜。こりゃすんごい人気者だねえ」
クラリスはアルノルトの周囲を確認した後、力強くリーゼロッテに宣言してきた。
「大丈夫!!ここはボクに任せて!!」
「え……!?」
何だかとてつもなく嫌な予感がするが、止める暇はなかった。クラリスは素早い動きで教室のドアの所へ行き、室内に向かって大きく叫んだ。
「皆様、大変ですわよ!!あちらで三年生のフリッツ王太子殿下が、一年生とお知り合いになりたいっておっしゃってるわ〜!!殿下とお話するチャンスよ!!急がないと、遅れてしまいましてよ〜!!」
リーゼロッテは真っ青になった。クラリスが言っていることは、嘘八百である。……詐欺である!
しかし、この言葉を聞いて目の色を変えた令嬢たちは、我先にと教室を出ていった。
「私が先よ!!」
「いいえ、私が!!邪魔しないで!!」
令嬢たちの群れの向こうで、クラリスがウインクしながら、力強くサムズアップしている。これは大変なことになってしまった、とリーゼロッテは思った。しかし、確かにチャンスである。
アルノルトの方を見ると、もう誰にも囲まれていなかった。リーゼロッテはすぐさま決心し、震える足で近づいて、アルノルトの目の前に立った。
「ご、ご機嫌よう……アルノルト様。私は、リーゼロッテ・ニーマイヤーと申します」
アルノルトが顔を上げる。さらりと白銀髪が揺れた。そして美しいタンザナイトの青い光が、角度によってきらりと色味を変えた。まるで、夕暮れから夜に変わる空のように。
初恋の人に見つめられて、リーゼロッテの心臓はドキドキと、煩く高鳴った。叶うことならばここから逃げ出したいほど、恥ずかしい。
けれど、言わなくては。
リーゼロッテは今まで生きてきた中で、最大の勇気を振り絞りながら、アルノルトに震える手を差し出した。
そして言う。
最初に言うべき台詞は――――もうずっと前から、決めているのだ。
「アルノルト様……私に、触れて。私の過去を、読んでください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます