1-4 主人公との出会い

 リーゼロッテは十三歳になった。

 

 特異魔術の訓練は続けている。反復練習によって、魔術陣を描き出す速度は飛躍的に上昇した。最初は一分ほど掛かっていたものが、五秒ほどでできるようになったのである。

 生み出せる無の空間の入り口、その大きさも、少しは大きくなった。バスケットボール大だったものが、お盆くらいの大きさになったのだ。しかしここから大きくするのがなかなかできず、リーゼロッテは苦戦している。もう少し大きければ、人間も入れるようになると思うのだが。

 また、無の空間は出した位置で固定されたまま、移動したりすることはできていない。

 ここからどうすれば発展するのか分からず、正直手詰まりだ。前例がない魔術なので、訓練の仕方も手探りになると、先生のマリカが言っていた。


 さて。魔術の訓練はさておき、現在リーゼロッテは大変重要な局面に面していた。


 ――いる。いるわ。あれは間違いなく!『主人公』、クラリス・ハイネマン……!!


 リーゼロッテが参加した、同年代の貴族女性を集めた茶会。その席に、かの小説の主人公、クラリス・ハイネマン侯爵令嬢の姿があったのである。


 ――すごい。小説と同じ。とても華やかな美少女だわ!!いや、私も小説と同じ容姿だけど……。やっぱり主人公は格が違うわ……。


 主人公クラリスは、ウェーブしたピンクブロンドに、溌剌とした新緑の目をしていた。愛嬌があって、とても可愛らしい顔立ちをしている。お茶会の中心となってハキハキ喋っている姿には、主人公らしい、堂々とした風格があった。

 対してリーゼロッテは、真っ直ぐに切り揃えた黒髪に翡翠の目。大変控えめな容姿だ。皆の輪にも入れず、お茶会の隅で小さくなりながら、内心アワアワしているのだった。


 ――どうしよう、ここから。一体どうやって接触すれば……。


 残念ながらリーゼロッテは、人見知りである。前世はとても孤独だったし、今世でも元々控えめな性格なのだ。

 皆の和の中心となっているクラリスは、明らかな陽のオーラを纏っていた。眩しい。あまりにも眩しすぎる。

 リーゼロッテは困り果てた。お互いを全く知らない状態から、どうやって親しくなれば良いのか分からない。

 第一席があまりにも離れているので、話しかけることもできないのだ。リーゼロッテはおろおろしてから、ひとまずお手洗いに立った。作戦を考えなければならないだろう。


 今日の茶会は、とある伯爵令嬢の主宰である。ガーデンパーティー形式であり、建物から会場までは随分離れていた。

 建物の陰でリーゼロッテは立ち止まり、どうしたら良いか考え込み始めた。

 

 しかし、そこに給仕らしき大柄な男性がやってきて、小さな声で話しかけてきた。


「失礼…………可愛いお嬢さん………………」


 リーゼロッテは顔を上げて、困惑した。何だか様子がおかしい。気味が悪いのだ。息がハァハァしているし、どんどんこちらに進んでくる。まるで、建物に向けて、追い詰められているような……。


「ハァハァ…………本当、可愛いな…………僕と、少し遊ぼうよ…………」


 リーゼロッテは悪寒で、ぶるりと震えた。とても怖い。というか、これは。


 ――変質者、なのでは……!?


 気づいた時にはもう遅かった。ドンと壁に手を突かれ、小柄なリーゼロッテは追い詰められてしまった。物陰で考え事をしていたので、周囲に人気はない。


「…………っ」

「ハァ…………ハァ…………こんな職場、すぐ辞めようと思ってたけど、これは良い出会いだな。嬉しいなァ……。ねえ、名前は?可愛いなァ…………」


 リーゼロッテはもう、恐怖で身が竦み、声も上げられずに震えていた。

 男性が彼女に手を伸ばしてこようとした、その瞬間である。


「セイヤーーーーッ!!!!」


 突然登場した人物が勇ましい掛け声とともに、男性に飛び蹴りをかました。大柄な男性は大きく体勢をくずし、よろけた。


「!?」

「こんのー!!か弱い乙女を狙う、変質者め!!」


 ザン、と土を踏みしめリーゼロッテを守るように立ったのは、なんと他でもない、クラリス・ハイネマン侯爵令嬢であった。可愛らしい華奢な背中が、大きく見える。ものすごく頼もしい。

 転びかけた男性は、激昂して襲いかかってきた。


「何するんだよ……っ!!この……っ!!」

「ほら、こっちだよ!」


 クラリスに掴み掛かろうとする男性を、彼女はいとも簡単に、するすると避けていく。動きが非常に洗練されていた。


「このガキ………………っ!!」

「もらった!!」


 大きな動作で掴み掛かろうとした男性。しかし、信じられないことだが――――華奢なクラリスは彼を、投げ飛ばした。


「ぐあっ!!」


 リーゼロッテは口元を押さえて、思わず『日本語』で呟いた。


「『背負い投げ』…………」


 その小さな呟きを、クラリスは聞き逃さなかったらしい。手を払いながら、リーゼロッテにぐいと近づいて来た。男性は今の一撃で失神しているようだ。すごすぎる。


「ねえ!ねえねえねえ!!」

「は、は、はいっ……!!」

「いま、『背負い投げ』って言った?言ったよね??」


 リーゼロッテはパニックになりながらも、コクコクと大きく頷いた。


「『日本語』だったよね!!『あなたは日本からの転生者なの?』」

「!」


 目の前のクラリスが発した、流暢な日本語に驚く。これは、もしかして。もしかしなくても。


「『そうです、日本からの転生者です』…………貴女も、なの…………!?」

「そうだよ〜!!やったぁ〜!!」


 何とクラリス・ハイネマンは、リーゼロッテと同じ。日本からの、転生者だったのである。



 ♦︎♢♦︎



「変質者、捕まって良かったね!!なんか、雇われたばかりの人だったみたいだよ?」

「助けていただいて、ありがとうございます……!!」


 あの後、クラリスとリーゼロッテは、ひとまず大人を呼びに行った。変質者は無事に捕まったので、もうすぐ見回りの騎士に連れて行かれるだろう。ひと安心である。


「まさか日本出身の人に会えるとは思わなかったよー!!いやあ、思わぬ収穫だなあ!!」

「わ、私もびっくりしました……」


 二人は場所を変え、人気のない庭の隅で話していた。転生したなんて話を誰かに聞かれたら、頭がおかしくなったのかと思われるかもしれない。やはり、周囲には聞かれたくない話だろう。


「転生したって何度言っても、誰も信じてくれないんだもん!!ボク寂しかったー!!」

「い、言ったん……ですか……?」


 前言撤回。クラリスは、周囲に言いふらしたらしい。


「ボクはクラリスだよ。クラリス・ハイネマン!キミは?」

「私はリーゼロッテ・ニーマイヤーです。クラリス様……のことは、存じています。主人公ですよね?あの、小説の…………」

「小説……?」


 クラリスは、こてんと首を傾げている。もしかしたら小説のことを知らないのかもしれないと思い、リーゼロッテは慌てて説明した。


「この世界の、原作小説があるんです。『狙われた婚約者〜侯爵令嬢クラリスの事件簿〜』っていうお話です。クラリス様はその主人公で、優れた頭脳で推理しながら、色々な難事件を解決していくシリーズものでした」

「そーなんだ!!知らなかったー!!ボク、本とか読まないから!!」

「そ、そうなんですか……?」

「うん!難しいの、全然わかんないから!!えへ!!」


 リーゼロッテは戦慄した。何だか先ほどから、妙な違和感はあったが、これはアレだ。


 ――転生したことで…………名探偵クラリスが、ポンコツになってる…………!!!


 リーゼロッテは、がっくりと肩を落とした。何と言うことだろう。主人公クラリスの知識量や推理力、その明晰な頭脳を、かなり当てにしていたと言うのに。


「クラリス様は、その。【魔力のいろどり】という特異魔術で、人の魔力の色がわかるんです。それで犯人を特定したり、推理したりするんです」

「すっごーい!!ボク、細かい色の違いとかよくわかんないやー!!絶対無理!!」


 ――ダメダメだ……!!!


 リーゼロッテはふらふらとし、その場に崩れ落ちた。あっけらかんとしたクラリスが疑問符を飛ばしている。


「どしたの??」

「じ、実はですね…………」


 リーゼロッテは、時間をかけて説明した。自分が殺人事件の、犯人役の令嬢であること。母を死なせないために、またアルノルトに殺人を犯させないために、事件を未然に防ごうとしていることなどだ。


「うわあ、偉いんだねえ、リーゼロッテ……!!」

「それほどでは……」

「いやぁ、ボク感動したよ!そうだ、折角の縁だし、ボクと友達になってよ!!」


 クラリスは満点の笑顔でにっこりとしながら、リーゼロッテに手を差し伸べて来た。主人公の華やかなオーラがすごい。リーゼロッテは遠慮がちにそれを握って、握手した。


「宜しくお願いします……」

「あー敬語もナシナシ!ね、リーちゃんって呼んでいい?」

「はい!……じゃなくて、うん。大丈夫よ」

「嬉しいな〜!日本出身の友達ができるなんて!!よろしくねリーちゃん!!」

「うん、宜しくね、クラリス」


 リーゼロッテがふわりと笑うと、クラリスは頬をぽぽっと赤く染めた。


「リーちゃんって滅茶苦茶可愛いね!!可憐っていうか。こりゃあ、変質者に狙われるわ〜」

「そうかな……?」

「これからは、私が守るからね!私、空手と柔道はどっちも黒帯だから!!今世では、剣術もやってるし!!」

「す、すごい……!」

「推理とかは全然無理だけど〜、戦いなら任せてっ!!バトル担当ね!!」


 こうしてリーゼロッテは、主人公クラリス・ハイネマンと友達になった。リーゼロッテのパーティーに、武闘派の戦士が加わった瞬間であった。

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