第18話 新潟県上越市①
●十月二十四日(残り四十一日)
私は巾着の外側から中にちゃんと硬いものがあるか確認して、ベルトループに巾着の紐を結びつけた。
腰にぶら下がるそれを少しの間見つめて、私は今日も自転車にまたがる。私のその様子を見て、ランは嬉しそうに微笑んでいた。
「ラン、ニヤけ過ぎ」
「だって、嬉しいじゃん」
ランは私の腰にぶら下がる巾着をとんとんと触ってきた。なんでランがプレゼントしたのに彼女の方が嬉しいと言うのだろう。
不思議だ。
しかし、不思議なままで終わらせないと心に決めている。
ランのことを残りの少ない時間でたくさん知りたい。
ランと色々な会話を交わしたい。
そう思うようになったおかげで、最近の私はだいぶおしゃべりになったと思う。
「なんで嬉しいの?」
「頑張ったかいがあるなって。何より、私のあげたものをそんな大切そうにされると胸が温まるよ」
そんなことをする必要もないのに、私の手をランの胸の辺りにぽんぽんと押し付けている。
感じるはずもないのに、ランの胸は温かい気がした。
今日も途方もなく続く道を進み続ける。
足が痛くなることはだいぶ少なくなってきたが、それでも一日二十キロ以上走る日なんかは足がパンパンになる。
今日は新潟県上越市の街中まで向かっている。その途中にある紅葉が綺麗な公園でお昼を食べる予定になっていた。
かなり肌寒い季節になり、そろそろ手袋とマフラーが必要だ。もしかしたら、旅の途中で雪が降ってしまうかもしれないので、早めに着くようにランが進むペースを考えてくれている。
私が自分の気持ちを抑えられずに彼女にキスをしてから、彼女とは特になにもない。
気まずい雰囲気になることや話さないといった態度は取らず、普通に接してくる彼女には感謝しているが、少し納得いかないところもある。
あんな大胆なことをしたのだから、少しくらい私のことを意識してくれてもいいと思う。
しかし、意識してもらったとして、どうなるのだろうとも思っている。
彼女との時間は残りわずかだ。
万に一つ、私と同じ想いをランが持っていたとしよう。
そうなったとしても悲しい別れが訪れることなんて目に見えていた。
しかし、そうだとしても彼女から愛されたいと思うなんて、人を好きになるって随分と人を欲張りにするのだなと思う。
私のこの感情はどこに向かえばいいのだろうと最近はそればかりだ。
「優織ー、ちゃんと前見てる?」
横を並走する少女は心配そうにこちらを覗いていた。最近、彼女のことを考えすぎて心配ばかりされている。
「前を見ていなくても自転車漕げるんだなー」
「なんと、優織さんは何でもできてしまうんですね」
こうやって私が冗談を言えば、冗談を返してくれる。
私も彼女と出会ってだいぶ変わったが、ランもだいぶ変わったと思う。
案内人なんて、元からの性格のまま最後まで過ごしそうなのに、ランも私と同じくどんどん変わっていく。
この世界の季節もどんどんと移り変わる。
私が来た頃は何もしていなくても汗をかくくらい暑かったはずなのに、今は風が冷たいと感じるくらいに寒い。
この世界には何もないと思っていた。
なんの変化もないはずの世界はランという少女が溶け込んだだけで、私という人間が変わり、季節が変わり、景色が変わり、私の目に映るものは華やかに色付いていく。
感じるはずも知るはずもなかった想いを知るようになった。
それもこれも隣の少女のおかげだろう。
だから、私は彼女に何か恩返しをしたいと思う。
「ランは何かしたいことないの?」
「優織のしたいことが私のしたいことだよ」
「そればっかり……教えてくれないとランのこと嫌いなるよ」
「えっ……」
あんなに私に前を見ろと言っていた少女はこちらから目を離さなくなり、とても危ない。
「ランさん、前見てください」
「は、はい……」
ランは少し下に顔を向けていた。
冗談が通じないタイプなのだろうか。
まあ、いつも私ばかりが面食らっているので、少し痛い目を見てちょうどいいだろう。
自転車のチェーンが回る音が聞こえる中、ランは肩が大きく動くくらいに息を吸ってこちらを見てくる。
「優織と……」
「んー?」
「優織と写真撮りたい」
「写真?」
「うん……」
どういうことだろう。
ランのしたいことは不思議だなと思った。
「あと、また夜に一緒にコンビニに行きたい」
「いいよ」
「あと、もっと色んな景色みたい」
「いいよ」
「あと、一緒にお風呂入りたい」
「いいよ」
ん……?
今なんて言った? 私は動揺から自転車のハンドルが揺れて、よろよろと平坦な道を進む。
「なんて言った?」
「いいよって言ってくれた」
「いや待って。それは流れというか……」
まさかそんなことを言われるとは思っていなくて、私は焦りを隠せなかった。
なんでランはそんな平然としているのだろう。
平然に決まっているか。
彼女のことをこんなにも意識しているのは私だけで、ランからしたら、私はこの世界に迷い込んだ迷い子でしかないのだから。
「約束ね。もうすぐつくよ」
ランは遠くを指差していた。
そこには遠くから見てもわかるくらい綺麗な木々が並んでいる。
私たちは自転車を止めて頂上に向かって歩き始めた。真っ赤に染まった葉がゆさっと揺れていて、私たちを迎えてくれているようだ。
頂上までの道のりは長く、心拍数が一気に上がる。
ランも少し苦しそうに呼吸をしていた。
上まで着くとベンチがあり、私たちはそこに腰掛けた。
そこからは街が一望でき、先ほど近くを揺れていたモミジたちが立ち並んで見える。
私はペットボトルの蓋を回し、ゴクリと喉にお茶を通す。少し苦味のある液体はカラカラに乾いた喉を潤してくれる。
「綺麗だね」
「うん。紅葉っていいね」
ランは急に私の肩に頭を乗せてくるから、ピッと体に力が入った。そんな私の行動は流され、ランは私のスマホをトントンと指でつついてくる。
先ほどの約束を守れ、ということかとすぐに理解し、私はスマホをインカメにした。
いつも見るランと少し疲れた顔をした私が一つの画面に収まる。
普通のことなのに普通じゃないことに感じてしまう。
一緒に映るランの顔が綺麗で、一緒に映りたくないと思ってしまった。私は写真を撮らずにスマホの画面をロックすると、ランはびっくりするくらい悲しい顔をしていた。
「撮ってくれないの?」
「ランがかわいすぎて一緒に映るの嫌になった」
「優織って変なところ意味わかんない」
ランはかなりむっとした表情をして、自分のスマホを出していた。私の肩はぐっと強く抱き寄せられて、シャッター音が辺りに響く。
「ふふっ。優織とのツーショットゲット」
「私と写真撮って楽しい?」
「私だって思い出つくりたいの」
ランは恥ずかしそうにそんなことを言っていた。頬を赤く染める少女のせいで、こちらまで恥ずかしくなる。
しかし、そんなのがどうでもよくなるくらいランが私たちと赤い広葉樹が写る写真を見て、喜んでいるから私まで嬉しくなっていく。
「勝手に撮ったこと怒らないの?」
「ランが嬉しそうだからいいかなって思った」
「優織ってほんと優しいよね」
「そんなことないよ」
「優織の名前ってほんとに優織に合ってると思う」
私の名前には確かに“優”という漢字が入っている。
両親が優しく美しい子に育って欲しいと願って付けたらしい。
私はその期待に添えていただろうか。
きっと、両親の期待に応えられるような人間ではなかった。そう見えるように頑張る日々でいっぱいだった。
当時のことを思い出すと少しだけ息苦しさを感じる。
沈鬱な気持ちになっていたが、ランはすぐにそういうことに気がつくので、彼女が気がつく前に気持ちを切り替えた。
「ランって漢字どう書くの?」
名前の漢字なんて今まで気にしたことはなかったので聞いてみた。
ランは眉を上にあげた後にバッグの中に手を入れてゴソゴソとものを探していた。小さなメモ帳とペンが出されて、そこに文字を書き始める。
「こう書く」
小さなメモ帳には端正な字で『
「美しい漢字だね。
「そうかな……」
「うん。だって、光が当たると藍の髪って藍色みたいに綺麗じゃん」
ちょうど太陽の光が彼女の髪に当たり、藍の髪色は真っ青で綺麗な透き通った色になっていた。
そんな青色とは反対に彼女の白い肌はモミジのように赤く染まっていく。
「ありがとう……」
「うん。あと、藍ってめっちゃ字が綺麗だね」
私は彼女の書く文字に感動してしまった。
書道の先生が書きそうな字だ。
字が綺麗な人ってそれだけで大人びて見えてしまう。
「嬉しい。ありがとう」
藍は恥ずかしそうにメモ帳を握っている。褒めると素直に受け取ってくれる藍のことも好きだなと思った。
私たちは紅葉の綺麗な公園で昼食を済ませて住宅街に降りた。
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