第7話 福井県福井市

 ●九月十八日(残り七十七日)

 


「今日も疲れたー!」


 私はぼふっとベッドの上に転がる。

 ランは寝転がる私の横に腰掛けてきた。


「優織、だいぶ漕ぐの慣れてきたね」

「ほんと、最初の方は足パンパンでちぎれるかと思ってた」


 私とランが出会って、早いもので一週間が経過しようとしている。


 自転車で旅をするこの生活に少し慣れて、ここ数日で私の足はかなりの成長を遂げていると思う。しかし、私の故郷まではまだまだ遠く、現代の公共交通機関のありがたみを感じた。


 今日も私の胃はランの作ってくれたご飯で満たされている。

 

 私がランの手作り料理を食べて感動した日から、彼女は作れる日はご飯を作ってくれるようになった。


 私は「負担になるからいい」と伝えたのに「それでは健康に悪い」と怒られて、今もそれは続いている。


 私的には、毎日おいしいご飯が食べれるので喜ばしい話になるのだが、ランにとっては何もメリットがないと思う。

 そんなことを思いつつも、なんだかんだ私は彼女の優しさに甘えていた。


 ベッドに腰掛ける少女からはふわふわとお花の匂いがする。


 私と一緒に旅をしていて、同じシャンプーや洗剤を使っているのだから同じ匂いがするはずなのに、なんで違う匂いがするのか不思議だった。


「移動することばっかりで、優織のやりたいこと全然聞いてなかった」


 ランが珍しく少し顔を青ざめている。

 変なところを気にする少女だ。


 ランは私のしたいことをなんでも叶えようとしてくれる。できないこともあるけれど、できることは全力でやってくれようとするのだ。


 それもこれも全部、私を元の世界に戻すため。


 どんなにランが親切に接してくれたって私の気持ちは変わらないと言っているのに、ランはそれでいいと言う。


 私は頭を巡らせるまでもなく、今日は一つだけ、どうしてもやってみたかったことが頭に思い浮かんでしまい、今日も彼女に甘えることにした。


「夜のコンビニって背徳感ない?」

「なるほど。いいね、行こうか」


 ランは優しい笑顔を私に向けて、手を引いてくれるので、パジャマのまま外へ出た。


 秋の始まりで夏の暑さの落ち着いてきたこの時期は、夜に外に出るとちょうどいい気温だった。しかし、今日は少し風が冷たい日だったようで、風が当たると体がぶるりと震える。


 ランはその様子を見逃さなかったようだ。


「私のカーディガン羽織る?」

「そしたら、ランが寒いじゃん」

「私は元気いっぱいだからいいんだよ」


 自慢げな表情で自分の羽織っているカーディガンを脱ごうとするので、私はそれを抑えて首を横に振った。


 ぽかんという顔していたので「大丈夫」とだけ伝えると、少しだけ残念そうにしている。

 

 数日過ごしただけなのに、ランは私の少しの変化に気がついてくれる。


 それだけのことが私にとっては嬉しかった。


 こんなに私のことを見てくれたり、大切にしてくれる人は誰もいなかったから――。


「ランって人のことよく見てるよね」

「そう?」

「うん」


 私は恥ずかしくなって彼女の顔を見れなかった。ランのそういうところが素敵なところで、尊敬していると言いたかったのに、言葉に詰まってしまう。


「優織だからよく見てるんだよ」

「へ……?」


 あまりにも唐突な彼女の発言になんて言えばいいのかわからなくなってしまった。


 こういう時に秋の鈴虫なんかが鳴いててくれたら、私たちのこの気まずい雰囲気をもう少し和らげてくれたのだろう。しかし、この世界ではその助け舟すら出ないようだ。


 私の足音とランの足音が心地良いわけでも、心地悪いわけでもない音として耳に流れてくる。

 

 ランの方をちらっと見ると地面を見ていて、こちらの方は見てくれなさそうだったので、私はそのままコンビニに向かうしかなかった。


 店内に入ると来店の明るい音楽が流れる。


 もちろん、「いらっしゃいませ」の声は聞こえない。


 元の世界では当たり前過ぎて、挨拶をされてもなにも感じていなかったが、当たり前のものがなくなるというのは恐ろしいほどその事実を突きつけてくるらしい。


「そういえば、優織はコンビニ来て何したかったの?」

「夜のコンビニに来るってことが楽しいんじゃん」


 私がニヤッと口角を上げてそう伝えると、ランは少し驚いた表情をしていた。

 

 今は夜の十二時だ。


 私の両親は厳しい人たちで、そんな時間に外に出たことがないので、悪いことをしている今この瞬間に心躍っていた。


 私は静かな店内を三週くらいグルグルと回る。


 ランはその後をついてくる。

 そんなおもしろい光景に心は愉快になる。


 一人で笑い声を漏らしていて、絶対変な人になっているのに、ランも声を漏らして笑っていた。

 

 どうやら、今日の私はどこまでも悪い子になれるらしい。


 もう一つ悪いことを思いついてしまった。


「ラン! 質問です! 夜のコンビニに来て、最後にすることといえばなんでしょう」

「優織みたいに不真面目じゃないからわからない」

「なっ!」


 私のふざけた行動に思ったよりもノリの悪いランに突っ込まれる。しかし、ランはすぐに表情を変えて楽しそうに話し始めた。


「やっぱり、夜のコンビニに来て、最後はアイスを食べるまでが流れじゃない?」

「よくわかってるじゃん」



 今日は暑い日ではない。


 こんな日にアイスを食べたら、体が冷えて次の日に体調を崩してしまうかもしれない。


 しかし、私たちの“ちょっと悪いことをしたい”欲は誰にも止めることができないらしい。


 そんな必要もないのに、アイスボックスの前に駆け足で駆けつけ、私たちは種類豊富なアイスたちを見下ろす。


 向かいにいるランの顔を見ると、目がきらきらとしているように見えた。


 私はランと生活を始めてから、ずっとわがままを聞いてもらっていると思う。たまにはランの好きなことを優先してほしいと思ったのだ。


「ランはどれがいい?」

「優織の好きなやつ」

「だめ。ランの好きなやつにしよう。私も同じの食べる」

「なんで……?」

「ランはいつも私のこと優先してばっかりだよ。嬉しいけど、一緒に旅してるんだからランのことも大切にして」

「……うん。ありがとう」


 私は言いたいこと言い終えるとすっきりして、アイスなんか食べなくてもいいや、なんて気持ちになっていた。


 なんとなく、ランと旅をしていて息苦しかったのはきっとそういうことなのだろう。ランと対等でありたいのに、私ばかりの意見が優先されることが嫌だったのだと思う。


 はっきりと自分の意見を言って、分かり合える人が元の世界にもいたのならば、私はもう少しあの世界でも生きたいと願えたのだろうか――。


 そんなありもしない世界を想像するようになっていた。


 ランには好きなものを選んで欲しいと思いつつ、私だったら何を選ぶかなとアイスケースに視線を落とす。

 

 ランが「これにしよう」と指さしたのは二つに割って食べるアイスだった。


 彼女らしい。


 ランは狙っているのか、無意識なのかわからないけれど、私の嬉しいことをいつもしてくれる。

 

 私が「選べ」と言われたら、そのアイスにしていただろう。

 

 理由は簡単だ。


 このアイスケースに並ぶ、他のアイスはいつでも食べれるけれど、ランが選んだアイスは“ふたりいないと食べられない”アイスだった。


 結局、ランの好きなものにしようと言ったのに、私が好きなものを選んだ気分になってしまう。


 私はレジの前でお辞儀をして、アイスを持って外へ出た。


「優織って真面目だよね」

「さっき不真面目って言ったじゃん」

「あれは冗談」

「そうなの?」

「うん。優織のそういうところ素敵なところだと思う」

「そんなことないよ」


 ランはなんで私のことをこんなにも褒めてくれるのだろう。


 なぜ、なんでもしてくれるのだろう。

 

 それもこれも全て、私に元の世界に戻ってほしいからなのだろうか?


 私はランが褒めてくれるこの性格が好きではない。


 実際、この馬鹿げた性格のせいでいじめられるようになった。


 あの時の自分の行動を後悔しているかと言われると全然そんなことはないけれど、もう少しいじめる側のことも考えた言い方があったのかもしれないと後悔もしている。


 誰も苦しまないコマツさんの救い方が何かあったのでは……と考えると苦しくなる。


 今更、後悔してもしかたないことばかりが浮かぶので、私はその考えを引き裂くようにアイスを二つに割った。


 半分にしたアイスをランに渡し、私たちは近くの公園のベンチに腰掛ける。


 冷たすぎるアイスに歯を立てると、キーンという音が頭に響いてきた気がした。やはり、この時期のアイスは間違えていたかもしれない。


 ランも眉間に皺を寄せてアイスを頬張っている。口の中がキンキンに冷えていき、その冷たさは私の喉から胸、そして体全身へと広がっていく。


 今日、二回目のぶるりという感覚が体を震わせて、おもしろくて笑みが溢れてしまった。


 きっと、またランに心配される。

 そんな気がした。


「優織、大丈夫?」

「ちょっと寒い」

「そっか」


 私の予想は的中し、ランに心配されたようだ。


 しかし、それだけではなかった。


 ランは沈黙の後に私の右半身に体を寄せてきた。


 違う意味で今日三回目のぶるりという反応が体に広がる。いや、びくりの方が正しい表現だったかもしれない。


 私はまるで獲物に見つかった小動物のように固まってしばらく動けないでいた。


「ラン……?」

「これなら暖かいかなって――」


 ランはいつの間にかアイスを食べ終わっていたようで、片手にアイスの棒を持ってだらんと腕を下に垂らしている。


 もう片方の手は私の腕に回っている。


 別に元の世界でも友達とこんな距離にいたことはある。だから、何も意識することなんてないはずなのに、心臓がドクドクと私の頭の中で鳴り続ける。


 きっと、しばらく誰にも会っていないから、久しぶりの感覚に心が反応しているだけなのだろうと思うことにした。


 ランは無言で私から離れてはくれない。


 ランが腕を回すから、彼女と触れている部分は暖かさが広がっていく。



 彼女のこの行動に自分の中で一つだけ引っ掛かりを感じた。


 案内人のランは他にも迷い込んだ人がいたら、みんなにこういうことをするのだろうか?


 それはなんか……嫌だ……。


 

「ランって他の迷い込んだ人にもこういうことしてたの?」

「しないよ。優織だけ――」


 その言葉を期待したはずなのに、思わぬ言葉に返り討ちにあった気分だ。なんでランがそんなこと言うのかわからない。


 そういえば、ランは私のことをよく見ていてくれて、私のことを色々と聞いて、私のことを知ろうとしてくれるのに、私は彼女のことを何も知らないのだと気が付かされた。


 数ヶ月と少ない時間しか関わることがないはずなのに、ランは私を元の世界に戻してくれようと努力している。


 その日、私は深く反省した。


 私もしっかりと彼女のことを知る努力をするべきだと……。


 たとえ、この短い期間しか関わることのない少女だったとしても、ランはこの短い旅のパートナーで、私の人生の最後の友達と呼べるような存在になるのだろう。


「ランのこと色々教えて?」

「答えられる範囲ならいいよ」


 何も教えてくれないわけではないと感じられるその回答に安堵した。


 身を寄せてくるランに私もそっと寄り添って頭を乗せる。


 アイスで体が冷えたから仕方なかったと思う。

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