第8話 福井県坂井市①
●九月二十三日(残り七十二日)
「ランの好きな食べ物は?」
「ご飯もお菓子もなんでも好き」
「特に好きなのは?」
「たこ焼きかな」
「今度、たこ焼き一緒に作ろ」
「いいの?!」
「ちゃんと前見て漕いで!」
まあ、危ないものも遮るものも何もないのだから、前を見なくたって危なくないのだけれど、なんか気恥ずかしくなったのでランを叱った。
ランはしゅんとした表情になった後に唇を尖らせて、ふてくされた顔で前を見ている。
最初の頃よりもだいぶ色々な表情が見れるようになったと思う。
「ランって好きな景色とかある?」
「最近、質問多すぎじゃない?」
「だめ?」
「だめじゃないけど……」
私はやりたいと思ったことに対して、とことん追求するタイプだ。
残りの人生を彼女と旅して終わることに決めた。そして、この短い期間で彼女のことを沢山知る努力もしたいと思っている。
今日も私のわがままのために、ランは私の横で自転車を漕いでいる。
自分の仕事を邪魔されて、だいぶ寄り道をしているのに随分律儀な案内人だと思う。
私はいつもよりも力強くペダルを漕いだ。
胸が期待感で高まっていたから、より力が入ったんだと思う。
目的地について、自転車を投げ捨てるように置き、パンパンになったはずの足に力を込めて走り出す。
人のいない屋台が立ち並ぶ中をくぐり抜けると、目の前には巨大な柱上の岩が立ち並ぶ景色と広大な海が広がっていた。
海の上に柱で作られたお城が浮かんでいるように見える。
その光景に息が止まり、心拍数が一気に引き上げられた。
波が何度も岸壁にぶつかる音が騒がしいのに心地良い。それ以外にも風の音がぴゅーぴゅーと響いている。
私に追いつくようにランも駆け寄ってきた。
「すごい。綺麗だね」
「うん――」
私たちはそのまま歩き出した。
巨大な高さの違う柱の一個一個に一歩一歩足を乗せていく。
柱同士の隙間はしっかり埋まっているため、危なくはないが、端の方まで来ると一歩先は崖で、真下は真っ青な海が広がっていた。
かなりの高さがあり、落ちた時に訪れるであろう未来を想像して、恐怖心から背中に汗が滲む。
「優織、危ない」
私はよっぽど身を乗り出していたのか、ランに手を引かれた。
「これ、
「優織、私の話聞いてる?」
ちょっと怒り気味にランが手を引いてきたので、大人しく彼女の言うことを聞こうと心掛ける。
私が危ない位置から離れると、ランは「ふー」とため息をついていた。どうやら今日も案内人に迷惑をかけているらしい。
「それで? チュウジョウ? なんだっけ……」
「
ランは全然わからないという顔をしていた。
私も自分の説明が適当で意味がわからないと思っている。
しかし、出来上がった過程も大切かもしれないが、今はこの神秘的な光景を純粋な気持ちで楽しめばいいじゃないかと思った。
私は崖のぎりぎりの所まで来て、綺麗な空気と風と景色を感じる。
ランにスマホを渡し、「私と景色を撮って」とお願いしながらピースを構えると、ランはクスクスと笑いながらすぐにシャッターを切ってくれた。
今度はそんな笑顔な少女の肩を押して、私の立っていた場所にランを連れていく。
私は何も言わずに彼女にスマホを向けて、少しあほな顔をしたランをカメラに収めた。
撮り終わると、ランは目を丸めた後に眉間に皺を寄せていた。
「聞いてない」
「いいじゃん。それよりもっと遠くに行こう」
「ちょっ……」
私はスマホを構え、何枚も周りの風景の写真を撮る。
ランと故郷に帰るまでの道のりでしたいことの一つに『綺麗な景色を沢山見る』というものをリストに入れた。
理由は簡単で、せっかくこんな遠く、私が大人にならないと来れないようなところまで来ているのだから、故郷に戻るついでに日本の未知の場所を発見したいと思ったのだ。
生まれてからずっと県内で生活していたせいか、通り過ぎるだけの街ですら、新鮮な景色となる。
ランにいろいろな景色が見たいと提案すると快く受け入れてくれたのだ。
私たちは急いで本屋に駆けつけて、観光マップや観光の本を広げた。
行きたいところや気になるところに印をつけて、時間の許すかぎりはいろいろ行くことに決めている。
その第一歩がここだ。
疲れているはずなのにびっくりするくらいその場所を歩き回っていたと思う。
あまりにも長い時間そうしていたので、足に限界がきて、近くの原っぱに腰掛けた。
そこで、いつものようにおにぎりを頬張る。
隣の少女もモグモグと餌を貰ったリスのようにご飯を食べていた。
写真を見返そうとふと思い、スマホの画面をつける。
この世界にきて、電波が繋がらず、データも何も無いスマホなんてなんの役にも立たないと思っていたのに、こんなに重要アイテムになるとは思いもしなかった。
写真フォルダを開くと先ほどの写真が出てくる。
まだ、写真は十枚くらいしかない。
それでも、心は“嬉しい”という気持ちで満たされていた。
この間、高速道路から見えた遥か彼方まで続く日本海の写真や今日の写真。そして、私が自転車を止めて、前を走る少女の背中姿なんかも写真に収めた。
なにもおかしくないのに、その写真を見てくすりと笑ってしまう。
「何見てるの?」
「ランが頑張って自転車漕いでる写真」
「そんなの恥ずかしいから消してよ」
ランが私のスマホを取ろうとするので、私はスマホを死守した。
せっかくいい写真が撮れたのだから、それを消されるのはいやだ。
ランと芝生の上でもみ合っているとバランスを崩して、ランを押し倒す形で彼女の上に覆いかぶさってしまう。
ランはどんと背中を芝生につけていたので、痛かったと思う。
「ごめんっ……」
「ううん」
ランの顔がいつもより近くにあって、ドクンとなにかが鳴る。
少し動けば顔のどこかがぶつかってしまいそうなほど近かったと思う。
私はなにを思ったのか、彼女の顔を見つめ、そのまま無意識にランの頬に手を伸ばした。
この時、ランが私の頬に触れたいと思う理由も同じなのではないかなと、なんとなく思ってしまった。
胸の奥底にあるふわりとした感情――。
「ランって顔整ってるよね」
「な、なに?! 急に!?」
確かに急過ぎる。
しかし、私の手は止まることなく、そのまま優しく彼女のまぶたを撫でた。
長いまつげがふさりと私の指に当たって、くすぐったい。
私よりもランの方がくすぐったそうにしているので、手を移動させることにした。
目にかかりそうな前髪を横に流すように触る。
やっぱり、綺麗な顔立ちだ。
そんな考えに夢中になっていると、少女はみるみる顔が赤くなっていく。肌が白いから頬が赤いのがとてもわかりやすい。
「優織の変態」
「え? 私なんかした?」
ランは私の肩を押して、ぐっと起き上がる。
わざとかと思うくらい私の座っている場所と逆方向を向いて、こっちは見てくれなくなってしまった。
私たちの間には出会った頃に多かった気まずい雰囲気が流れる。
これにもだいぶ慣れてきたと思う。
この沈黙もランが隣にいるのならば嫌ではない。
しかし、それにしたっていつもより沈黙が長すぎるので隣を見て彼女の様子を確認した。
ランは先ほどの頬の赤さが耳まで伝播していて、私の行動がえらく恥ずかしいものなのではないかと思えてしまった。
「ごめん……」
なにが悪いのかも分からず、このタイミングで言うのはおかしい謝罪をした後も沈黙が流れた。
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