第27話 山形県鶴岡市
●十一月二十二日(残り十二日)
「もうすぐ、優織の故郷に着くけど、何したい?」
「何したいかぁ……」
今までは、故郷の海が見たいという理由だけでかなり険しい道も乗り越えてきたと思う。
先ほども信じられないくらい過酷な山を登ってきた。あのような上下に移動する道も少なくなってくると思うと少し寂しい。
私の白い自転車はあちこちに黒い汚れがついていて、とても数ヶ月の使用感だとは思えない。
何故かそんな自転車を誇らしげに思う。
ここまで私が折れずに来れたのは、この自転車と目の前の少女のおかげだろう。
そして、故郷の海だけが見たかった私は他に行きたい場所ができた。
「学校と自分の家に行きたい」
誰もいない学校ならば少しばかりトラウマを克服できるかもしれない。
そして、家も同じ理由だ。息苦しかった家も誰もいなければ居心地のいいものになるのではないかと思っている。
藍は理由は聞かずに「わかった」とだけ言って自転車を漕いでいた。
こうやって二人で横並びで自転車を漕いでいく生活も終わる。
だから、私はそれを噛み締めるようにペダルをふむ足に力を込めた。
今にも雪が降りそうな寒さの中、隣の少女の鼻は赤かった。それが愛おしく目を離せなくなる。
「優織さん、前見て漕いでくださいね」
「藍の鼻が赤くて、赤鼻のトナカイさんみたいだなって」
「もうすぐクリスマスだもんね……」
私はその言葉に何も言えなくなった。体に刻まれている時間を見ると、この世界には十二月三日までしか存在できない計算になるので、クリスマスを彼女と一緒に過ごすことはできない。
クリスマスなんてやってこなくていいから、時が止まって欲しい。
叶うはずのない思いが込み上げてくる。
私はそんな気持ちを抱えたまま、その後も飽きるくらい自転車を漕ぎ続けて、立派な旅館の立ち並ぶ街に出た。
今日は温泉街に泊まるらしい。
温泉。
温泉……。
温泉……?
別になにもやましい気持ちはない。そのはずなのに、部屋に入る時にはなぜか心臓がばくばくしていた。
藍は「疲れたぁ」と言って畳の部屋に寝転がっている。私も真似して彼女の横に寝転がることにした。
「優織、温泉入ろ?」
「先入っていいよ」
「一緒に入ろ?」
「……やだ」
「なんでよ!」
むっとした表情で藍はこちらを覗いてくる。
彼女とお風呂に入り、のぼせて、裸を見られたという恥ずかしい出来事をもう繰り返したくない。
なにより、今は両想いだと分かっていて、私が藍に何をするか分からなかった。
「藍になにするかわからないよ?」
「優織だったら何されてもいいよ――」
「へ?」
藍は私から目を逸らして、ちょっと赤くなった頬を膨らましている。
彼女の表情に私の欲が掻き立てられる。
その欲に重石を乗せて、何とか平常心を引きずり出した。
別に温泉に入るなんて、なにもやましいことはない。
そう自分に言い聞かせて私は深呼吸する。
「優織ってわかりやすい」
笑い声を漏らしながら隣に寝転がる藍は嬉しそうだった。ちょっと馬鹿にされている気がするけれど、彼女の笑顔が見れたからそれでいいかな、なんて思っている。
藍はよく笑う子だ。
最初の頃は緊張していたからか真顔や不気味な笑顔が多かったが、今はこぼれるように笑う。
私に心を許してくれているのかなと思うと胸の辺りにじんと温まる感情が湧いてくる。
「藍、よく笑ってくれるようになったよね」
脆いものに触れるようにそっと彼女の柔らかい頬を撫でた。
藍のすべすべの頬はとても色が変わりやすい。そして、藍のその反応を見ると、私の気持ちは明るくなる。
「藍もわかりやすいね」
「優織のいじわる」
彼女は恥ずかしさを隠すようにぼふっと私に覆いかぶさってきた。ちょっと痛かったけれど、この痛みすらも愛おしい。
「温泉入ろっか」
「うん!」
私たちは温泉に向かうことにした。
脱衣所に着くと、藍はこっちのことなんてなんにも意識せずに服を脱いでいる。
だから、私も気にしていないふりをして、彼女に若干背を向けながら服を脱いで、タオルを体に巻いた。
すぐに中に駆け込みシャワーで体を流す。
奥にある扉を開けるとあまりにも豪華すぎて、入ることを躊躇ってしまうほど綺麗な露天風呂があった。
綺麗な木々が立ち並び、辺りは暗くなっていて薄ら寒い。
藍はまだきていないようで、私が一番乗りだ。
ゆっくりと足を伸ばし、足先を水面に付けるとじんという熱さが皮膚に伝わる。
最初は熱くて体がびっくりしていたけれど、徐々に体が慣れていき、気がついた時には肩まで温泉に浸かっていた。
最初は調和しなかったはずの私の体温と温泉の温度はあっという間に馴染み、体の境目がわからなくなるほど気持ちいいものになっている。
そんな気持ちいい状態でお風呂に浸かっていると、小柄な少女もちゃぷんと私から少し遠いところに浸かっていた。
彼女が近くに居ない方が私の心の安然を保てるはずなのに、なにか嫌だった。
「藍、こっちおいでよ」
「……うん」
藍はそろそろと私の方に近付いてくる。私は彼女の顔を見れなくて、視線をくっきりと浮き出る鎖骨辺りに落としていた。
「優織ってやっぱりえっちだよね」
「ちょっ、ちがうよ!」
彼女の顔を見れなかっただけなのに、変な勘違いをされてしまい、とても焦っていたと思う。
「好きなの……?」
「はい……?」
そこでやっと藍の顔が見れた。私より少し長い髪がひとまとまりになり片側の肩に乗っかっていて、首筋がよく見える。
ドクドクと心臓とお話する時間がやってきたようだ。
「藍のこと好きだよ……」
「違くて、私の胸のこと」
「い、いや! 見てないってば!」
この焦り方が余計彼女にそう思わせてしまうのかもしれない。
私は一度、心を整えようと目をつぶった。
視界が暗くなると余計な煩悩がどんどん体の外に出ている気がする。
瞑想ってこんなにも大事なんだ……。
心が落ち着き、心臓との会話も終わり、目を開けようと思ったのに、藍が変なことを言うせいで目を開けられなかった。
「触ってもいいよ」
「ふぇ?!」
あまりにもおかしな声だったと思う。おかしいというか、この世のものではないような声。
しかも、目も開けずに……。
ただの変態でしかないと思う。
目をつぶっているせいで、温泉の温度が肌でより感じられるのだが、さっきまであんなに温泉が熱いと思っていたはずなのに、今は同じかもしくは少しぬるいくらいに感じている。
幸い、露天風呂なので外に出ている顔は冷やされ続けて、のぼせるという自体は避けられているようだ。
私はそっと目を開けた。
しかし、そのことに後悔する。
目を開けると色気はあるのに、頬を膨らましている、美しいとかわいいを兼ね備えた人物がそこにいて、頭がくらりとする。
私がこの状況についていけないのが悪いのだけれど、それで彼女を不安にさせるのは違うと思い、熱で機能が低下している頭をのろのろと動かす。
「藍の体は触りたいって思うよ。でも、藍に嫌われたくない」
羞恥心を捨てて本音で話してしまった。しかし、後悔はしていない。思ったよりも藍の顔が想像よりも火照っていたからだ。
いつも私ばかり余裕がないところを見せているので、そんな藍は新鮮だった。
「優織の変態……」
「変態な私は嫌い?」
「どんな優織も好き――」
とん、と私の肩に頭を乗せてきた。
その行動が愛おしくて私の胸がぎゅっと苦しくなる。
「私もどんな藍も好きだよ――」
こつんと彼女の頭の上に頭を乗せて、その後も少しだけ温泉に浸かって、二ヶ月半以上の長旅の疲れを癒す日になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます