第21話 新潟県上越市④

 ●十月二十九日(残り三十六日)

 


 今にも動き出しそうなマネキンの間を恐る恐る通りながら、キョロキョロと辺りを見渡し、目を凝らす。


 奥の方に何個も縦長の個室があり、私の予想は確信に変わっていく。


 全く物音がしないこのフロアの音に馴染むように、そろそろと足を動かしながらその場所に近づいた。


 近づくなり、勢いよくカーテンを一部屋ずつ開けていく。


 一つ、二つ、三つ……。


「あれ、いない……」


 私の確信に近い予想は外れてしまった。

 じゃあ、どこだ……?


 自分の予想が外れたことと、他に代替案が浮かばないことに焦りを覚え、辺りの静けさがより私の心臓の音を速めていく。


 私は急いでその服屋を出て、他の店を横目に歩き回る。


 なにかの不安に駆られて急ぎ足になっていた。


 チリチリチリチリ!


 私のスマホのアラームが鳴り、私の気分はどん底まで下がっていく。


 かなり自信があった分、成功できなかったことにショックを受けた。


「ふっふー! 私の勝ちだね」

「く、くやしい……」


 私は悔しすぎてその場に膝をついてしまう。


 今日はデパートで壮大なかくれんぼをしていた。


 いつだかテレビで制限時間内に鬼から逃げ切れば、賞金がもらえるという番組を見て、自分も参加してみたいと心を膨らませていたと話したら、藍が「二人でやろう」と提案してくれたのだ。


 最初は私が鬼で藍が逃げる役。


 制限時間は二十分で、三階だけのフロアの中でかくれんぼをするという、難易度はそこまで高くないはずなのに、私は彼女を見つけることができなかった。


「ちなみにどこに隠れてたの?」

「量り売りお菓子屋のレジの下だよ」

「えっ……」


 このフロアにお菓子屋なんて一つしかない。

 さらに、ガラス張りで中が丸見えの店で、人目見ただけで隠れられる場所なんてないと思っていた場所だ。


「隠れるところなくない?」

「実はかがんで少し身を隠せる場所があるんだよ」

「そんな……」


 ちゃんとチェックしてた場所なのに、藍を見つけられなかったことに衝撃を受ける。自分の負けを素直に認められなかった。


「藍はチビだから隠れやすいよね」

「チビは失礼! ちょっとしか変わらないじゃん」

「五センチも違うよ」

「そんなの誤差だよ」


 頬をむっと膨らます少女の頭を撫でてなだめる。

 しばらくすると機嫌が治ったのか「続きやろう」とやる気に満ち溢れていた。


「次は藍が鬼の番だね」

「制限時間短くしようか?」

「私のことなめすぎじゃない?」

「でも、たぶん優織のことすぐ見つけられるよ」

「藍っていつも意味わからないところ自信あるよね」

「まあね。じゃあ十分数えるね」


 私はうんともすんとも言わず、急いで自分の隠れる場所を探しに行った。


 この階のことは熟知しているつもりだ。さっき、藍のことを探しながら、自分が隠れる時のための場所も探していた。


「ふふ。きっと見つからないぞ」


 かなり自信があった。


 先ほど、店と店の間に抜け道的なものを見つけて、その先にある扉が非常階段につながっていたのだ。扉を空けてそこに隠れていれば、きっと見つからない。立ち並ぶ店の中に隠れないのは少し卑怯かもしれないけれど、このフロアであることに間違いはないので、反則ではない。


 そろそろ藍が出発する頃だろう。

 ここから二十分。

 私はくすくすと笑い声を抑えながら彼女を待つことになる。


 そうなるはずだった……。


 

「みーつけた!」

「なんで……」

「優織のことはお見通しです」

「納得いかない!」


 負け惜しみなんて子供じみているかもしれないが、自信があったので納得いかなかった。しかも、彼女は十分足らずでこの場所を探し当てた。


 きっとたまたまだろう。

 まぐれに決まっている。


「もう一回」

「だから、制限時間短くしようかって言ったんだよ?」

「いい。次は見つかんないから」

「ふふ。じゃあ、十分数えるね」


 私はまた彼女を無視して走り出していた。


 これでは、テレビに出てあの番組に参加したいと言った私が恥ずかしい。こんな簡単に見つかってしまっては馬鹿みたいではないか。


 しかし、結果は驚くほど残酷で先ほどよりも早く見つかってしまった。


「藍、なんかずるしてない?」

「するわけないじゃん。しかも、どうやってずるするの?」

「GPSとか私につけてない?」


 藍は目を丸くした後、あははと声を上げながら笑っていた。


「じゃあ、四階もありにしてあげる」

「なんかむかつくけど、余裕な顔してられるのも今のうちだからね」

「はいはい」


 私は藍がスタートと言う前に駆けていた。


 こんなはずではなかったと焦り、もうどこに逃げているかもわからない。


 四階はいくつかの店とシアターのフロアになっている。なぜか、私は引かれるようにシアターの中に入っていた。


 人がいないのに映画が上映されていて、少しばかり不気味さを感じる。


 一から十まであるシアターを順々に見ていくと、一つだけ気になる映画が目に止まった。


『“愛”についてあなたはどう思いますか?』


 そんなキャッチフレーズだった。


 一枚パンフレットを手に取り、内容を見ると『家族愛』『恋愛』『友情愛』なんかについて主人公たちが考える映画とあらすじに書かれている。


 興味はない。

 

 家族にも友達にも、さらに好きな人にすらも自分の気持ちを隠し、最後まで生きていかなければいけないのだから、こんな綺麗事は興味がない。


 ないはずなのに、体は映画館に吸い込まれていた。


 もちろん、ホールに人がいるわけもなく、貸切状態だ。


 今流れているシーンが、映画の序盤なのか中盤なのか、はたまた終盤なのかすらもわからない。


 こんなに席が沢山あるのだから、中央辺りの見やすい席に座ればいいのに、私は一番前の席に座った。見上げるようにスクリーンを見るので、首は痛く、眩しすぎる画面を細目に映画をぼーっと眺める。


 たかが数十分見ているだけなのに、映画の中のセリフは綺麗事に溢れていて、吐き気をすら覚えた。 


 “愛”なんて、綺麗事の世界にしか存在しないと思っている。


 私の家族も友達も私のことを好きと言ってくれた。しかし、それはが好きなだけで、を好きでいてくれる人なんていない。

 


『そんなこと言わないで。必ず、あなたの全てを受け入れてくれる人はいる。そして、あなたが愛したいと思う人も必ずいるの!』


 うるさい――。

 そんな人居るわけがない。


『うるさい! なんの根拠もないのにそんな綺麗事並べないで!』


 そうだ。彼女の言う通りだ。


『私はあなたを愛しているから』

『その気持だっていつなくなるかわからない』


 そうだ。


 本当の自分を知ったら、みんな離れていくんだ。

 

『信じられないかもしれないけれど、信じて欲しい。これから証明してみせる。私はあなたの全てを愛してる』

『うるさい!』


 うるさい。

 うるさい。

 うるさい……。




「優織、みーつけた」


 私の尖った気持ちとは真反対の柔らかなその声にはっとして勢いよく顔を上げると、藍の顔と私のおでこがゴチンとぶつかる。


「優織……勢いよく顔上げすぎだよ」

「藍こそ、顔近すぎ」


 さっきまで内蔵が握り潰され、空気の通り道も感じなかったはずの体に、藍の香りと映画館の少し埃っぽい空気が流れてくる。



 なんで私の頬には熱いものが流れているんだろう……。


 藍は驚いた表情をしながらも、そっと私の頬を拭ってくれた。


「なんで、私のいる場所がわかるの……」

「なんでだろうね」


 藍はいいとも言っていないのに、私の隣に腰掛けて、私の手を握ってくる。


 藍が現れて映画から離れたせいで、今の状況がよくわからなくなっている。さっきまであんなに酷い喧嘩をしていた二人はいつの間にか手を繋いで寄り添っている。


「これ、いい話だよね」

「藍は見たことあるの?」

「うん。愛について深く考えさせられる」

「藍は愛についてどう思うの?」


 私は無意識に彼女を握る手に力が入っていた。


 なんて答えを期待したかはわからない。


 わからないけれど、何かを期待していた。


「その人の良い部分も悪い部分も愛おしくて、自分よりもその人のことを大切にしたいと思えることかな」

「そんな人現れないよ……」


 あまりにも態度が悪かったからか、藍は何も言わなくなってしまった。


 今の私はあまりにもひねくれていたかもしれない。

 しかし、これが本音だ。


 そんな桃色の綺麗な世界は存在しないと思っている。


 友達どころか、血の繋がりのある家族ですら、私の悪い部分を愛してなどいなかったと思う。


 人間は自分が一番かわいくて、大切で、自分が良ければ大切な人がどうなってもいいと思っているに決まっている。


 私もそうだった。


 そうだったはずだ――。



「私は優織の優しいところも正義感が強いところも子供っぽいところも負けず嫌いなところも全部好きだなって思うよ」

「嘘つき……」

「嘘じゃないよ。だから、これが“愛”なんだろうなって思った」


 藍はどんな私も否定しない。

 最初からそうだった。

 

 今思い返せば、どんなに否定しても拒絶しても、藍は私のことを優しく包み込んでくれた。


 それこそ、ただの案内人ができるようなことではないと思う。


 彼女の言ったとおり、愛がなければできないことなのかもしれない。


 私は彼女のその言葉を信じたかった。



「あ、りが、と……」


 視界は知らぬ間にぼやけていて、嗚咽を漏らすほど苦しくなっていたらしい。


 目からは熱すぎる液体が流れ、しばらく止まることはなさそうだ。


 そうだ。


 彼女は最初から今までずっと私のことを見ていてくれた。私のことをちゃんと見て、どんな部分も受け止めてくれるのは彼女だけだ。


 きっと藍の私に対する愛は“友情愛”に近いものなのだろう。


 それでも良かった。


 この日、私は初めて人に愛されるという感情を知った。


 そして、私も藍の良いところも悪いところも全てが愛おしいと思ってしまう。時に頼りがいがあり、時に頑固でわがままだ。

 でも、どんな彼女も愛おしく、離れたくないと思う。


 藍のためならどんなに辛いことも苦しいことも耐え抜く自信がある。


 きっと、これが私の感じる“愛情”というものなのだろう。


 私にとって都合のいいこの世界はあまりにも残酷だ。


 私はこの世界で誰かを好きになるだけではなく、誰かに愛され誰かを愛する“愛”も知ってしまったらしい。

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