第22話 新潟県柏崎市①

 ●十一月一日(残り三十三日)


  

 カーンカーンと耳に不快だと感じるくらいの音が響く。響いた音が落ち着いたかと思えば、ぶほーぶほーと風の音が耳に伝わる。


 せっかく整えた前髪はオールバックされ、気分ごと後ろに流されていく。


 そんな私の気分とは相反して、藍はあっちこっちと楽しそうに視線を泳がせていた。何をしていても楽しそうな彼女は見ていて飽きない。


「優織! 一緒に鐘鳴らそう!」


 あどけない表情をした少女は嬉しそうに手招きしている。彼女のよく分からない引力に吸い寄せられ、彼女の所へ向かった。


 彼女の握る綱の横には『恋人岬』と書いており、ざっと見て“恋愛成就”のために来る場所だということが分かる。


「藍、ここの鐘の意味わかってるの?」

「そんなのいいから鳴らそうよ」


 いつもより強引な彼女に少しばかり疑問を抱きつつ、彼女の横に並んだ。手を引かれて並ばされたが正しいかもしれない。


 ターコイズ色の柱にぶら下がった黄土色の鐘に繋がるロープを私の手に渡してきた。それを握ると、私の手に重ねるように藍が手を握ってくる。


 私は力を入れていなかったから、藍に振られるままロープが揺れた。


 さっきよりも甲高い音でカーンと辺りに響く。


 藍は頬を赤らめながら嬉しそうにこちらを見ていた。


 そういう私が期待してしまう行動はやめて欲しい。彼女はただこの鐘を鳴らすことを楽しんでいるだけだろう。それなのに私の心は変な期待をしてしまう。


 目の前に青く広がる海を近くのベンチに座りながら眺めていた。


「藍って好きな人いるの……?」


 私は聞かずにはいられなかった。

 恋愛成就のための場所に来て、その鐘を鳴らそうとするなんて、そうしか考えられない。


 そして、私の変な期待を蹴り飛ばして欲しかった。



「……優織はいるの?」

「へっ?」

「優織は好きな人いるの?」


 藍からはいつもの笑顔が消え、真顔でぐっと近づいてくる。


 私を見つめる真っ直ぐな瞳は海の底よりも深い青色で、簡単に引き込まれそうになる。


 このまま好きだと伝えていいだろうか――。


 ぶくぶくと空気が漏れ出し、自分の弱さに溺れそうになる。

 

 残り一ヶ月くらいは彼女と楽しく過ごしたい。それなのに、私の頭の中には「隠しておこう」と「言っちゃえ」の天使と悪魔が存在した。


「いるよ――」

「えっ……?」


 私は彼女を真っ直ぐと見つめて伝えた。


 自分の気持ちがばれたらどうしようという緊張と、気がついて欲しいという願望が浮遊している。


「だれ……?」


 その声はいつもの彼女の声ではなかった。


 あまりにも低く重たい声で、違うところから聞こえてきたのかと思わされるほどだ。


 辺りに人がいるわけもなく、もう一度、彼女の方を見ると酷く険しい顔をしていた。


 私はそのまま肩を押され、ベンチに背中を付ける。


 相変わらず怖い顔をした少女は私から目を離そうとしない。


「好きな人だれ?」

「言えない」

「なんで? 私って信頼できない? 優織、前いないって言ってたよね?」


 もう少し近づけば、キスできそうなほど距離が近い。


 大き過ぎる心臓の音に飲み込まれないように呼吸を整えた。


「藍には関係ないじゃん」

「関係あるよ」


 藍の顔を見上げると、とても苦しそうな顔をしている。何故、彼女の方が苦しそうなのか理解できない。


 次の瞬間、首にギリっとした痛みが走る。

 痛い――。


 全身にぎゅっと力が入る。


 歯を食いしばっても耐えられないくらいの痛みになって、声を出さずにはいられなかった。


「らん!」

「ごめんっ……」


 私よりも藍の方が驚いた顔をしている。


 その後、眉の端を下に落として、噛まれてじんと痛くなった場所を優しく手で擦っていた。


 そのまま彼女の熱くしっとりとしたものが、私の首を優しく撫でる。普通ならば、気持ち悪いし、嫌なはずなのに、私の体は良くない反応していた。


「藍、そういうこと他の人にするのやめなね」


 私にそういうことをするのはいい。むしろ、私は嬉しいと思ってしまう。しかし、この世界に迷い込んだ他の人にもするのならば話は別だ。


 藍が迷い子んだ人にこういうことをたくさんしていて、その内の一人になるのは嫌だった。



「誰にもしないもん……」

「へっ……?」


 私の思考は完全に止まった。


 今日はあまりにも私を勘違いさせる行動が多いと思う。そんな思わせぶりなセリフは言わないで欲しい。


「痛くしてごめんね。消毒しといた」


 なんだ消毒か……。

 私の気持ちはどこまでも落ちていく。


 そうだ。

 期待してはいけない。


 彼女は私のことをそういう目で見ていない。


 そう自分に言い聞かせる。

 


 私は「大丈夫」と言いながら起き上がった。


 私たちの間にはびっくりするくらい風が流れ込んで、それが少し気持ちいいような気持ち悪いような感覚に落ちていく。


「じゃあ、優織の恋愛が成就するようにあれ繋ご」

「へ?」


 藍が指差すのはハートの木の板にチェーンが繋がったものだった。


 明らかにカップルが別れないように二人で繋ぐもののように見える。


「そういうのは付き合ってる人とするんでしょ」

「ここは恋愛成就の場所だよ。そういうの関係ないと思う」


 いつの間にか余裕のない藍はどこかにいなくなっていて、今は冷静でずる賢い時の藍になっていた。


 こうなったら彼女は譲ってくれない。


「はぁ……」

「そんなあからさまにため息つかれると傷つく」

「ごめん」


 藍はいつの間にかその手にハートの板と鎖と南京錠をもっている。


「なにか書く?」

「ううん」


 私たちはそのままきれいな海が見えるところまで近づいた。


 叶うはずもないけれど、願ってもいいだろうか――。


 藍に“好き”と伝えたい。


 全然乗り気じゃなかった私の方が鎖をぎゅっと握って願っていたと思う。


 藍と一緒に鎖をかける。

 

 あなたと結ばれたい――。


 報われることのない想いを胸に、私は自分の心にも鍵をかけた。



「優織の好きな人ってどんな人」 

「教えない」

「けち」


 この世界で好きな人ができるなんて、藍くらいしか考えられないのに、こう伝えても彼女には伝わらないらしい。


 こんな気持ちは迷惑だ。


 そう思うと自分の気持ちをより奥にしまいこむようになってしまった。


 そのはずだった――。

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