第14話 石川県金沢市③
そぞろ歩きを続ける私たちは左右に首を振りながら楽しんでいた。
道の真ん中には人力車が置かれている。
雑誌にはこれに乗ってこの街を観光できると書いてあった。
「元の世界だったらこれに乗って観光とかできたのかな……」
「それって帰れば実現できるじゃん」
私は自分の発言に後悔した。
「実現できなくていい」
ランの言葉に対して、かなり冷たい接し方になってしまった。
別に帰りたいわけじゃない。
これに乗ってみたいと思っただけだ。
私が機嫌を損ねていると頬をつんと触られる。
「すぐ私の頬触る」
「優織が怒ってるときはこれかなって思った」
「怒ってない」
「優織、あれ乗ってよ。私、引っ張るからさ」
「はい?」
ランは人力車の前に駆け寄って、準備している。
「疲れるし、私重いからいいよ」
私より少し背の低い女の子に人力車を引いてもらうなんて話があるものか。しかし、ランは譲らない時の顔をしている。
「交代でこれ乗ろうよ。優織のしたいことはする約束でしょ?」
「そうだけど……」
ランは飼い主の帰りを待つ犬のように、人力車の前で“待て”をしている。
それを断るのはなんか可哀想で、仕方なく人力車に乗ることにした。
椅子に腰かけた瞬間、ぶわっと体が後ろにひっくり返りそうになり「うわ!」と大きな声を出してしまった。
ランは背中からもわかるくらいクスクスと笑っている。
納得いかないけれど、すっと人力車が動き始めるのでなにも言えなくなった。
さっき見たはずの景色なのに、人力車から見える街並みは少し違う風景に見える。
河川の脇にはシダレヤナギが垂れており、辺りの景色をより趣深くする。
前方に視線を落とすと、小さ過ぎる体が人力車を黙々と押していた。
すっとカメラを構える。
カシャっと音が鳴るとピタッと目の前の少女は動きを止めた。
「優織、また写真撮ったでしょ」
「ごめん……嫌だったらやめる」
「いいんだけど、恥ずかしい……」
ランはこっちは向いてくれない。
大して暑くもないのに耳まで真っ赤だ。
いつの間にか私はランの背中に夢中になっていた。辺りの景色なんて全く目に入らず、頑張る彼女の姿から目が離せない。
「ラン、交代しよう」
「うん――」
ストンと人力車を落とすので、今度は前に倒れそうになる。ただ、さっきみたいに変な声は出なかった。
ランが座ったのを見て、私は持ち手の部分をゆっくりと持ち上げる。そのまま、前に押した。
押すことに力は要らないのだけれど、思ったよりも上下にグラグラするので、乗っている人は気持ち悪くなっていると思う。バランスをとるのが難しい。
「これ意外と難しいね」
「真っ直ぐにするの大変だよね」
「ラン、気持ち悪くなったりしてない?」
「全然! むしろ景色楽しんでた」
その言葉を聞いてほっとする。
私は黙々と人力車を押していると、後ろからカシャリと音が聞こえる。
足の動きを止め、振り返り、彼女を睨むとまたカシャリと音がする。
本当は今すぐ彼女からスマホを取上げたい。
しかし、私が手を離せばランが怪我をしかねないので私は動けずにいた。
「ラン、消して」
「いやだよ。優織だって私の写真撮った」
「そうだけど……」
私の後ろには嬉しそうにスマホの画面を見つめる少女が乗っている。
そんな顔をされるから私は何も言えなくなってしまった。
ランってスマホ持ってたんだ……。
私はそのまま人力車を押した。カラカラと人力車の回る音と私のスニーカーが摺れる音、そして、たまにランが「わぁ」と言う声が聞こえる。
それだけなのに明るい気分になるなんて、私は随分変わったなと思う。
一通り辺りを見終わり、人力車を元あった場所に戻し、私たちはまた街を歩き始める。
ランはまた勝手に手を握っていた。
そういえば、なぜデートをしたいと言い出したのだろう。
「なんで、デートなの?」
「なんでも」
「そう……」
なんでランがそんなことを急に言い出したのか分からなかったけれど、理由を聞いても答えてくれないらしい。
ランは急に近づいたり急に遠のいたりする。
それが時々私をとても不安にさせる。
「ここすごいよね。ここ江戸時代からあるんだってよ」
「そうなの? ランって歴史とか詳しいの?」
「ううん。でも、今日優織と来るために調べたんだ」
ニコッと笑ってランはこっちを見てきた。
私の心臓は破裂しそうになる。
ランは理由もないのに私にいつだって優しいし、いつでも私優先に行動してくれる。私はこんなに幸せな思いをしていいのかな、なんて思った。
あんなにもたくさん人がいる現実世界で最後に私を見てくれる人は一人もいなかった。
しかし、この世界にはランと私しかいないのに、ランは私のことを見てくれる。
いや、私しかいないからランは私を見てくれるのだと思う。
きっと、元の世界にいたら私と関わることなんてない人間だったと思う。
常に誰かを大切に思い、大切に思われる。
そんな人だろう。
「ランって変態だよね」
「変態!?」
「うん」
急に私が変なことを言ったからか、ランは驚きを隠せないでいた。
「どの辺りが変態なの?」
「私に優しいところ」
「優織に優しいと変態なの?」
「うん」
ランは「んー」と考えて難しい顔をしていた。そういう真面目に受け止めてしまうところも彼女のいい所であると思っている。
もっと彼女の良い所も悪い所も知りたい。
何に対しても諦めていた私はこの世界でやりたいことがどんどんと増えてしまっていた。
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