第11話 石川県小松市②
片付けも終え、お風呂にも入り、チクタクと古時計が音を鳴らす部屋の中で、私たちはかなりリラックスしてくつろいでいた。
「今日も疲れた」
「優織のせいで余計疲れたけどね」
「えっ」
「冗談だよ」
私のお腹は幸せだと訴えてきている。
先程食べたハンバーグがまだ胃の中にいる。そんな状態で横になった。
ランもぐでーっと床に寝転がっている。
「ラン、ちゃんと約束覚えてる?」
そう告げるとランはビクリと体を震わせていた。その反応が見たかったので、むくむくと嬉しい感情が込み上げる。
「いやだ」
「抵抗しても無駄だよ。勝負に勝ったのは私だもん」
「やだ……」
ランは首をブンブンと横に振っている。
しかし、少しすると諦めたのかただ床を見つめていた。
話は日中の自転車を漕いでいた時に遡る。
私はくだらない勝負を彼女に持ちかけていた。
※※※
「今日の夜、映画見たい」
「いいよ。優織は何かみたいのあるの?」
「ホラー」
私が何気なく話すと、ランはホラーを見ている時みたいな顔で私を見てきた。
ホラーが見たいというのもあったけれど、純粋にランが幽霊的な存在じゃないよな、と確かめたかったのもある。
だって、幽霊が幽霊にビビるなんて面白い話があるわけがないのだから。
まあ、私も幽霊みたいなものなのかもしれないけれど……。
「ホラーだけは無理。一人で見て」
「一人じゃつまんないじゃん」
「違う映画だったら一緒に見る」
「わかった。勝負しよう」
「勝負……?」
「次のインターチェンジまでどっちが先に着くか勝負しよう」
「それ優織の方が強くない?」
慣れるまではランの方が漕ぐのが速かったが、私は運動が得意だったので、この生活に慣れてからはランよりも漕ぐのが速くなった。さらに、彼女よりも体力がある。
「じゃあ、ハンデあげるよ」
「めっちゃ多めにちょうだい」
「わかった」
私は結構な時間の猶予を与えたと思う。数分待ってから出たのに、ランはゴール手前でへばって勝負に勝ったのは私だった。
※※※
いつも笑顔の少女が顔を青くしている。
そんなに苦手なのだろうか。
ホラーが見たいけれど、彼女に無理はさせたくはないので、諦めかけた時にランが私の裾を掴んできた。
「手……繋いでてくれるなら見れる……」
ランが上目遣いでそんなことを言ってきた。
今まで私のことを常に引っ張ってくれるランのそんな姿は珍しくて、無意識に息が止まってしまう。
私はなんて答えていいかわからなくて、黙っているとランの顔はみるみる不機嫌になっていた。
「どうするの?」
「うん。いいよ。見ようか」
ランの気持ちが変わる前にと私はランの手を引いてソファーに座らせる。そして、テレビを付け、ランの横に座った。
すっと手を彼女の方へ伸ばして、手探りで手を探した。
誰かと手を繋いだことなんてないから、どういう流れで手を繋げばいいのかわからない。
誰かと手を繋いだ記憶なんてほとんどない。妹の面倒を見ていた時くらいだ。
どうしたらいいか分からなかったので、恥ずかしいけれど手を探すことを諦め、彼女の前に手を差し出した。
ランはその手をまん丸になった目で見つめた後に小さい手を重ねてきた。
ひんやりとした白く長い指が私の指の間をスライドする。指の終点まで行きついたら、ランはそっと私の手を握った。
握り返す必要なんてなかったのかもしれないけれど、無理やりホラーを見せているのだから、それくらいはしてもいいかもしれない。
私も同じくらいの力で彼女の手を握って、ランの太ももの上に繋がった手を置いた。
手に心臓がついたのかと思うほど、どくどくと手のあちこちから音が体に伝わってくる。たぶん、ホラーを見ていて心臓が驚いているせいだろう。
「――優織って好きな人とかいたことあるの?」
ホラーの怖いワンシーンよりもその質問にビクリと反応してしまった。
「ないよ」
「どんな人が好きなの?」
どんな人か……。
そう言われるとあんまり考えたことがなかった。
友達の話を聞いていて興味はあったが、とても恋愛をできるような状況ではなくなり、人を信用出来ない所があって、そういうことを考える余裕はなかった。
「よくわからない」
「そっか」
その後の会話はなにもなく、私もランも真っ直ぐとテレビを見つめる。
ホラーの怖いシーンが流れるたびに、ランは繋いでいる私の手にぎゅっとしがみつくように腕を抱きしめてきた。
友達とこの距離にいたことだってあるのだから、意識することなんてないのに、ランの柔らかな部分が腕に当たって、そこが熱を帯びていく。
いつの間にか顔まで熱い。
離れてと言うべきだったのかもしれない。ただ、この体温が心地良いと感じる私もいた。
ビクッと体を動かしてしまうほど怖いはずなのに、それでもちゃんと見てくれる。
ランは約束を破ったりはしない。
そういう所が彼女のことを信頼出来る一つの要因なのかもしれない。
「ランは? どんな人が好きとかあるの?」
「心が綺麗な人――」
思ったよりも早く私の回答は返ってきた。しかし、そのことに心臓がありえないスピードで動いていく。
私のことを言われたわけじゃない。
『優織ってほんと心が綺麗な人だよね――』
そのはずなのに、ランに言われた言葉が何度も私の頭にリピートされる。
これは勘違いで自惚れだ。
しかも、たとえそうだったとしても私はどうしていいかわからない。だから、変な期待を胸にそっとしまって呼吸を繰り返す。
ランと話しているとたまにペースがおかしくなる。現世とかけ離れた存在のはずのランは、私よりも普通の人間で普通の女の子だ。だから、接しやすいというのもあるけれど、時々変な勘違いをしてしまいそうになる。
私は「そっか」とだけ返してそれ以上話すことはなかった。
これでよかったのだと思う。
ただ、私のあちこちからドクンドクンと音が聞こえて、うるさかった。きっとホラーを見ているせいで、心拍数が上がっているのだろう。
ランがずっと手を繋いでいるから、私の手は手汗まみれだ。
ランは嫌じゃないのだろうか?
急にそんなことが不安になって、一度拭きたいと思った。しかし、ランの手を離そうとするとぎゅっと握られ、逃がしてはくれない。
「約束は守って」
「う、うん」
途中から画面に集中できなくなっている。
気持ち悪いと思われるんじゃないかとか、嫌われるんじゃないかとか、そんなどうでもいいことが気になったまま映像は終わってしまった。
映画が終わり、隣の少女の体に力は入っていないが、手は離してくれない。
「優織は元の世界に後悔とかないの?」
「後悔かぁ……特にないかな」
家族に何も言わずにお別れになってしまったことは少し後悔かもしれない。友達と呼べる存在はいなくなっていたので、それ以外に心残りがあるかと言われると大してない気がする。
「あっ……」
「ん?」
心残りというのかはわからないが、コマツさんがどうなったかは気になった。
私がいなくなって、またコマツさんがいじめられていないといいなとは思っている。
死んでまで他人の心配なんて、私らしくて馬鹿馬鹿しい。
コマツさんを助けたあの日、私は彼女に「友達になろう」と言ったが、顔を背けられ、嫌だと言わんばかりの態度を取られた。
次の日もその次の日も話しかけられることはなかったから、彼女に迷惑なことをしてしまったのかもしれない。
しかし、コマツさんがどう思っていたとしても、このような結果になって、友達になろうと言ったのに、嘘をついたことは申し訳ないと思っている。
「一人だけ友達なろうって最後に言った人がいるんだ。その人に嘘ついちゃったのは心残りかな」
「そうなんだ……」
もう、コマツさんどころか友達の顔もよく思い出せなくなった。
嫌な思い出には蓋をするとよく言うが、こうやって私という人間は記憶と共に消えていくんだと少し身震いしてしまう。
そんな私に気を使ったのか、ランはぎゅっと私の腕を掴んできた。この人は意外とくっつき魔なのかもしれない。
最初の頃はすごい距離を感じて、自分のテリトリーに入らせないという感じだったのに、今は何も感じないくらい距離が近いと思う。
「私は優織の友達?」
「友達……?」
んー。友達かと言われるとそうではない気がするし、そうである気もする。
ランは不思議な世界の不思議な人間……?
それ以上でもそれ以下でもないと思っている。
私が答えに迷っていると少女の頬はみるみる膨らんでいたので、これは彼女の機嫌を損ねていると思って、急いで答えることにした。
「友達友達!」
「いいよ、そんな無理に言わなくて」
ランは怒り口調でガバッと立って部屋に戻ろうとした。
追いかけるべき?
迷っていると、私が動く前にランの動きが止まり、こちらにスタスタと戻ってくる。
「ちょっとついて来て」
「う、うん?」
トイレの前に連れられて、立たされた。
「ここで待ってて」
「う、うん?」
彼女の謎行動が全然理解できない。
ランはトイレに入っていった。
その様子を棒立ちで見ていると、扉が開く。
「ちゃんと居てね」
「うん?」
訳が分からないけれど少ししたら、ランが何事もなかったかのように出てきた。
「もしかして、一人でトイレ行くの怖かったの?」
「優織、うるさいよ」
「なにそれ。かわいい――」
この世界でランは恐れられるような存在なはずなのに、とても怖がりでかわいくて、笑みがこぼれてしまう。
「うるさい……」
「はいはい。怖かったね」
頭にポンポンと手を乗せると、少女の顔はみるみる赤くなっていった。
私が彼女の立場だったら恥ずかしくていても立っても居られないだろう。
それくらい怖いものを私の為に我慢していてくれたと思うと、胸がきゅっと締め付けられるような感情が湧いてくる。
「優織の馬鹿」
「はいはい」
「ゆうり……」
「ん……?」
馬鹿という声は鋭い声だったのに、急に弱々しい声になるから、彼女の気持ちの変化球について行くのが大変だ。
「一緒に寝よう……」
「へ……? もしかして、怖いの?」
「うるさい」
私の気持ちはどんどんと置いていかれる。ついていけるのはランに引かれる体だけらしい。
ランは私のことをベッドの上に座らせて、肩を押してくる。私はそのままベッドに背中をつけると、ランにピッタリとくっつかれた。
「ちょ、ちょっとまって――」
「いいから寝なよ」
「う、うん……」
私はされるがままで脱力する。
なんか自分ばかりが余裕のない言動になっており、少し悔しいと思ってしまった。
「ラン。こっちおいで」
「へ?」
「腕枕してあげるよ」
「はい!? 何言ってるの!?」
「おいでよ」
今度はランが取り乱していたので、それを見て満足した。私はそのまま彼女をそっと抱き寄せる。抱き寄せたその体はあまりにも硬直していたと思う。
「優織のばか」
「ランが頑張ってくれたからお礼」
「ばか……」
ばかと言いつつもランは離れるそぶりは見せなかった。
一人で寝れなくなるくらいホラーが嫌いなのに、私に付き合ってくれた彼女がとてもかわいらしく思える。
優しく抱きしめ優しく頭を撫でると、最初はぎゅっと力の入っていた体から力が抜けていた。
まるで子犬のようだ。
抱っこすると最初はブルブルと震え、体が固まっているが、安心感を覚えると簡単に腕の中で寝てしまう。
ほら――。
もうすでに安心しきった音が聞こえてきた。
腕の中から気持ちよさそうな寝息が聞こえるので、私は心地良い音を抱きしめたまま、瞼を下ろした。
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