第10話 石川県小松市①

 ●九月二十八日(残り六十七日)


 

 街の中を自転車を漕ぎながら進む。本当ならだめなのだけれど、アーケードの真ん中を颯爽と自転車で進んでいた。


 悪いことをしているはずなのに、絶対に現世ではできないことをしている開放感に溢れている。


 日は落ち始めていて、建物の隙間からオレンジ色の光が差し込んでいた。


「優織、楽しそうだね」

「うん! すごい楽しい」

「このままハンバーグの具材調達に行こうか」

「うん!」


 ランと出会って二週間以上経った。


 私がこの世界に来たのは今から一ヶ月と半月前。その時は真夏の暑さで頭も体もやられるくらい暑かったが、今は九月の下旬とだいぶ暑さの収まる時期になっていた。


 ランとこの生活を始めて、色々な景色を見て、また来たいと思った場所や、人がいるとどんな感じなんだろうと思う景色をたくさん見ている。


 しかし、元の世界に戻ったって、またいじめられ、息の詰まるような家にいなければいけない。どこにも私の居場所のない世界が待っているのにどうして戻りたいと思えるだろう。


 だから、私は元の世界のことを考えず、今を楽しもうと毎日生活している。


 今日はランと一緒にご飯を作る約束の日だ。


 私はいつも彼女のご飯を作っているところを隣でじっと見ている。「気が散るから座って欲しい」と言わるけれど、料理に興味があってずっと見ていたくなるから、いつもランのことを無視して近くにいる。


 ランの手際がいいせいで料理が簡単なんじゃないかと思い、一度、ランの手伝いをしようとしたら危なすぎて叱られてから料理には携われなくなった。


 しかし、私が「したい!」と言えば、ランは許してくれる。だから、今日も強引に彼女と一緒に作れるご飯を提案した。


 近くのスーパーで買い物を終え、シンクに買ってきたものを並べる。ランはすぐに野菜を切り始めた。


「私も野菜切りたい」

「危ないからだめ」

「ランのいじわる」


 私はランの気が散るようにわざと後ろに立った。


 最初は無視を貫こうと頑張っていた少女は辛くなったのか包丁を置いて、こちらを振り返る。


 やっと私に仕事をさせてくれる気になったかと喜んだが、その顔を見て驚いてしまった。


 彼女の目には液体が溜まっていたのだ。


「ご、ごめん……」


 まさか、そんなに嫌だったとは思わず、急いで謝った。そして、優しいランすらも不快にさせてしまうほど、私は駄目な人間なんじゃないかと思い、焦りから汗が滲む。



「優織に仕事を任せよう。玉ねぎ切って」

「えっ。あ……そういうこと? みじん切りでいいんだよね?」

「うん」


 どうやら私は悪くなかったようだ。

 一気に気が抜けて、背中の汗がすっとひいていく。


 彼女に教えてもらったことを思い出しながら、包丁をまな板に押し当ててざくざくと切り始めた。


 リビングからズビーと鼻をかむ音が聞こえ、ランはすぐに戻ってきたが、私の後ろでひょこひょこと私の切る様子を見ている。


 たしかにこれは気が散って危ない。


 いつもランに怒られる理由がわかる。

 これからはそういうことはしないように心がけようと思った。


 適当に細かくするだけのみじん切りは楽だが、想像以上に玉ねぎの猛攻は止まらず、私の視界はぼやけ始める。

 しかし、ここで包丁を離すわけにはいかなかった。


 せっかくランが私に仕事を任せてくれたのだ。このチャンスを逃してはいけないと思う。


「優織も涙目なってるじゃんー」

「なってない」


 ごしごしと涙を拭いても溢れてくる。何が面白かったのか、ランは優しく笑い声をもらして、私の頭にぽんぽんと手を乗せてきた。


「優織、ありがとう。他のも手伝ってもらうから一回バトンタッチして?」

「ほんとに任せてくれる?」

「もちろん」

「それなら選手交代した」

「優織って変なところ子供みたいだよね」


 そうかな……? と思いつつも、きっと、ランから見たら私は子供なのだろうと諦めて、彼女の切る様子を見ることにした。


 私が準備していたら三倍以上の時間がかかるであろうハンバーグの下地具材は準備が終わり、少し大きめのボールに具材たちが吸い込まれる。


「これこねて」

「それだけでいいの?」

「優織でもできるでしょ?」

「今日のランは一段と失礼だね」


 そんな冗談を交わしつつ、私は力いっぱいボウルの中の具材を混ぜた。冷たいハンバーグの具材が手にべっとりとまとわりつくので、背筋にぞわっとした感覚が走る。


 ランが「ストップ!」と言えば、こねる手を止め、ボウルの中に味付けの塩コショウやよくわからない調味料が混ざっていく。ランから再開の指示が出たので、私は作業を進めた。


 二回目はもう慣れたのか、ハンバーグの具材を触っても変な不快感は生まれなかった。


「私の真似して?」

「うん?」


 ランのやり方を見ながら、私は手の半分くらいの大きさのお肉を手に乗せた。


 ランがぺちぺちとハンバーグを左右に交互に叩いている。私もそれを真似してペチペチと左右に肉を叩きつけた。


「そういえば、お母さんとハンバーグ作った時のこと思い出した。たしか、こうやって空気抜くと美味しくなるんだよね?」

「そうそう。おいしくなーれって言うともっとおいしくなるよ」

「おいしくなーれ!」


 私は言われたとおりにハンバーグの空気を抜いていると、目を丸くしてランが見つめてきた。彼女の指示通りに動いたのに、そんな顔をするのはあんまりだ。


「優織ってほんと心が綺麗な人だよね――」

「なにそれ、そんなこと言われたことない」


 本当はそう言われて嬉しかったのに、素直に喜べなかった。


 私のこの性格があの酷い生活の始まりを作ったのだから、少なからず好きにはなれないところだ。


「それは、優織の周りの人達が気がつけなかったのが悪いね」

「そうかもね」


 私のこの性格を受け入れてくれる人がいればもう少し楽だったのだろうか……。

 

 いや、違う。


 こういう他力本願なところが私を悪い結果に招いたとも言えるだろう。

 

 虐められている時に自分の良さに気が付き、それを認めてくれる人を自ら探しに行っただろうか?

 

 私は何も行動せず悲観的になって、人生が嫌だと嘆いていた。


 そういう所が悪い結果を招いてしまったのだろう。


 

 私は形の整えたハンバーグを温まったフライパンの上に乗せた。


 ぐちゃりと形を保てないくらい歪だったハンバーグは丸く綺麗に形が整えられて、じゅわっと音を立てながらフライパンの上で「熱い」と叫んでいる。


 その様子はこの世界に来た時の私と似ていた。

 

 この世界に来たばかりの時は、私という人間は自我を失いながら生きていた。


 しかし、ランと出会って本来の私を取り戻しつつある。


 今はランと一緒に体が悲鳴を上げるほど自転車を漕いで、苦しくなって、笑って、楽しんで、時には意見が割れて、ぶつかったりなんかして、なんだかんだ幸せだ。


 このわけのわからない生活をランと過ごせてよかったと思っている。


「ラン、ありがとう――」

「急にどうしたの?」

「ありがとうって思った時に伝えるのはだめなの?」

「まだ、ハンバーグできあがってないよ?」


 なんだか、食べ物を作ったときだけしっかりお礼を言う人間だと思われているのは不服だが、まあいいかとランがひっくり返すハンバーグを見ていた。

 

 私も自分の作ったハンバーグをひっくり返す。動物の形をイメージして作ったハンバーグもあったが、それは変な形のハンバーグに仕上がってしまった。


 ハンバーグをこねて、焼いて、ひっくり返す。


 ただそれだけのことに、こんなに幸せを感じるなんて、ランという存在が今の私にとってどれだけありがたいか思い知らされる。

 

 ランはしっかり火が通っているか確認して盛り付けをしていた。


「ランが作ったハンバーグは私が食べる。私が丸めたのはランが食べて」

「どうして?」

「ランが作ったやつの方がおいしそうじゃん」

「そんな変わんないでしょ」


 とても呆れた表情と声でそう言われた。

 

 本当は私の作ったハンバーグをランに食べてほしかった。


 私がやったことなんて、玉ねぎを切ったことと、ハンバーグを丸めたことくらいだけれど、それでも、この料理は今までで私が一番料理に携われたといっても過言ではない料理だ。


 自分の作った何かを誰かに食べて欲しい。

 そして、それはランがいいと思ったのだ。


 食卓に腰を下ろして、手を合わせていつものように挨拶をする。


 いつもなら、ランのことなんか気にせずご飯をすぐに食べる私だったけれど、珍しく箸が進まなかった。


 ランがどんな反応をするのか見たい。


 ほとんどランが作ったのだから、何もないはずなのに私はなにかを期待していた。


「優織の作ったハンバーグおいしいね」


 その言葉に何も悪いことも焦ることもしていないのにドクリと心臓が動く。

 

「ランがほとんど味付けしたじゃん」

「でも、この変な形にした部分おいしいよ」


 彼女の表情はあまりにも柔らかく、あまりにも優しく、そんなことを伝えるから私の心をくすぶってくる。


「ランってずるい」

「なにが?」

「案内人って実は人の心読めたりするの?」

「そんなわけないじゃん」

「自分で作ったのも食べたい」

「でた、優織の意味のわからないわがまま」


 ふっと吹き出してランは笑っていた。私は彼女のハンバーグを一口サイズに切って口の中に放り込む。


 私の口に広がるハンバーグは思いのほか、おいしくて自分でも驚いてしまった。


「ね? おいしいでしょ?」

「ランが味付けしたんだから当たり前でしょ」


 私が照れ隠しでそう伝えるとランは黙々とハンバーグを口に運んでいた。


 私の丸めたハンバーグが彼女の胃の中に消えていく。そのことが嬉しかった。


 私はランの丸めたハンバーグを切り込み、口に入れる。


 …………こっちの方がおいしい。


 なぜか、ランの丸めてくれたハンバーグの方がおいしく感じた。

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