第6話 福井県敦賀市⑥

 どこまで続くのだろうと果てしない道を進み、人気ひとけのないインターを出た。


 人気なんて元からないのだけれど――。


 インターを出ると、すぐに人家が立ち並び、泊まりやすそうな場所がたくさんある。私たちは自転車から降りて、ハンドルを押して歩いていた。

 

 今日はかなり疲れた。


 一日中、自転車を漕いだことなんてないから、新鮮で楽しくて、しかし、体は限界を迎えていた。


 私たちは自転車をある一軒家の前で止めて、近くのスーパーまで歩いていく。基本、ランといると無言が多いが、全然嫌な気持ちにはならない。どちらかと言えば、落ち着くかもしれいない。不思議な少女に少し親近感が沸きながら、彼女の横を歩いた。


「しょ……」

「しょ?」

「生姜焼き食べれる?」

「作れるの? 生姜焼きすごく好きなんだ」


 母が作る料理の中でも上位に上がるくらい好きだった食べ物だ。もう、誰かが作った生姜焼きなんて一生食べられないと思っていたので、その言葉を聞いて胸が高鳴った。


 それ以外の会話はなくて、無言のままスーパーに向かう。


 この世界に来て一番不思議だと思うのは、なぜか何日経っても野菜が新鮮なままということだった。


 この世界は不可思議過ぎて、頭の中は常に混乱している。


 混乱状態な私に対して、ランは手際よく食材をカゴに詰めていくので、私は遅れないようにカートを押しながらその後ろを着いていく。

 

 ガラガラと滑車の回る音が店内に響き渡った。


「結構作れるの?」

「普通くらいには」


 この世界の人に取って“普通”とはどれくらいなのだろう。ランの作るご飯が楽しみではあるが、全然想像と違うものが出てくるのではないかと恐怖も少し抱いている。


 いや、作ってもらえるだけ十分ありがたいのだから、そんなことを考えてはいけない。


 ふと、私はこの世界に来てから楽をし過ぎなのではないかなと思い始めた。


 衣・食・住には困らず、さらに案内人に手作り料理を作らせる。


「なんかごめん」

「急にどうしたの?」

「なんだかんだランに迷惑かけてるなと思った」

「そんなこと気にしないでよ」


 ランは楽しそうに微笑んでいる。何が楽しいのか分からないけれど、最初の頃より柔らかい雰囲気の表情が増えた。


 最初は緊張していたからか、もっと固い表情だったと思う。



 私は家に着いてからもただ、ランのことを見ることしかできなかった。


 歪な形の生姜をスラスラと微塵に切る姿から、料理はかなり手馴れたものだということが分かった。


 彼女にカットされた具材は簡単にフライパンに放り込まれ、じゅうじゅうと水と油が混ざり合う音を響かせながら、炒められていく。


 見ているのはあっという間で、すぐに食卓に食べ物が並ぶので、私はそれを目を見開いて見ることしかできなかった。


「優織、顔が面白くなってるよ」


 ランはつんつんと私の頬をつついてきた。


 私はそのことに恥ずかしくなり顔に熱が集まっていく。


 ランも悪いと思う。

 私の頬を触り過ぎだ。


「ランってすぐ私の頬触るのね」

「いやだ?」

「いやじゃないけど……そんなことされたことないから……」

「そう」


 彼女は笑顔になって、また頬をつんつんとしてきたので、注意しようと思ったら遮られた。


「おいしいうちに食べよ?」

「う、うん」


 不思議な少女にペースを崩されたまま、私はご飯を食べるしかなかった。


 ほくほくと煙が立っているお肉に箸を伸ばし、乗っている玉ねぎとソースが落ちないように優しく包み込む。そして、口の中にそっと入れた。ジュワッと生姜と肉の旨みが舌を伝い、私の脳に旨味を伝えてくる。



「おいしい――」


 母の生姜焼きもおいしかった。

 しかし、ランの作る生姜焼きも負けじとおいしい。


 私はもう食べられることのないと思っていた味を思い出し、どうやら、ぽろりと涙がこぼれていたらしい。


 この世界に来てから、何も感じない日々を過ごし、自分って感情があるのかなと不安になるシーンが多く、感情まで死んでしまったのではないかと悲観的になっていた。


 しかし、私の感情はしっかりと生きている。


 おいしいものを食べると感動し、涙を流せるくらいにちゃんと私の心は動いていた。



 いつの間にか心配そうにランが駆け寄ってきて、私の頬を優しく撫でるように涙を拭いている。


「ごめん。なんかした?」

「これは、ちがっ、うから……」


 私は嗚咽を漏らしながら彼女の言葉になんとか答えると、そっと優しく抱きしめられた。


 頭と胸の辺りがふわりと優しい体温と匂いに包まれる。


 その温もりももう感じるはずのなかったものだ。


 私は抑えきれず、涙が止まらなかった。


 どれくらいそうしていたのか分からないけれど、ランはずっと優しく抱きしめてくれていた。


 私は自分が思ってる以上に死ぬことを受け止めきれていなかったのかもしれない。


 何度も鼻をすすったから、目頭の辺りが痛い。


「落ち着いた?」

「うん」

「お風呂入ろっか」

「うん」


 私はランに手を引かれるままお風呂場に向かう。「バンザイして?」と言われたので、彼女の指示通りに動いて服を脱ぎ、キャミソールのみになる。


 いや、まて。


 全然、状況が理解できない。


 

「ラン、何してるの?」

「お風呂入ろうって言ったよ」

「自分で入れる」

「せっかくだし、一緒に入ろうよ」

「意味わかんないから外に出て」


 恥ずかしさのおかげで涙は引っ込み、彼女をお風呂場の外に冷たい言葉とともに放り出した。ずっと優しくしてくれる彼女に対して酷い態度かもしれないけれど、それどころではなかった。


 なんで急に一緒にお風呂?


 ランは時々意味がわからない。

 急に頬を触ったり、お風呂に入ろうと言ったり、不思議な少女だと思う。


 こんなにあたふたしていた私が幼稚に思えて、自分の行動が情けなく、恥ずかしさを誤魔化すようにぶくぶくとお湯に顔を浸からせていた。


 ランは入れ違いでお風呂に入り、私たちはそのまま旅の一日目を終えることになる。


「ランのせいで足パンパン。明日から漕げないかも」

「私も疲れた。でも、楽しかったね」

「うん……」

「え!?」


 ランが楽しかったと言ったから、私も素直に同意しただけなのに、その反応は酷いと思う。ただ、嘘はつきたくなたかった。


「ラン。ご飯おいしかった。ありがとう」

「不味すぎて泣いてたのかと思った」


 舌をべーっと出して意地悪な表情をしている。不味いなんて微塵も思っていないし、その真逆だ。


「ほんとにおいしかったよ。お母さんのご飯思い出しちゃった」

「元の世界に戻りたくなった?」


 先程よりももっと悪い表情をした少女がこちらを見つめている。

 

 そうだ……この子の目的は私を元の世界に戻すことなのだ。


 母の料理は大好きだし、会えることならもう一度、家族には会いたいかもしれない。しかし、息の詰まるような生活はもうしたくないとも思っている。


「戻りたくない」

「そっかぁ。残念」


 ぼふっと音を立ててランは布団に潜った。


 彼女は今日も私より先に寝る気だ。


 昨日は私が寝息を聞いたから、今日はランが私の寝息を聞くべきだと意味のわからないところで張り合い、私もぼふっと布団に潜った。


 もう、寝てしまったかもしれない。

 寝息のようなものが聞こえる。

 

 彼女と出会ってたったの三日。

 それなのに、この三日で私の心は色々な感情で埋め尽くされた。


 今までの一ヶ月からは想像もつかないことだ。


「ラン、楽しかった。ありがとう――」


 彼女は寝ていたから伝わらなかっただろう。

 

 伝えたくなったので伝えたいことを言った後は顔の熱が引くまで寝れなかった。

 

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