第32話 覚醒の炎

 真っ白な光の中で、私は炎の竜と対峙していた。


 外の状況は全部見えていたけど、まるで感情を丸ごと食べられちゃったみたいに何も感じなくて……でも。


 エレンちゃんが必死に戦って、私に呼びかけてくれたお陰で、少しだけ戻ってきた。


 やっと開けるようになった口で、私は炎竜に話しかける。


「ねえ、炎竜。あなたの望みは何?」


 私が話しかけて来るとは思っていなかったのか、少しだけ驚いた。

 けれど、私の言っていることを理解するや否や、凶悪な笑みを浮かべる。


『言ったはずだ、オレ様が求めるのは自由。望みのままに羽ばたき、望みのままに暴れ、望みのままに生きる自由!! それだけだと!!』


「うん。前に取引した時も、そう言ってたよね。じゃあさ、なんでニーナさんと戦ってるの?」


『む? なんで、だと?』


「ニーナさんの望みは、今の炎竜みたいな知性のある魔物だけの世界を作ること。戦わずに協力すれば、今よりは自由になりそうだけど」


『む? む、むぅ……? そうなのか?』


「……多分?」


 私の答えに、炎竜は困ったように首を傾げる。


 しかし、やがて理由を考えるのも面倒になったのか、炎を吹きながら叫んだ。


『ええい、細かいことなどどうでもいい!! オレ様は自分の思うがままに生きる自由が欲しいのだ!! あいつが気に入らないと思ったから、この手で叩き潰してエサにする!! それだけだ!!』


「そっか……ふふ、ありがとう、炎竜」


『……なぜ礼を言う?』


「だって……あなたがそうやって戦ってくれたお陰で、下にいる人達への被害が抑えられてるから。だから、ありがとう」


 炎竜が、周囲にいる騎士や村人達に対してどんな感情を抱いているかは分からない。何なら、今の今まで存在を意識すらしていなかったのかもしれない。


 それでも、炎竜がニーナさんと一騎打ちをしてくれたお陰で、騎士達はニーナさんから生まれた黒スライムの相手だけに集中出来ている。


 そうじゃなかったら……きっと今頃、ここにいる人達は一人残らず死んでいるはずだ。


『むぐ、ぐ、うぐ……! なんだこの感覚は、背中がムズムズとする……!! 貴様、オレ様に何をした!?』


「何もしてないよ? 多分、こうやってお礼を言われるのが初めてだから、照れてるんじゃない?」


『照れだと!? オレ様にそのような感情があるか!!』


 グオォーー!! と咆哮しているけど、それが益々照れ隠しみたいで、私は思わず噴き出した。

 そんな私に、炎竜はずいっと顔を寄せて来る。


『貴様、随分と余裕だな? オレ様に体を乗っ取られて、悔しくはないのか?』


「このまま、あなたがニーナさんを倒してみんなを守ってくれるなら、それでもいいよ」


『は……?』


 予想外だったのか、炎竜が口をポカンと開けたまま固まってしまう。


 でも、と。私はそこに言葉を重ねた。


「あなた一人じゃ、ニーナさんには勝てない」


『ふん……お前に体を明け渡せば勝てるとでも?』


「ううん、無理だと思う。エレンちゃんの力を合わせても……多分、届かない」


 今いるこの……心の中? の世界で見ているだけでも、ニーナさんの力は圧倒的だ。

 エレンちゃんが魔装鎧マギアデバイスを纏って頑張ってくれているけど、私の全力と合わせたって届く気がしない。


「だから……お願い、炎竜。力を貸して」


『……どういう意味だ?』


「私と、あなたと、エレンちゃん。三人で力を合わせれば、きっとニーナさんに届くから」


 手を差し伸べた私に、炎竜は驚いて身を仰け反らせる。

 あまりにもオーバーなリアクションに、私までびっくりしたよ。


『正気か貴様!? オレ様と貴様は、一つの体を巡って争う敵同士だぞ!?』


「一年以内に、あなたの依代を見付けるって約束したでしょ?」


『そんなもの、ただの口実だろう? 守る気などなかったではないか』


「確かに、契約した時はそうだったよ。あなたからは暴力への渇望しか感じなかったし、言葉もあまり通じなかったから。でも、今のあなたなら……信用出来る」


 理屈は分からない。

 ただの魔物でしかなかったはずの炎竜が、どういう過程でこんなに流暢に意思疎通を取れるようになったのか、今後どうなっていくのかも、何も。


 でも、私は……こうして言葉を交わせるのなら、きっといつか、炎竜がルナトーン王国の人達と一緒に暮らせるようになるって、そう信じる。


「今あなたが望んでいるような自由とは違うかもしれない。でも、あなたが想像しているよりもずっと温かくて、幸せな気持ちになれる自由を用意するって約束する。だから……そんな明日を掴むために、私に力を貸して!」


 もう一度、真剣な眼差しで手を差し伸べる。

 そんな私に、炎竜は……どこか呆れた顔で溜息を吐いた。


『奇妙な宿主だ、お前は。あるいはお前のような者に宿ったから、オレ様にこのような感情が芽生えたのかもしれんな……』


 ちょこんと、大きな鉤爪の先端を伸ばし、私の手に触れる。

 その瞬間……触れた場所から光が溢れ、いつの間にか大きな腕輪が嵌められていた。


『二度目はない、忘れるな。もしその約束を違えれば、この国を踏み潰した真上にオレ様の寝床を作ってやろう』


「それは困るなぁ。でも……うん、絶対に約束は守るよ。だから、これからよろしくね」


 光がどんどん強くなり、世界が白く塗り潰されていく。

 光の中で姿を消し、私の体に戻っていく炎竜へと、小さく呟いた。


「ソール……私の、希望」







「はあ……気が付いたか、クソ王女……」


 目を覚ました時、目の前にあったのはエレンちゃんの顔だった。


 ただし……氷みたいな結晶体が体のあちこちから飛び出していて、とても無事って感じじゃない。


「エレンちゃん!! ごめんね、こんなになるまで……!!」


「これは、私のケジメだ……気にすんな。私は、まだ、いける……ぐっ、ウゥ……!!」


『ふふふ、魔装鎧オモチャに頼ってまで頑張ったのに、もう終わりみたいね?』


 フラフラのエレンちゃんを抱き支えていると、そんな私達を見下ろすニーナさんの姿が視界に映った。


 私が炎竜……ソールに体を持ってかれる前に見た時より、漆黒のスライムがよりハッキリとした形状を持っていて、巨大な女性の下半身から無数の触手が生えた……なんていうんだろう、スライムで出来た蛸人間みたいになってる。


 まだ完全に魔人になったわけじゃないのか、胸のあたりから人としてのニーナさんの体が浮き出て、私達に話しかけている。


「ふざけんな、こっからが本番だ……! 王女様と二人で、お前をぶん殴って止めてやる……!!」


『痩せ我慢は良くないわよ? エレンちゃんの力は、王女殿下のように自我を宿して融合しているわけじゃない、ただの力の塊……それ以上戦えば、魔人にすらなれずに肉体が崩壊して、死ぬわよ?』


「それがどうした!! お前を止められるなら、命なんか惜しくは……?」


 口論するエレンちゃんの隣に立った私は、その手をぎゅっと握り締める。

 私の腕に嵌められていたぶかぶかの腕輪がずり落ちて、繋いだ手に引っ掛かるようにして止まった。


「大丈夫、エレンちゃんは死なないよ。私が……私達がいるから」


「私、達……?」


 首を傾げるエレンちゃんに、私は大きく頷く。

 その上で、自分自身へ……その中にいる相棒へと問い掛けた。


「出来るよね、ソール?」


『ああ、オレ様がそいつの余分な力を喰って抑えてやる。そうして高まったオレ様の力と、そいつに残った氷狼の力をお前らで循環させてやれば、これまで以上に制限なしで戦えるだろうな。だが……それはつまり、お前らの命を揃ってオレ様に預けるってことだ。出来るのか?』


「出来るよ。私はソールを信じる」


『クハハハ! そうか』


 どこか嬉しそうに笑うソールに、私も笑みを溢す。

 けど、そのやり取りは傍から見ても分からなかったみたいで、エレンちゃんは顔を引き攣らせていた。


「なあ、ソールって誰の事だ? お前、まさか……炎竜と話してんのか!?」


「うん、そうだよ。詳しい事情を話している時間はないから、難しいかもしれないけど……お願い、エレンちゃん。エレンちゃんの全部、私に預けて。私も、私の全部を預けるから!」


「……あーもう、分かったよ!! どうせこのままじゃニーナにやられて全員死ぬんだ。ダメで元々、出来れば上々!! やってやる!!」


「ありがとう、エレンちゃん」


 繋いだ手を掲げ、二人で大きく息を吸い込む。


「「《変身チェンジ》!!!!」」


 ありったけの想いを込めて、明日へ届けと願うように……叫んだ。


「《炎竜フレアドラゴン》!!!!」

「《氷狼フェンリル》!!!!」


 紅蓮の炎が、爆発するように私達を包み込む。

 エレンちゃんを蝕んでいた結晶体が消し飛び、纏っていた衣服も魔力に分解されて……代わりに、二人で共有するようにぶら下げた腕輪が、それぞれの鎧を構築していく。

 最後に、周囲の炎が真紅の意匠となって私達の鎧に刻み込まれ……新たな姿となって、ニーナさんの前に立った。


『ふふふ、面白いじゃない。炎竜との戦いが中途半端に終わっちゃって不完全燃焼だったのよ。仲良くお手々を繋ぎながらでないと、戦うことさえままならないあなた達に、どこまでのことが出来るのか……精々見せて貰おうじゃない』


「確かに私は、みんなの力が無ければここに立つことすら出来なかった無能です。魔法だって、もう何年も訓練してるのに、未だに鬼ごっこくらいでしか満足に使えない……でも、そんなことは関係ない」


 だって……私にとっては、どんな強大な魔法よりも。


 何度も拳を交わして、言葉を交わして、戦って……やっと届いたこの手の繋がりこそが、何よりも誇れる私の力なんだから。


「繋いだこの手が、この絆が……あなたを倒す、私の魔法だ!!!! たった一人で戦うあなたに……私達は負けない!!!!」

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