第6話 ルグウィン王子の受難

「全く……本当に、厄介な問題児だな、アイミュは」


 アイミュの部屋で、第一王子のルグウィン・レナ・ルナトーンはガリガリと頭を掻きながら目の前の答案用紙を見る。


 僅か十二歳の少女が答えるには難易度の高いテストにしたはずなのだが、アイミュは本当に宣言通りに一晩で覚え切り、満点を取ってさっさと外出してしまったのだ。


 散々な結果になったことを口実に、更なる勉強を課そうと考えていたルグウィンからすれば、頭が痛いとしか言いようがない。


「あれで真面目に勉強してくれれば、王家随一の天才として名を馳せたかもしれんというのに……はあ……」


「ふふふ、よっぽど大事な用事があったんでしょうね。あんなに嫌がっていた勉強を、たった一晩とはいえあそこまで必死にやるなんて」


 ルグウィンの嘆きに答えるのは、第一王女のリリナだ。

 いつもアイミュの肩を持つもう一人の天才少女に、ルグウィンは益々酷くなった頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。


「姉さんはアイミュに甘すぎる、もう少し厳しくしてやってくれ。あいつも姉さんの言うことなら聞くだろう」


「残念だけれど、そうでもないわよ。あの子はああ見えてすごく頑固だから、一度決めたことは絶対に曲げないの」


 特に、とリリナは少しばかり昔を懐かしむような表情を浮かべる。


「何かを守ろうと必死になっているあの子は、誰にも止められない……五年前も、そうだった」


「五年前というと……例の炎竜事件の時か」


 炎竜事件。

 突如王都に現れた炎竜によって、町も王城も大きな被害を受けた大事件だ。


 当時の騎士団長だったボードウィン・アルトロメオが命懸けで炎竜を仕留めなければ、被害は更に酷いものになっていただろうと言われている。


「あの時、私は完全に逃げ遅れて、もう炎竜に喰われるだけの状態だった。アイミュ一人なら逃げられたのに、私が逃げろって言っても全然聞かずに炎竜に立ち向かってくれたのよ。恐怖に竦むこともなく、命懸けで……たった七歳の女の子が」


 その行動が、何かの結果を動かしたのかどうか、それはリリナにも分からない。人によっては、全く無意味なことをしたと笑うかもしれない。


 けれどあの時、あの小さな背中に守られたリリナの目には、アイミュは確かに“英雄”だったのだ。


「テストを受けていた時のアイミュがね……その時と同じ目をしていたの。自分の身も顧みずに、誰かのために命を燃やそうとしている時の目を」


「……姉さんは、アイミュが何らかのトラブルに首を突っ込んでいるのではないかと、そう考えているのか?」


「かも、しれないわね」


 リリナの予想を聞いて、ルグウィンもまた最近のアイミュの様子を思い出す。


 そういえば、近頃は明らかに体術訓練で付けたのとは別の生傷が目立っていたような──となったところで、ルグウィンは大きな溜息を溢した。


「全く……手のかかる妹だ。何かあるなら俺達に相談すればいいものを」


「そういう子だもの。誰よりも強くて、優しくて……だからこそ、背負い込まなくていいことまで、一人で背負い込もうとしてしまう」


 リリナは元よりあまり体が丈夫な方ではなかったため、よく体調を崩すのだが……そんなリリナに遅くまで寄り添って励ましてくれるのは、いつだってアイミュだった。


 その癖、自分が看病疲れで風邪を引いても、絶対に周りに悟られまいと隠し通すのだ。リリナが、自分のせいだと気に病まないように。


 そんなアイミュの優しさが、リリナは誰よりも大好きで……誰よりも心配していた。


「ルグウィン、私の分まで、アイミュの支えになってあげてね。あの子が本当に困った時に頼れるのは、きっとあなたの方だから」


「そんなことはないと思うが……分かったよ、気にかけておく」


 お願いね、と手を合わせるリリナに、ルグウィンも頷く。


 彼の脳裏にふと浮かぶのは、五年前の事件で追放された魔法科学者の一人……レーナ・ディストピアの名前だった。


(炎竜事件の功労者なのに追放なんて間違っていると、アイミュが必死に引き留めようとして……結局、炎竜に焼き払われた旧市街地に、小さな研究所を構えているという話だったな)


 王立研究所でも問題行動ばかり起こす異端者として嫌われており、アイミュにもあまり近寄らないようにという指示は下っている。


 が、どうもアイミュが自身の小遣いから支援金を送っているらしいという情報が最近上がっていたのだ。


(アイミュが周囲の反対を押し切って体術の訓練を本格的に始めた時期と、その科学者が研究所を構えた時期も一致する。アイミュが研究所を出入りしている様子は無いからと放置していたが、少し調べ直した方がいいかもしれない)


 ひとまず人を向かわせてみようかと、そう考えるルグウィンだったが……そんな彼が耳に付けたイヤリングに、通信魔法の着信を告げる振動が走った。


「どうした? ……ああ、辺境の魔力溜まりの件ならば聞いている、既に討伐隊編成の指示は……何?」


「どうしたの、ルグウィン?」


 珍しく険しい表情を浮かべるルグウィンに、リリナが問い掛ける。

 それに対し、ルグウィンは立ち上がりながら手短に答えた。


「緊急事態だ。昨日A級災害に発展しそうな魔力溜まりが観測されたんだが、先程魔物災害スタンピードが生じたらしい」


「そんな、一日で!?」


「ああ。俺は騎士団で、これからの対策を話し合わなければならない、すまないが……」


 アイミュのことは後回しだと、言外に告げる。


 それを理解したリリナは、大丈夫と頷いて見せた。


「こっちは任せて。この状況じゃあ動かせる人もほとんどいないでしょうけど、調べることくらいは出来るから」


「ああ、頼む」


 そう言って、ルグウィンは騎士団の詰所へ急ぐ。


 突然の魔物災害に襲われた辺境の町は甚大な被害を被るだろう、それは避けられない。


 後は、逃げ延びた民の受け入れと討伐隊の編成を急がせ、少しでも被害の拡大を阻止するしかないだろう。


 集まった騎士達の誰もがそう考え、大急ぎで議論を纏めていく中──そんな彼らを拍子抜けさせる一報が届いた。


 魔物災害が、鎮圧されたというのだ。


「は? ……想定より、規模が小さかったのか?」


『いえ、ほぼ想定通りでした。現地の騎士では対応出来ず、町の壊滅は避けられないと思われたのですが……』


「……どうした?」


 言い淀むように口を噤む通信手に、ルグウィンは問い掛ける。


 やがて通信先の男は、意を決してその現実を告げた。


『その魔物災害を、たった一人で鎮圧してしまった人物がいるのです。炎の鎧を纏った少女で……ブレイズと、そう名乗っておりました』


「ブレイズ、だと……?」


 その名前は、ルグウィンも聞いたばかりだった。

 つい先日、王都近郊の町で生じた魔物災害を鎮圧した救世主にして……その素性の一切が不明となっている、謎の少女。


 魔力量に劣るはずの女性の身で、凄まじい力を発揮するその異常性もそうだが、明らかな偽名を語り正体を隠すその理由も分からない。


 その献身性を賞賛する声もあれば、明らかに怪しすぎると非難する声もあり、騎士団としても対応を決めかねている相手。それが、この短期間で二度も戦場に現れ、町を救った。


 その事実に、会議室は一時騒然となる。


 そして……ルグウィンの脳裏には、なぜかアイミュの顔がちらりと過ぎった。


「ちなみにだが……そのブレイズという少女の容姿は? どのような特徴があった?」


『お待ちください、ええと……長い金髪と、赤い瞳を持った、十五、六歳くらいの少女だと……』


「……そうか、情報感謝する」


 金髪赤目、というだけならば共通しているが、アイミュは動きにくいからと髪を短くするのを好む上、どう贔屓目に見ても十五、六歳には見えない。


 やはり無関係かと、ルグウィンは密かに胸を撫で下ろした。


(いや……関係あろうがなかろうが、正体を探る必要はあるか)


 英雄か、それとも何かを企む悪党か。どちらにせよ、その正体を暴いて目的を聞き出さなければ、とても安心できない。


「討伐隊は無しだ。しかし、事後処理と調査のために人を送る。会議を続けるぞ」


 通信を切ったルグウィンは、そう言って思考を切り替える。


 これから忙しくなりそうだと、そう予感しながら。

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