第9話 無事の安堵と悪意の胎動

「……ブレイズは、どうなった?」


「分かりません。ですが、作戦は成功したようですね……」


 ブラックバットを振り切ったことに、騎士達は安堵の息を吐くが……ルグウィン同様、やり切れない思いも抱えていた。


 本来、あそこに残って最後まで戦うべきは自分達のはずだった、と。


(だというのに、迷わず己の身を盾に、俺達を守ってくれた……何の見返りも求めずに)


 彼女は一体何者なのか。何をしたら、その働きに報いることが出来るのか。

 悩むルグウィンだったが、答えは出なかった。


「……悔いていても仕方がない。お前達、通信魔道具を準備しろ。あのブラックバットの群れを放置するわけにはいかんからな、討伐隊を手配する」


「了解しました」


 慌ただしく準備を始める騎士達を見ながら、ルグウィンは気持ちを切り替える。


 ブレイズと思しきあの少女が空を飛べることは、間違いないのだ。


 ほんの僅かな時間共闘しただけだが、彼女の実力は自分より遥かに上だろうと確信出来る。素性不明の不審人物でさえなければ、すぐにでも騎士団にスカウトしたいと思うほどに。


 そんな彼女が、こんなところで死ぬはずがない。


(しかし、今思えば妙に見覚えのある動きだったような……まさか、俺は彼女と会ったことがあるのか?)


 既視感の正体を掴もうと、視線を彷徨わせたところで……ルグウィンは、その場に当然いるものと思っていた人物が見当たらないことに気が付いた。


「待て……アイミュは、どこだ?」


 その言葉に、車両内の空気が凍り付く。

 どこかにいるはずだ、いてくれという願いの籠った眼差しがいくつも周囲を見渡すのだが、普段は頼まなくとも元気いっぱいにうろちょろする小さな少女の姿は、どこにもない。


「アイミュ……? アイミュ、いるんだろう? 頼む、返事をしてくれ。こんな時にかくれんぼは無しだぞ!!」


 必死に呼び掛けるが、返事は無い。

 サーッと、血の気が引いていくような感覚がルグウィンを襲い……そのまま、車両から飛び出そうとする。


 扉を開け放ち、飛び降りようという仕草を見せたところで、騎士達が大慌てで押さえ込んだ。


「お待ちください、ルグウィン殿下!! 何をなさるおつもりですか!?」


「離せ!! アイミュが……アイミュがまだあそこにいるんだ!! 俺が、俺が助けないと!!」


「もう手遅れです、落ち着いてください!!」


「黙れ!! そもそも、お前達がきちんと人数確認をしていれば防げた事態だろうが!!」


 ルグウィンの叫びに、騎士達は何も言い返せない。それは、紛うことなき事実だからだ。


 しかし同時に……あの極限状態の中で、そんな所定の手順をミスなく完璧に遂行することの難しさを、ルグウィンとてよく理解している。


 そもそも……あの状況から全員が生還出来るとは、彼を含めて誰一人思っていなかったのだから。


「お前が……お前達が……」


 だからこそ、ルグウィンの声からも徐々に勢いが失われていき、その場に崩れ落ちる。


「俺が……あの子の手を、離した……ばっかりに……!」


 ルグウィンの判断は何も間違っていなかった。誰に聞いてもそう答えられるだろう。


 しかし、責めるべきものを見失ったルグウィンは、気付けば自責の念に押し潰されそうになっていた。


「アイミューーーー!!!!」


 もはや影も形も見えないほど遠く離れてしまった後部車両に向けて、力の限り叫ぶ。


 無人の峡谷地帯に響くその声に、騎士達はただ歯を喰い縛ることしか出来ない。


 誰もが己の無力を嘆き、ルグウィンの小さな嗚咽も吹き荒ぶ風に溶けて消えていく。


「お、お兄様……」


 そんな中、申し訳なさそうな少女の声が聞こえてきたことで、ルグウィンは弾かれるようにそちらへ振り向く。


 車内ではなく、車体の側面に張り付くようにこちらを覗き込む妹の姿を目にした彼は、喜びよりも先に驚愕の感情に包まれた。


「アイミュ!? お前、無事で……! いや、なぜそんなところに!?」


「その、移動中にブラックバットに襲われて、何とか逃げようとしてたら、ここに……」


 アイミュは王都で騎士から逃げ回る際にも、天井や城の壁など、想像の斜め上を行くような場所を好んで逃げ回る悪癖があった。


 それが功を奏したのかと、ルグウィンは目を丸くする。


「アイミュ、こっちに来られるか? 慎重に、手を伸ばすんだ」


「うん……」


 何とか手を掴み、そのまま抱き寄せる。

 腕の中にすっぽりと収まった小さな命が、確かに心臓の鼓動を刻んでいることを肌で感じ、ルグウィンはようやく安堵の息を吐き……先程までとは違う意味で、涙が止まらなくなった。


「良かった、アイミュ……お前が無事で、本当に良かった……!!」


「……ごめんなさい、お兄様。心配をかけて」


「どうしてお前が謝る? 悪いのは、守ってやれなかった俺の方だ。こんなにボロボロになって……痛かったろう? すぐに治療してやるからな」


 アイミュの体は至る所から出血しており、本当にあと一歩で命を落とすところだったのだろうと察せられる。


 こんなになっても諦めずに生き延びてくれた妹へ、ルグウィンは惜しみない称賛の気持ちを抱き……ふと、違和感を覚えた。


(……どうして、体はこんなにもボロボロなのに、ドレスは綺麗なままなんだ?)


 血で汚れてはいる。だが、解れや穴、牙や爪で引き裂かれた部分などが一つもなく、体だけが負傷しているというのは随分と奇妙だ。


 まるで、ブラックバットに襲われた後、改めてドレスに着替えたような──


(いや、今はまず治療することが先決か)


 魔物の中には毒を持つ種類もいるし、そうでなくとも傷口をそのままにすれば感染症のリスクがある。


 些細な疑問を棚に上げたルグウィンは、アイミュを抱いて急ぎ車両の中へ戻るのだった。





 ルグウィンとアイミュが無事再会を果たすのとほぼ同時刻。切り離された後部車両は完全に停車し、ブラックバットが我先にと残された魔石の山に殺到していた。


 そこに、一人の女性が現れる。


 黒髪黒目、白衣を纏ったその人物の登場に、ブラックバット達は新たな獲物がやって来たと湧き立った。


 しかし。


「はーいご苦労様。あなた達の役目はこれで終わりだから、バイバーイ」


 パチン、と女が指を鳴らしただけで、魔物達はただの魔力となって霧散する。


 そして、残された車両とそこに積み込まれた魔石を確認し、ニタリと笑みを浮かべた。


「うんうん、これだけあれば実験するには十分ね。これでようやく、次の段階へ進められるわ。……来なさい」


「…………」


 女の手招きに反応し、一人の少女が近付いてくる。

 銀色の髪をだらりと下げ、フラフラと歩く姿はまるで幽鬼のよう。


 歳の頃十歳前後のその少女に、女はただ一言命じた。


「運び出して。この国の王家や貴族連中に気付かれたら面倒だから、手早くね」


「……はい」


 ようやく言葉を発した少女が、車両へと手を伸ばす。

 その瞬間、小さなその手から氷で構成された巨大な腕が伸び、いとも容易く車両を持ち上げて見せた。


 常識では考え難い出力の魔法に、女は満足気に頷く。


「行くわよ。向かうはレバノン公爵領……そこで、実験の第二段階に入るわ」


 こくりと頷き、少女は女の後を追う。


 こうして、アイミュ達の向かう先に、悪意の足音が着実に迫っていくのだった。

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