第22話 リエラのその頃

「出しなさい!! 私を、ここから出して!! 一体、私を誰だと思っているんですの!?」


 ニーナ達が拠点として使っている廃棄された砦の一室で、リエラ・レバノンは力の限り暴れていた。


 とはいえ、所詮は鍛えてもいない子供の力。いくら拘束も何もされていないとはいえ、扉を蹴破ることすら出来なかった。


 その結果、ただ元気に暴れるだけの騒がしい小娘と化している。


「開けろって……言っておりますでしょおぉぉぉ!!」


 ついに我慢の限界を迎えたリエラは、力の限り扉へと体当たりをかます。


 それで破れるならば苦労はないので、無駄な努力に終わるのは確定なのだが……運が良いのか悪いのか、そうはならなかった。


 リエラの体が扉にぶつかるその直前に、ガチャリとそれが開かれたのだ。


「おい、大人しくしてるか……おわぁ!?」


「うわひゃあ!?」


 一度ついた勢いがそう簡単に止まるはずもなく、リエラは扉を開けてくれたその少女と激突することになる。


 銀と紫の髪が舞い上がり、重なり合うように倒れ込む。


 予想外の事態に驚いたリエラは、慌ててその少女──エレンの上から飛び退いた。


「す、すみません! まさか扉が開くとは思わなくて……その、怪我はありませんこと?」


「いっつ〜……! 気を付けろバカ!! 危うく殺しちまうところだったじゃねえか!!」


「は? 殺しって……」


 いまいち意味が分からなかったリエラは、どういうことかとエレンの体を見て……ひっ、と息を呑んだ。


「あ、あなた、その腕は、一体……!?」


 エレンの腕は、不気味な黒い氷に覆われ、鋭い爪を持つ異形の物と成り果てていた。

 腕に氷が付着しているのではなく、完全に氷と融合し、その形状を成しているのだ。


 確かに、ぶつかった拍子にこの爪が刺さっていれば、エレンにその気がなくとも死んでいたかもしれない。


 怯えるリエラにニヤリと笑みを浮かべたエレンは、殊更にその腕を誇示するように掲げてみせた。


「見れば分かるだろ? 化け物の腕だよ。分かったら、さっさと部屋に戻れ」


「わ、分かりましたわ……」


 しっしっと追い払うように腕を振るエレンに押されるように、リエラは大人しく部屋に戻る。


 一方のエレンもまた、元々監視するために来たのか部屋を出るつもりはないようで、扉を閉めて適当に地面へと座り込んでしまった。


 目の前に、いつでも自分の命を奪える者がいる恐怖。

 その緊張感に晒され続けることになったリエラは、ごくりと唾を飲み込んで……そのストレスから逃れようとするかのように、エレンに話しかけた。


「あ、あなたは……私を攫った犯人の、仲間ですの?」


「あん? ……そうだよ。けど別に、お前をどうこうしようってわけじゃないから安心しろよ、私らの……ニーナの目的は、あくまであの王女様だ」


 くそったれなことにな、とエレンは吐き捨てる。


 その言葉を聞いてホッと安堵の息を吐いたリエラは、少しだけ生まれた余裕が「自分だけ助かればいい」という甘えた思考を振り払い、エレンへの更なる質問を紡ぎ出す。


「アイミュ様を、どうするつもりですの?」


「ははっ……私みたいな、化け物にすんだとよ」


「え……」


 ちょうどそのタイミングで、どこからともなくアイミュの悲鳴が聞こえてきた。


 廃棄されているとはいえ、砦は緊急時の即応を目的に建てられている。何か異常が起きた時にすぐ気付けるようにするためか、その声は嫌というほどよく響いた。


「始まったみたいだな……」


「そんな……!! なんで、そんなことを!! アイミュ様はあんなんでもこの国の王女殿下ですのよ!? それを分かっていますの!?」


「じゃあ、あいつが王女じゃなかったらいいのか?」


「え……?」


 その一言は、リエラの心に棘のように突き刺さった。


 そんなつもりで言ったわけではないと、否定するのは簡単だ。

 しかし……無意識のうちに、王女だから、貴族だから、それ以外の人間とは違うのだと考えていたのは否定出来ない。


「私みたいな、何の立場もない人間が苦しむ分には……どうでもいいってのか?」


「それは……その……」


「はっ……まあいい、どっちにしろあの王女様が対象になってんのは、立場じゃなくて適性の話らしいからな。それに……あいつは、実験を受ける見返りに、お前の身の安全を保証させたって話だ。その意味では、適性も関係ないかもな」


「っ……!?」


 話は終わりだとばかりに、エレンは黙り込む。


 一方のリエラはといえば、自分のためにアイミュが今も苦しんでいると聞かされて、気が気ではなかった。


 今なお聞こえてくる悲鳴も相まって、何とかしなければという使命感ばかりが膨らんでいく。


 考えに考えた末……リエラに出来たのは結局のところ、ただ話しかけて、何か現状を変えるヒントがないか探ることしかなかった。


「あなたは……どうして、こんなところで、そのような体に……?」


「ニーナのためだ」


「ニーナ、というのは……?」


「私の……親代わり、みたいなもんだよ」


 ポツポツと、エレンは自分の身の上を打ち明ける。


 実の親が家庭崩壊と夜逃げで蒸発し、捨てられたこと。

 そんなエレンに何らかの素質を見出したニーナが彼女を拾い、その体を変質させていったことを。


「それは……その人は、あなたを都合よく利用しようとしただけで、あなたを助けようとしたわけでは……」


「そんなことは分かってんだよ!!!!」


 エレンの異形の腕が壁に叩き付けられ、砕けた石壁の破片が飛ぶ。


 リエラはびくりと震えて口を閉ざしてしまうのだが、エレンはそのまま語り続けた。


「分かってんだよ……けど、他にどうしろっていうんだよ!? 教会も、貴族も、王族だって、あの時の私に何もしてくれなかったじゃないか。ニーナだけが、私に手を差し伸べてくれたんだ!! だから私は、ニーナのために……!!」


「…………」


 少なくとも、今初めて関わったばかりの、お互いに名前も知らない間柄でしかないリエラには、彼女の葛藤を否定することは出来ないと思った。


 それでも、見ていて痛々しさすら覚えるエレンの慟哭に、そっと手を伸ばしかけて……ふと、違和感に気付く。


「……アイミュ様の悲鳴が、聞こえない?」


 何をされていたのか、具体的なところは分からない。

 それがひと段落したからこそ、悲鳴が止んだのか……それとも……。


「……え?」


 最悪の予想が頭を過りかけた時、天井が突然真っ赤に赤熱する。


 全く予想だにしない現象に、リエラの反応が遅れ……いち早く動いたエレンによって、突き飛ばされた。


 その直後、天井が崩落する。


「あぶねえ!!」


「きゃあ!? 何!?」


 倒れた体を起こし、顔を上げると……まず視界に映ったのは、紅蓮の炎。


 どこか覚えのある輝きに、リエラは歓喜の声を上げた。


「ブレイズ様! 来てくださったんですの……ね……?」


 しかし、その全貌が露わになるにつれ、リエラの頭は急速に冷えていく。


 炎は確かに、ブレイズのものだ。

 だがその中心にいたのは、漆黒の魔力に染まった人型の“ナニカ”だった。


 真っ黒な顔に浮かぶ炎の如き双眸は悪魔のようで、リエラは恐怖のあまりその場にへたり込んでしまう。


「ちっ、暴走してやがんのか……くそったれ!!」


 エレンがポケットから取り出した魔石に喰らい付き、力を解放する。


 腕の氷が全身を侵食し、屋内のサイズに合わせた人型の魔物……氷の狼人間ライカンスロープのようになったところで、燃え盛る悪魔へと吶喊した。


「うおぉぉぉ!!!!」


「グオォォォ!!!!」


 エレンの雄叫びと悪魔の咆哮が共鳴し、砦の一角を破壊していく。


 しかし、その力比べも長くは続かなかった。

 エレンが押し負け、派手に吹き飛ばされたのだ。


「ぐあぁぁぁ!?」


「あ、あなた、大丈夫!?」


「うぐっ……くそっ……」


 壁に叩き付けられたエレンは全身の氷を砕かれ、元の体に戻ってはいたが……相当にダメージを負ったのか、上手く立ち上がれない様子だった。


 そんなエレンへ向け、容赦なく悪魔は炎の拳を振り上げ──


「や、やめてくださいまし!!」


 リエラは、間に立ち塞がった。


「な、何やってんだ、お前……!?」


 何の力もない貴族令嬢が自分を庇う光景に、目を見開くエレンだったが……リエラは、エレンを見ているわけではなかった。


 ただ真っ直ぐに、目の前の悪魔を……暴走する“ブレイズ”を見つめていたのだ。


「あなたが戦うのは、この子を叩きのめして殺すためではないはずです!! 誰かが笑って過ごせる明日を守るため……そのために戦っているのでしょう!?」


 脳裏に浮かぶのは、お茶会の場でブレイズについて語っていたアイミュの顔。

 なぜ今それを思い出したのかは、リエラにも分からなかった。

 だが、このままやらせてはいけないと、それだけは確信を持って言える。


 この哀れな少女は……決して、ブレイズがその手で傷付けてはいけない存在なのだと。


「お願いします……私を助けてくださった、優しくて強いあなたに戻ってくださいまし、ブレイズ様……!!」


「ウッ……ア、アァ……アガァァァァ!!」


 炎の悪魔は拳を振り上げたまま停止し、その身を震わせる。


 やがて、一際強く咆哮を上げて……その炎が消え、中から金髪の少女が落ちてきた。


 咄嗟のことで驚きながらも、リエラはその体を受け止める。


「わっ、と……!! えっ……アイミュ、様……?」


「…………」


 完全に意識を失い、腕の中で浅い呼吸を繰り返すその少女を見て、リエラは目を見開く。


 その後ろで、エレンは呆れたように呟いた。


「まさか、本当に止めちまうなんて……しかも、知らなかったのかよ? あんたの言う“ブレイズ”ってのは、その王女様が変身した姿だよ」


「…………」


 予想外のことが立て続けに起こり、未だ混乱が収まらない頭の中で。


 リエラはただ、目の前の酷くか弱い体を守るように、優しく抱き締めるのだった。

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