第24話 交わらない願い
「う、うぅ……」
「アイミュ様! 気が付きましたの?」
やけに温かい感触に包まれながらの目覚めに、どこかボーッとした意識のまま声に釣られて顔を上げると……私を心配そうに覗き込む、リエラさんと目が合った。
「……良かった、無事だったんだ……」
まだ朦朧としているのもあってか、つい家族相手にするような口調が飛び出してしまう。
そんな私に、リエラさんは今にも泣きそうな顔になる。
「あなた、あと少しで人間ではなくなるところだったんですのよ? それなのに、起きて真っ先に言うことが私の心配なんて……どれだけお人好しなんですの、あなたは……!」
「ええと……」
人間じゃなくなるところだった、の意味が一瞬分からなくて、しばし記憶の糸を手繰り寄せて……思い出した。
私、ニーナさんに実験だって変な薬を打たれて、一気に体が熱くなって、苦しくて……エレンちゃんを。
「そうだ、エレンちゃんは!?」
「……ここにいるよ」
「あ……良かった……ほんとに……」
夢の中で、ボロボロになったエレンちゃんの姿を一度だけ目にした覚えはあるけど、無事かどうかまでは分からなかった。
こうして生きている姿が見れて、本当に良かったよ。
「はあ……私は敵だぞ? 頭おかしいんじゃねえか、お前」
「敵かどうかなんて、関係ないよ。私は今も、エレンちゃんと手を取り合いたいって思ってるから」
もちろん、改心したからって罪が消えるわけじゃないかもしれない。
でも、だからって……何も分かり合えないまま敵として戦って終わりだなんて、寂し過ぎるから。
「……ほんっとに、変なやつ」
「よく、言われるよ」
えへへ、と笑う私に、エレンちゃんは露骨な溜息を吐く。
そんな和やかな雰囲気に冷水を浴びせるように、ボロボロの部屋に声が響いた。
「あら……ふふふ、静かになったからおかしいと思ったら、まさか正気に戻ってるなんてね。そのまま完全に魔物に堕ちるまで暴れていてくれたら、私の手駒に加えられていたのに」
「……ニーナさん」
以前見た、魔物を操る杖を軽く振りながら歩いてくるニーナさん。その後ろにはニアも控えていて、思わず緊張が走る。
けれど、そんな緊迫した空気を破って、私は口を開いた。
「優しい声が、聞こえたんです。私のこの手は、誰かを傷付けるためのものじゃないって……大切な人がそう教えてくれたお陰で、ここに戻って来れました」
「へえ……随分とロマンチックな展開ね。演劇にしたら大人気間違いなしよ」
からかうように笑うニーナさんと……なぜか顔を赤くしているリエラさん。
……そんなに聞いてて恥ずかしくなるようなセリフだったかな?
「でもまあ、実験としては十分な成果を得られたから、良しとしましょう。あなたのお陰で……私の実験も、やっと最後の段階へ進められる」
「何をするつもりなんですか」
「決まってるでしょう? 人と融合して、魔物へと変貌させる力を持った魔物……それを完成させる目処が立ったの。ふふ、これまで薬剤投与っていう視点しか持っていなかったから、あなたは本当に貴重なサンプルだったわよ」
「……!?」
私が魔物化しかけていたのは、フレアドラゴンが死の間際に埋め込んだ体の一部が、呪いとなって私の体と融合しているから。
ニーナさんはその仕組みを使って、魔物を使って人を魔物に変えようとしている……!?
「やめてください!! そんなことをしたら、本当に元人間の怪物達が殺し合うだけの世界になってしまいます!!」
「このまま人が魔物に蹂躙されるだけの世界で生きるくらいなら、その方がマシだって言ったはずよ。それにね……この
「だったら、その……
「ところが、これってそんなに万能なものでもなくてね……操れるのは、私が作った“魔造薬”によって生まれた魔物と、私の手で後から調整された魔物だけ。たとえば、あなたとかね?」
「…………」
確かに、人為的に発生させた魔物しか操れないというなら、自然発生する魔物災害への備えにはならないかもしれない。
……今のままなら。
「でも、研究を重ねればもっと良い事に使えるようになるかもしれないじゃないですか!! それなのに、どうしてそんな過激な方法を……!!」
「あなたには分からないわよ。王城の中で、悲劇も苦しみも、何も知らずにぬくぬくと育ったあなたみたいな子供には」
「っ……!! 確かに私は、温室育ちかもしれません」
私だって、理不尽な悲劇も、失う悲しみも苦しみも、嫌になるくらい知っている。
けど、それはあくまで前世の話だし……そうでなくとも、私とニーナさんじゃ立場が違う。
似た経験をしたから分かるだなんて、そんな無責任な事は言いたくなかった。
「だからこそ、教えてください!! 私は……あなたを知って、分かり合いたい!! これ以上、誰も苦しまないで済む……みんなが幸せになれる明日のために!!」
「あははは……! 良い被検体だと思っていたけれど、ここまで頭がお花畑だと、顔も見たくなくなってくるわね」
ニーナさんの顔から、表情が抜け落ちる。
ゾッとするほど冷たい眼差しで、私を見下ろして……どこからともなく取り出した小瓶を、足下に投げ落とす。
「エレンちゃん、ここに王立騎士団が近付いているみたいなの。どんな手を使ったかは分からないけれど、居場所がバレちゃったみたい。だから、あなたはその迎撃にあたって頂戴。ここを引き払って、最後の実験に入るための時間稼ぎをして欲しいの」
「あ、ああ、それはいいけど……こいつらは、どうするんだ?」
「用は済んだから、放っておいても良かったんだけれど……いい加減、鬱陶しいから」
割れた小瓶から溢れた液体が魔力の渦となり、魔物を形成する。
いつも通りのゴブリンの登場に身を強ばらせる私達へ、ニーナさんは冷たく言い放った。
「ここで処分しちゃいましょう」
「な……何もそこまでしなくても……」
「エレンちゃん。私の判断に、何か文句でもあるのかしら?」
「っ……ねえよ」
「そう。なら、早く行きなさい、あまり時間はないから。……大丈夫、後で迎えに行ってあげるから。必ず、ね」
ニーナさんはそう言って指魔棒を振り、私達へゴブリンをけしかけてきた。
「させない……! つっ、うぅ……!」
何とかリエラさんを守るために、立ち上がろうとするんだけど……上手く、力が入らない。
「
嘲笑を浮かべながら、ニーナさんはニアと一緒に部屋を後にする。
残された私達は、ゆっくり迫るゴブリンに、ただ後退ることしか出来なかった。
でも、この部屋の唯一の逃げ場はゴブリンの後ろにあるから……すぐに追い込まれてしまう。
「アイミュ様、しっかり……! うぅ、こっち、来ないでくださいまし!!」
歩くことさえままならない私を支えながら、リエラさんが腕を振り回してゴブリンを威嚇するけど、何の効果もない。
そして、部屋に残った中で唯一ゴブリンに対抗する力を持ったエレンちゃんも……私達に背を向けて、一言。
「……悪いな。さよならだ」
そう言って、魔石を齧った。
全身を異形の氷で覆い、氷狼へと変身したエレンちゃんは、
「あの子、本当に私達を見捨てて……!」
「いえ、違います……! リエラさん、エレンちゃんが作ってくれた逃げ道から、脱出しましょう……!」
「っ、そういうことですのね!!」
私の言葉で、エレンちゃんが一つだけ私達にくれた慈悲に気付いたリエラさんは、私を支えながら走り出す。
けど、これまで背後にあった唯一の逃げ道を気にして慎重に迫っていたゴブリンも、こうなったら遠慮はいらないとばかりに全力で追いかけて来る。
いくら私の体が小さいからって、人間なんて大荷物を抱えて逃げ切れる相手じゃない。
「リエラさん、私のことは置いていってください……! 近くに騎士団が来てるなら、エレンちゃんが移動した足跡を追えば、誰かに保護してもらえるはずです……!」
廃砦の外は林になっていて、エレンちゃんの進んだ跡は薙ぎ倒された木々のお陰で分かりやすい。これなら、一人でも迷うことはないはず。
けれど、リエラさんはそんな私の意見に否を返した。
「置いていく? バカなこと言わないでくださいまし!! レバノンの娘は、恩人を見捨てて逃げ出すほど愚か者ではありませんわ!!」
「私なら、大丈夫です……自力で、何とか……」
「出来ないから、あのニーナとかいう性悪女もゴブリン一匹で襲わせたのでしょう!? 今のあなたは“ブレイズ様”ではなく、ただのひ弱な王女殿下なのですから!!」
ブレイズの名前が出てきたことに、私は一瞬驚いて……暴走して暴れたんだから、元に戻るところまで見られたんだろうとすぐに分かった。
「ごめんなさい、私……」
「言い訳も弁明も、全部生き残った後で聞きますわ!! 当然、その時には私のお礼の言葉もしっかり受け取って貰いますわよ!!」
「お礼……?」
「私を、魔物から助けてくれたこと!! ここに囚われた後も、私のために自ら実験を引き受けたと聞きましたわ!! まだ大して仲良くもなっていないあなたに、そこまでされて……!! ここでその恩を返さずして、いつ返すというんですの!? 絶対に生き延びて、ちゃんとそのお礼を言わせて貰いますわ!!」
そして、と。
リエラさんは、力の限り叫んだ。
「あなたのこと、もっと教えてくださいな!! 今度こそ、ちゃんとしたお友達になって……あなたのこと、支えさせてくださいまし!!」
「リエラさん……はい、必ず……!!」
二人でそう決意したのはいいものの、現実問題としてゴブリンが全く振り切れない。
私は魔物化しかけた影響でフラフラだし、リエラさんは元々体力がないみたいで……ついに限界に達したのか、リエラさんは倒れ込んでしまった。
当然、私も一緒に。
『グエッエッエッエ……!』
「っ……!! アイミュ様はやらせませんわよ!!」
リエラさんが、倒れた私を庇うように立ちはだかる。
その姿が、前世で私を庇おうとしたお母さんにダブって見えた。
「ダメ……リエラさん……!!」
こうなったら一か八か……私の中の炎竜の力を、もう一度解き放って……!!
──もう明日香もいないのに、自分一人で抑えられるの?
「っ……!!」
夢の中でエレンちゃんを殺しかけた事実が、私の中で僅かな躊躇いとなってブレーキを踏ませる。
その一瞬の間に、ゴブリンはリエラさんを組み伏せていた。
「ダメぇぇぇ!!!!」
必死に叫んで、手を伸ばす。
でも、やっぱり私の手は小さくて、目の前の悲劇一つ食い止める力もなくて……無力感でいっぱいになったその時。
ヒュッ、と。何かが宙を裂き、ゴブリンの額を貫いた。
『グギャ……!?』
その一撃で、ゴブリンは魔力になって霧散した。
そこに残されていたのは……小さな、投げナイフ……?
「ニア……?」
周囲を見渡しても、その姿は見えない。声が聞こえたわけでも、そういう道具を使っているところを見たことがあるわけでもない。
でもなぜか、私の頭にはその名前が真っ先に浮かんで来て……今はそれどころじゃないって思い出し、リエラさんのところに急いだ。
「リエラさん、大丈夫ですか……!?」
「ええ、何とか……今のは、一体?」
「分かりません。けど……とにかく、急いだ方が良さそうです」
耳を澄ますと、遠くから戦闘の音が聞こえて来る。
……騎士団と、エレンちゃんが戦ってるんだ。
「これ以上、誰も傷付けないために……戦いを、止めに行きましょう」
エレンちゃんは、ニーナさんのためなら何でもすると言っていた。実際、そうしたいと思っているんだろう。
でもその一方で、エレンちゃんは優しくて、本当は誰かを傷付けるのをすごく嫌がってると思うんだ。
そうじゃなかったら、私達をニーナさんの意向に反してまで助けたりはしない。
「まずは……エレンちゃんと、分かり合うために」
リエラさんに伸ばして届かなかった手を、ニアが代わりに繋いでくれた。
だから今度は……今度こそ、私のこの手をエレンちゃんに届かせてみせる。
「どちらにせよ、私達が助かるにはそうなって貰うしかありませんからね。……急ぎますわよ」
「はい。……それにあたって、リエラさんに一つだけお願いがあります」
「なんですの?」
「私をおぶって、あの場所まで向かってくれませんか? ……これから私は、一歩も歩けなくなると思うので」
私の言葉に、意味が分からないとリエラさんは首を傾げる。
……リエラさんが目の前で死にかけたことで、改めて分かったんだ。この後、エレンちゃんとお兄様達の戦いを止めようと思うなら……やっぱり、力が必要だって。
せめて、エレンちゃんと並ぶくらいの。
「私はこれから、戦場に着くまでの間で……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます