第13話

花に囲まれて、香りを楽しむように目を閉じる。



「気に入った?」



「はいっ! こんな素敵なお庭があるなんて、凄く羨ましいですっ!」



「まぁ、母親が花関係の仕事してるしね」



晶さんと廊下で出会った後、晶さんに連れられ、また花がある場所に来ている。



晶さんのお宅に招かれております。



広い庭に、小さな花畑のような場所が、少しづつ小分けになっていて、間を人が通るといった感じの造りをしていた。



たくさんの花を前に、香りを楽しむように目を閉じて息をめいっぱいに吸い込む。



花に囲まれて、どうしても顔が緩む。



頬に指が滑る。晶さんに視線を移す。



まるで恋人を見るように、優しく微笑む。なのに、瞳の奥で少し悲しそうなものが揺れた気がした。



「そうだ。これ、あげる」



目の前に差し出されたのは、バラのシールが貼ってある小さなビンだった。



「これ、凄くいい香りでさ、おすすめだから、嗅いでみて」



確かにいい香り。バラの香りに何か甘い匂いが混ざっていて、癒される。



その時、鞄の中でスマホが震えた。



蓋を閉め、鞄に伸ばした手が握られる。



「拓斗? お願い……出ないで」



「晶……さん?」



なんて顔をするんだろう。寂しそうで泣きそうで、苦しそうで縋るような顔。



なんだろ、頭がクラクラする。体の力が抜けて、ちゃんと立っていられない。これは、駄目だ。



「栞ちゃん、ごめんね……ほんと、ごめん」



その声を最後に、私の意識は途切れた。




目を覚ますと、そこは白一色。それでもカラフルなのは、床一面に花が散りばめられているから。



「あぁ、起きた? おはよ」



普通の朝のような、爽やかな声が聞こえる。



何だか、体がスースーする気がする。まだフラフラする頭を何とか機能させ、自分の体に視線を向ける。



着ていた制服とは違うものが着せられていた。



首にチョーカーのようにつけられているヒラヒラとした布。鎖骨が顕になり、肩と胸の真ん中が開いているワンピースのような服。スカートは膝丈で、花の柄がプリントされていた。



椅子に座っているだけなのに、身動きが取れない。椅子に手首と足首を縛られていた。



「あぁー……ほんと可愛いよ……。俺の可愛いお人形さん……」



滑るように撫でる指が頬、鎖骨から下へ流れていく。



「こんな可愛い子をさぁ、拓斗だけが独り占めとか……ずるいよねぇ」



髪を撫でた後、座り込んで私の膝に頭を乗せた。



「あ、きら……さ……」



「ねぇ……俺のになって……拓斗なんかより大事にするし、拓斗なんかより優しくするよ?」



顔は見えないけど、泣いているような、苦しそうな声が聞こえて、胸が痛む。



「ねぇ……俺のそばにいてよ……みんな、俺から離れていくんだ……アイツだって……」



アイツ? この人は、一体誰を見ているの?



私に縋りながら、誰かに縋ってる。やっぱり、この人は嘘つきだ。



朦朧としていた頭が、少しはっきりしてくる。



「晶、さん……アイツって……誰? あなたは、誰を求めてるんですか?」



こんな状況、おかしい。異常な事なはずなのに、不思議と恐怖はない。弱く泣いたような声で震える大きな子供。



怖がれって方が無理だ。最初の頃の怖さが嘘のよう。



ハッとして顔を上げて、見開く宝石のような目と視線が合う。



「やっぱり、嘘つきですね、晶さん。私にこんなことしてる暇ないでしょ。ちゃんとその人に言わなきゃ。正直に」



「駄目だ……だって、アイツは……」



「それでも、好きなら言わなきゃ伝わらないです。こんなに拗らせちゃうくらい、好きなんだって。大丈夫、怖がらないで」



そう笑った私の耳に、遠くから声がする。その後、大きな音を立てて扉が破られた。壊された、が正解。



「栞っ!」



「……会長」



私を視界に入れた会長の顔が怒りに歪むのが分かる。咄嗟に思ってる以上の声が出た。



「会長ストップっ!」



動き出したはずの会長がピタっと止まる。



「……っぷ……あはははははっ、栞ちゃん、ほんと最高っ!」



お腹を抱えて笑う晶さんを、不思議そうに眉を歪めながら見る会長。その後ろから、人が出てきて私は驚いて絶句する。



会長が大きいから、小さいその人が見えなかった。



大きな黒みがかった目が印象的な、ふんわりした色素の薄い肩まである髪を揺らした、可愛らしい女の子。



この子だ、って思った。



だって、晶さんの目が有り得ないほど、彼女に夢中って揺れてるから。



無表情で晶さんに近づいた。



ぽかっ。



そんな音がした気がする。



その子は、晶さんの頭を小突いたのだ。



「晶、あんた何やってんの? 女の子にこんな酷い事して。まさか馬鹿なの? 頭沸いてんじゃないの? 死ねば?」



その可愛らしい顔からは想像できないほどに、痛烈な言葉を連発する。晶さんもさすがの会長も、絶句していた。



「ひ、より……何で……」



「拓斗が必死で誰か探してたから、まさかと思って来てみたの。あんた最近よく拓斗の彼女にちょっかいかけてたから」



彼女ではないです。なんて、言える状況ではない。静かに怒っている。そんな感じ。



その子は、こちらを見て、少し困ったように微笑んだ。



「大丈夫? バカがごめんね。手足、痛かったよね? こいつにはちゃんとキツく言っとくから」



そう言って、私を拘束していたものを外していく。赤くなった部分に、会長が素早く動いて優しく触れる。



「栞……大丈夫か?」



「あ、えと、はい、大丈……っ!?」



突然キツく抱きしめられる。痛いくらい強く、体が少し震えてる。



「スマホにも出ねぇし、家にもいねぇし、めちゃくちゃ焦った……」



いつもの会長かと疑いたくなるくらい、弱々しい声でそう呟いた。



「ほら、晶、ちゃんと謝んな」



「栞、ちゃん、あの……ごめんね、ほんと……ごめ……」



「晶さん。私は大丈夫。だから、頑張って」



怒られてしょんぼりしてる晶さんが、まるで叱られた子供みたいな顔で見るから、つい笑ってしまった。



晶さんの拗らせた恋を、応援したくなった。



制服を受け取って、部屋を借りて着替えようと考えていると、体が浮いた。



至近距離に、会長の顔がある事に、体がビクリと固くなる。



凄く厳しい目で見られている。



「ぇと……あ、の……おろしっ……」



「駄目だ。離さねぇ」



熱いくらい熱がこもった目で言われ、心臓が跳ねる。



何、これ……なんで?



顔に熱が集中する。悟られないように、顔を背ける。



お姫様抱っこ、なるものをされ、そのまま外へ出ると、何とも大きな高級車が停まっていた。



当たり前のように、開かれた車内に乗り込む。



ほんとに車かと疑いたくなるくらいに広い車内でも、会長は私を離す事はなく、横向きに膝に座る形になる。



優しく髪を撫でる指。心地よくて、ウトウトしてしまう。



「眠いのか? 寝てろ。着いたら起こしてやる」



低くて優しい声。耳に口付けされ、私は心地よさとくすぐったさに、身をよじった。



会長がクスリと笑ったのを最後に、意識を自分から手放した。

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