五月



「味噌汁さえ作れば嫁に行けるよな」

「僕は男だ」

 さも当然のことのように、案の定陽影は僕の家に居座った。朝食として昨晩の残りの味噌汁を食べながら、そんな突拍子もないことをまじまじと僕を見ながら話す。

 少しではあるけれど職場にも慣れてきただろうし、部屋を探そうと思えば出来るはずなのに、どうにもそうする気配はない。

 休日の朝、何が楽しくて狭い部屋で男二人が向かい合って朝食を食べているんだ、と思う。

「じゃあ俺、出掛けてくる」

「ん」

 陽影は休日になると、必ず出掛けた。どこに行っているかは知らないけれど、朝から出掛けて夜までにはいつも帰ってくる。こっちに転勤してきたばかりで恋人がいるにしては早い気がするけれど、人との出会いなんて一瞬だし案外そうなのかもしれない。





「時和さんと蒼依さんって同級生だったんですか?」

 定時になり残業もなさそうだし帰るかといったところで、そう声を掛けられた。僕と陽影が一緒にいる時だったが、視線の先には主に陽影がいたので恐らくそちらに話し掛けたのだろう。

 陽影とは会社の中ではそう何度も親しく話しているわけではないけれど、休憩時間や帰る時などに一緒にいる時間は他の人と比べて多かった。そのせいか、社内に噂が広まるのも早い。

 特に陽影は人当たりが良いから、ぶっきらぼうになりがちな僕に比べてそういった質問をよくされているみたいだった。

「そうなんですよーこいつ昔っからクールで」

 陽影がばんばんと僕の肩を叩いてくる。

 話し掛けてきたのは都宮とみやさんというわりと新人の女性社員だったが、どう見ても人懐っこく明るい陽影に関心を示している。正直、面倒くさいな、と思う。

 陽影と都宮さんが当たり障りのない話をするのを僕は大した反応もしないまま、ぼんやりと聞いていた。


「……陽影。彼女がいるなら期待を持たせない方がいいんじゃないの」

「え?彼女?」

 都宮さんと別れた帰り道、スーパーで買い物をしながらそんな話をすると、何故だか逆に驚かれた。その後すぐに陽影は僕の言葉の意図に気付いたのか、くすくすと楽しげに笑った。

「懐かない猫みたいなものだよ」

 驚くほど柔らかく穏やかな声。細められた眼差しには、確かに愛しさがこめられているように感じた。ちょっとやそっとの好きでここまで柔らかい表情が出来るものだろうか。

「それより、美月は今度の休みは時間あるか?」

「なんで」

「その猫さんに渡すプレゼントを選びたいのです」

 やけに丁寧な口調でわざとらしく陽影は話す。聞き流して野菜を選んでかごに入れる間、陽影は缶チューハイを持ってきてかごに勝手に入れていく。

「まずはプレゼントよりその図々しい性格をどうにかした方がいいんじゃないか」

「ちゃんと自分の分は払うって」

 なら同じかごに入れなくてもいいのに。後からどのくらいと計算する方が大変じゃないだろうか。最初から別会計の方が楽だろうに。陽影の距離感はいつもこうだ。よくわからないけれど、何だかとても近い。

「大体、その猫さんとやらを僕は知らない」

 会計を終えてアパートに向かって歩く。

 袋はちょうど二つになったから、缶チューハイなどの重いものが入った方を迷いなく陽影に持たせた。陽影は文句を言うことはなく、何なら鼻歌でも歌い出しそうなほどの上機嫌さで隣を歩いている。

「んー、でもあれだよ。美月と猫さんは結構気が合うと思うんだよね」

 それは陽影の主観であって、僕には関係がない。どう言われようがどう思われようが、知らないものは知らないのだから。

「じゃあ、自分の好きなものでもあげればいい」

 ありがちで、外れのない答えを試しに言ってみる。けれどやはり陽影は納得していないようで、少し難しい表情をしている。

「でもなあ。俺の好きなものっていったらさ……あれだよ」

「なに」

「石」

 言われて、ふと思い出す。

 小学五年生の時、チョーク石というものが流行った時期があった。

 チョーク石というのは、多分正式名称ではないと思う。言ってしまえば、その辺に落ちている少し白っぽい普通の石なのだけれど、その石で地面に白い文字や絵が書けるのだ。けれど当時の陽影は石で字が書けることより、石自体に興味を抱いていたようだった。

 そして小学六年生の時に修学旅行で行った福島県の猪苗代湖で、水の透明感や広さに見入っていた僕とは違い、陽影はその近くのお土産屋さんにあった天然石の方に見入っていた。

 どうやらあのよくわからない趣味はまだ継続中らしい。

「アクセサリー類の石?」

「違う!原石が最も美しいんだ」

 まあ、そう言われるとは思った。石は石でも綺麗な宝石の類なら喜ぶ人は多いだろうに。いつの間にか僕の部屋に飾られていたいくつかの石は、どれもごつごつしたものばかりだった。

「流石にそれを貰っても喜ばないんじゃないかな」

「だよなあ」

 はあ、と陽影が大きく溜め息を吐く。

 人の家に勝手に押し掛けて居候しているような奴が、女の子のプレゼント一つでこうまで悩むとは。そのくらい大切に思っている子なのだろう。

「来月の誕生日で二十歳なんだ。だからお酒をあげるのもいいかなって思ったんだけど……お酒弱い美月でも飲める、美味しいやつとかある?」

「軽めのサワー。コップ半分まで飲めた」

 そしてその後喉がヒューヒューいったわけだが。

「お前ほんとお酒飲めないんだな……。それで、それを選びに行くのを付き合ってほしいんだよ」

 ぐるりと一回転して話が最初に戻った。陽影は期待を隠さないキラキラした目で見つめてくる。

 頷かないとその子の誕生日が来るまで、それはもうしつこいんだろうな。そう考えれば貴重な休日を一日くらい犠牲にしてしまうことも仕方がないと、何とか自分を納得させることが出来る。

「わかったよ」

「っ!ありがとう美月ー!」

「うわっ、抱きつくなよ」

 がっと勢いよく抱きつかれてバランスを崩す。前はどんぐりの背比べだったのに今では陽影の方が目線が高い。そんな奴に体重をかけられればよろけるのは必然だ。勢いあまってきているから陽影が持つ缶チューハイの入った袋もガチャガチャと揺れている。帰って開けたら吹き出してしまうんじゃないかな。

 抱きつかれるのを嫌がる僕の様子を特に気にすることもなく、陽影はいつもみたいに屈託なく、真っ直ぐ笑っていた。



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