四月
同じ時間を繰り返している。
何故生きているのかと言われれば、死ぬ理由がないからで、何故死なないのかと言われても、答えは同じだ。僕の心はきっと空っぽなのだろう。それか、穴が空いている。壊れた
当たり前のように朝になれば起きて、当たり前のように会社に行って仕事をして、当たり前のように帰宅して、当たり前のように眠る。それの繰り返し。
つまらない人生なのだろう。けれど、不満はない。少しの申し訳なさと罪悪感が時折ジクジク痛むくらいだ。そして夜に眠る時にいつも、ああこのまま眠り続けていられたらいいのに、と。思うことはそれだけだ。
「……というわけで、東京本社から異動してきました、
年度が明けて四月。所属部署変更がいくつかあったり、定年で退職した人がいたりと会社内でも動きがあった。その中でも話題になったのは、一人、東京から異動してきた社員がいたことだ。
にっこりと、太陽のように暖かく屈託のない真っ直ぐな笑顔。それには見覚えがあった。少し色素の薄いふわりとしたくせのある柔らかな短髪も昔のままだ。
明るい挨拶を好意的に受け取られ、パチパチと拍手に囲まれる姿。
ふと目が合うと、どうやらあっちも気付いたらしい。少し驚いたように目を見開いてから、その後とても懐かしむように微笑んだ。
時間が経っているのに、気付くものなのだな、とぼんやり考えた。
「お前、
昼休憩に入ると、そいつは真っ先に僕のところへ来た。異動してきたばかりなのだからもっと他に挨拶をするべき人がいるだろうと思うけれど、そういったことを気にしないところもちっとも変わっていなくて可笑しかった。
僕は休憩の時はなるべく一人になりたくて、よく会社の外に出て近くの公園のベンチで食べている。平日の昼時は中々に人気がなくて良い場所なのだ。そんな僕をわざわざ追い掛けてきたというのも可笑しくて、つい笑みがこぼれる。
「そうだよ。久しぶり、陽影」
その名を口にしたのも、とても久しぶりだった。もう十年は呼んでいなかったのに、あまりにも自然に言葉になったことに少しだけ驚く。
陽影は僕が思った通りの人間であったことに満足したのか嬉しそうに笑い、そしてさも当然のように僕の隣に座り、ばりっとパンの袋を開けて食べはじめる。
「美月はずっとここにいたのか?」
この質問はお昼をここで食べているのかというような意味ではなく、ずっと宮城にいたのか、ということだろう。陽影はしばしば主語がないことがある。明るく話し上手に見えて、実際わりとそうなのだけれど、話が飛び飛びになったり話したつもりになっていることがままあったのだ。そういう話し方も懐かしいな、と思う。
「ん」
食事をしながらの話だったから、短く頷く。
「そっかー。実家で暮らしてんの?」
「いや。家は出たよ」
「じゃあ今日邪魔していい?」
「別にいいけど」
「やった!」
こうやってずかずかと乗り込んでくるところも変わらない。何となく張っている境界線はいつだって、陽影にとっては些細なことでしかないのだ。
勝手に踏み込まれることは僕は苦手だけれど、そんな風に陽影は思わせない。むしろ居心地の良ささえ感じるほどにすうっと自然に馴染んで、懐かしいこの感覚に僕は少しばかり心が浮き立つのを感じていた。
出席番号が必ず隣同士で、身長も同じくらい。誕生日もたったの四日違い。そのせいか小学生の頃、何かにつけて同じ班になるし、話す機会も多かった。クラスも田舎で大した人数がいなかったからたったの二クラスしかなく、六年間のうち、三、五、六年生の時、ちょうど二分の一の確率で陽影とは同じクラスだった。
陽影は昔から明るい性格で、逆に僕は寡黙で大人しかった。性格は全然違っていたのにどうしてか話してみると気が合って、何となく一緒にいることが多かった。こういうのを、もしかしたらくされ縁というのかもしれない。
互いの家に行き来したり、休日に遊んだりというような特別に親しい関係性ではなかったけれど、学校ではわりとよく話していた。もっとも、陽影は友達が多かったから、陽影にとって僕は大勢の中の一人に過ぎなかったかもしれないけれど。
「陽影。聞いてもいい?」
「んー?」
「何でキャリーバッグを持ってるのかな」
仕事を終えて帰宅途中。昼休みに約束した通りに陽影は僕の家に来る為についてきているわけだけれど、後ろからガラガラと大荷物を引きずる音がしている。
「驚かないで聞いてほしいんだけど」
「なに」
「俺、宿なしなんだよね」
足は止めないままちらりと少しだけ振り返ってみると、陽影は悪びれもせずに笑っている。
そうだ、こいつは昔からこういう奴だった。強かというか、ちゃっかりしているというか、人の懐に入ることに異様に長けている。
はあ、と心の中でひっそりと溜め息を吐く。僕は他人とあまり関わりたくはない。家に泊めるなんて以ての外、……だというのに、別に良いかとあっさり思ってしまうほどには、子供の頃、陽影に絆されていたのだ。そしてそれを悪くないと感じている。
「言っとくけど、狭いよ」
「いいのいいの」
何がいいのか、と思う。
生活が出来れば、というか寝ることが出来れば十分だと考えていたから、僕が借りているアパートは少し古びていて、部屋も勿論広くない。着いてみればわかることだけれど。まあ、見たところでもう陽影は家に泊まる気でいるようだ。どうせ自分の意見は曲げないだろう。
「というか、偶然僕に会わなかったらどうするつもりだったんだよ」
探せばビジネスホテルの空きはどこかにあるかもしれないが、仕事終わりに探すのも手間だろう。ゆっくり休めもしないだろうし。というか転勤してくるのならその前にアパートやマンションを借りておくものだろう。
「いや、まあ何とかなるかなあって」
「その根拠のない自信はどこからくるんだ」
「でもほら、事実何とかなっただろ?」
悪戯が成功した子供みたいな笑顔だ。とても二十四歳の男が見せる笑顔じゃないな、と思う。
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