四月



「おー本当に狭い。……でも広い!」

 それが僕の部屋を見ての陽影の感想だった。

「矛盾しているけど」

「いや、だってなんか殺風景だなって思って」

 確かに、それはそうかもしれない。何かを買い集める趣味というものもないから部屋にあるのは生活必需品くらいのもので、他は少し大きめの本棚がある程度だ。僕が住むこの狭い一部屋は確かに、狭いわりにはガランとしている。

 陽影は荷物を置いて、ぐるりと部屋を見回す。

 とはいえ大して見るものもない部屋だ。だというのに何故か陽影は満足そうに頷いている。

「うん、美月らしい部屋だ」

「それはどうも」

 とりあえず、褒められてはいるのだろう。嫌な雰囲気は一切感じない。

 僕も鞄を置いて、さっさと部屋着に着替える。家に帰ってきたのにいつまでもスーツでいるのは肩が凝る。

 着替えたら備え付けの簡易キッチンで手を洗う。冷蔵庫から食材を取り出す僕の姿を、陽影は物珍しいといった風に見てきた。腹が減っては戦はできぬというやつだ、まずは夕食。それに限る。

「美月、自炊してるのか?」

「そうだけど」

「料理出来るんだ」

「そこそこ」

 自分が食べるのに困らない程度にだから、別に大して上手いわけではない。要は食べられればいいのだから。

 僕が夕食を作る間、陽影は着替えてから荷物の整理をしているようだった。タオルやら歯ブラシやらをせかせかと色々な場所へ設置していく。どうやらこの様子だと、一日どころかしばらくここに居座りそうだ。

「あれっ、アルコールがない」

 荷物の整理を粗方終えた陽影が冷蔵庫を開けて、とても残念そうに呟く。

「僕はお酒が飲めない」

「えっなんで?」

「アレルギー。喉が焼けるようだった」

 あくまでも『ごく普通の人間』という位置にいたかった僕は、成人した時に、お酒は嗜む程度には飲めるというポテンシャルを手に入れようと飲んでみたが、結果上手くいかなかった。ほんの少ししかお酒を飲んでいないというのに喉が焼けるように熱くなり、全然飲めなかったのだ。だから酔いもしなかったし、酔うという感覚もわからない。その後夜中に喉がヒューヒューと音を立てはじめた時は流石に病院に行くべきか迷った。それ以来、飲酒はしていない。

「陽影は飲むのか?」

「あー、まあ色々あった時とかはさ、飲みたくなるよ」

 ぱたん、と冷蔵庫が閉じられる。結局陽影はペットボトルのお茶を出して、それを持参したコップに注いで飲むことにしたようだ。


 簡単な野菜の炒めものとご飯と、それから豆腐とわかめの味噌汁。二人分を狭いテーブルの上に置く。

「いつもこんな風にちゃんと作ってんの?」

「味噌汁は明日の朝も食べる」

「へえ、でもすごいな。いただきます」

 向かい合って座り、食べはじめる。お酒が飲めないこともあって会社の飲み会にも僕はたまにしか参加していないから、考えてみればこうして誰かとご飯を食べるのは久しぶりだった。実家も近いけれど、わざわざ帰ることもしていなかったし。

 今日のお昼休憩の時も一緒に食べたといえばそうなのかもしれないけれど、やはり作った料理で食卓を囲む、というのは少し違う。自分で作った変わり映えのしない食事なのに、不思議と普段よりどこか美味しく感じた。


 食事を終えて片付ける。その間に陽影がコーヒーを淹れてくれた。どうやら陽影の私物らしい。

「飲めるようになったか?」

「ん」

 差し出されたコーヒーを受け取る。コーヒー独特の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。子供の頃は二人とも、試しに飲んでみたコーヒーの苦味に顔を顰めたものだ。修学旅行先でのことだったっけか。思い出しながら、息を吹きかけてコーヒーを冷ましていく。

「猫舌なところは成長していないんだな」

「……うるさい」

 陽影は熱いコーヒーを平気な顔をして飲んでいた。まったく理解出来ない感覚だ。一体何故火傷をしないのか。九十度もある熱湯だというのに。

 コーヒーを飲んだ後は、久しぶりの再会ではあったけれど、積もる話もそこそこに僕たちは互いに読書をはじめた。それがどうにも僕たちらしくて可笑しい。

 しんとした部屋に時折、ページを捲る音がする。カチ、カチ、と時計の音。ブーン、という冷蔵庫の音。静かで、穏やかな時間。この居心地の良さは何年経ってもそのままなのだと考えると、とても意味のあるもののように思えた。

 まだ生きていて、良かった。死んでいたら再会は出来なかったから。

 死ぬ理由が特にないから流されるままに生きている。僕がそれだけであることには変わりはないし、眠っていたいとは今でも思う。それでも無価値で空っぽの僕のまま、そのままの自分を理解してくれる人がいる。それはとても、とても、恵まれていることだ。



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