ランドスケープアゲート
怪人X
三月、序章
小さい頃、片栗粉を水で溶かしたものを、とてもよく効く酔い止めの薬だと言われてよく飲まされた。
でも僕は前述の通りその薬の正体が酔い止めの薬ではなく、ただの片栗粉であることを知ってしまっていた。だから、効かなかった。
同じことを小学六年生の修学旅行の時に、乗り物酔いがひどいという同じ班の人に試してみたら、そいつはちっとも酔わなかった。それらしい袋に包んだだけのただの片栗粉でも、驚くほど効果があったのだ。
騙される人間は、幸福だ。
信じるものはすくわれる。それはあながち間違いじゃない。昔も今も、僕はそう思っている。
陽の下に出ると、眩む。
春の陽射しは特に苦手だった。夏ほど眩しいわけでもなく、どこか気怠げな憂鬱さを背負っているように感じる。だからこそ、黒に身を包んで静かに階段を上っていく。
まだ混み合うような時期ではない。だから人気はまるでなく、さわさわと緩やかな風が木々を揺らす音さえ聞こえる。あまり整備がされていない階段は、歩くと砂利が音を立てる。革靴に土が付き、小石が飛ぶ。それでも雑草が生い茂ったりはしていないのは、定期的にここを通る人たちがいるからだろう。必要最低限の整備はしてあるのだ。
階段を上りきると、海が見えた。視界が急に開ける。高い場所にあるから、水平線まで綺麗に見える。
ああ、と、妙に納得する。あいつらしいな、と。
「……いるんだろう?」
足を止めて呼び掛ける。さあっと風が吹いた。陽射しはもう春なのに、風はまだ随分と冷たい。
遠くに映る海にも誰もいない。夏の気配はまだまだ遠く、どことなく冬の名残を感じさせるような冷たさだった。しんと静かで、まるで世界にたった二人しかいないかのように。
「最後の話し合いをしよう」
もう一度、声を掛ける。
反応はない。けれど、気配はする。ちゃんとわかる。どうしたってこの日、この場所に、来るだろうと知っていた。それをわかるくらいの時間は共に過ごした。
この話は平行線だ。今も、もしかしたらこれからも。
それでもぐるりと季節が巡ってもうすぐ一年。たったの一年。かけがえのない一年。短くもあり長くもある。目を閉じて思い出せば鮮やかに浮かんでくるたくさんの記憶。この一年を、僕は永遠に忘れない。
四月。あの日、あの時から、僕たちの時間は流れはじめた。
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