二月
誰だってそうだ。自分にとって大切なものをわかっている人は少ない。大切だと思おうとしている人、思い込んで気付かない人、色々な人がいるだろう。
例えば世界が今日で滅びるのだとしたら、僕は迷わず唯のところへ行くだろう。たった一年ほど前の僕なら、きっとどこにも行くことはなく、自分の部屋でいつも通りに本を読んでいたと思う。特に恐怖を感じることもなく、無感情に、そうだ夜は何を食べようかななどと、呑気に考えながら。
そんなことをぼんやりと考えながら、よく陽影とお昼を食べた会社近くの公園のベンチで過ごす。昼食は既に食べ終わり、誰もいない公園を眺めていたけれど、世界が終わる時が来るのならどこもこんな風に静寂に包まれているのかなと思う。雪こそ降っていなかったものの、二月の外はとても寒い。だからまあ、公園に誰もいないのは珍しいことではないのだけれど。
寒いからきっと、少し気落ちしているのだ。
休んでいた会社に復帰したものの、陽影のいない職場はやはりどこか静かで、みんなそれを埋めるように仕事をしていた。
「あの、蒼依さん」
話し掛けられて少し驚く。会社から近いとはいえ、わざわざこんなところへ来てお昼を食べる人は少なかったから。
声の主は、都宮さんだった。
「もう大丈夫なんですか……?」
とても心配そうに、不安そうに表情を歪めながら。都宮さんとはこれまで、特別話をするような仲ではなかった。仕事上話をすることはあっても、そのくらいで。それなのにみんなが避けて通るような話を、敢えて大丈夫かなどと問い掛けてくるなんて。不器用な人なのか、それともただ空気を読まない人なのか。ただ、もしも偶然ではなくここまで僕を追い掛けてきたのだというのなら、恐らく前者なのだろう。
僕が会社に復帰してからしばらく経つけれど、都宮さんもまた体調を崩して休みがちだったと聞いていた。それもあり、仕事自体が忙しかったこともあり、こうしてまともに顔を合わせたのは随分久しぶりの気がする。
「大丈夫そうに見えますか?」
「い、いえ……」
少し意地の悪い返事をしてみると、彼女は困ったように首を振った。それでも、失礼しましたなどと逃げることはせず、逆に意を決したような表情でこちらを見てきた。
「あの、わたし……退職、するんです」
「え?」
何だか思っていたことと全く違う方向からの言葉だった。
何故、そのことを突然僕に話し出したのかわからない。けれどお昼休みの終了までにはまだ時間があったし、都宮さんが立ったままこういった話をするのはどうなのだろうかと思い、ベンチに座ることをジェスチャーで勧めると、都宮さんは小さく頭を下げて僕の隣に座った。
「一年も働いていないのに退職なんて、ご迷惑かもしれませんけど……」
「いえ、そんなことは」
陽影が四月に異動してくるその少し前、三月の半ば頃から都宮さんは働いている。少し抜けているようなところはあったみたいだけれど、真面目な人だったし、対人関係もそう悪いようには見えなかった。だから退職するというのは、少し意外だった。
「実家で、子供を産むつもりです」
都宮さんはそう話し、自らのお腹に手をあてた。まだそんなに大きくなっているようには見えないが、そう話すということは妊娠しているのだろう。
『結婚する』ではなく『子供を産む』と表現した時点で、順風満帆な話ではないように感じた。ただわからないのは、どうしてそれを親しくもない僕に話すのか、ということだった。
一つ、思い当たる理由はあった。都宮さんは、陽影に関心を示していた。もしもそれが時間の流れとともに二人しか知り得ない関係性を築いていたのだとしたら。
「……その、子供、は……」
はくはくとして上手く言葉にならない。どう聞けばいいのか、聞いてもいいことなのか。
僕の言おうとして、けれど言葉にならないものを都宮さんは受け取ってくれたのか、こくりと頷いた。
だとしたなら都宮さんだって、まだ何もかもきっと上手く言葉に出来ないだろう。気持ちの整理だってつくはずがない。
都宮さんはベンチから立ち上がるとそのまま何も言わずに深く頭を下げて、立ち去っていった。
僕はしばらく呆然としたまま動けなかった。ぐるぐると様々な感情が巡って、飲み込めない。
陽影は陽影なりに生きて、何かを残そうとしていたのだ。唯のことを気に掛けながらも、自分のことだって幸せな方向へと歩いていけるように。死にたくなんてなかったはずだ。生きたかったはずだ。悔しくて、たまらない。陽影が生きている未来を、まだいくらだって想像出来るというのに。
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