春
唯のアパートの部屋には、どんどん本が増えていく。押し入れに溜まっていく本を見て、ひとまずは興味があるものが出来て良かったと思う。
休みの度、唯のところへ来た。仕事帰りにも寄って、様子を見ることも多かった。たった一人の妹である唯のその体には、新しいものから古いものまでいくつもの暴力の痕があって、そしてびっくりするほどに軽い。暴力を受けていただけではなく、ろくに食事もしていなかったようだった。
唯は大分小柄で、年齢よりも幼く見える。もっと早く、せめて父と離れて暮らしをさせたかったけれど、当の唯が中々首を縦に振ってくれなかった。長年連絡もなく会っていなかった実兄に信用などはなく、暴力を振るってくる相手が変わるだけと思っていたのかもしれない。何が唯の心を動かしたのかはわからないけれどようやくある程度信用してもらえたようで、父には内緒で用意したアパートに住んでくれることになった。
「唯、ご飯を食べよう」
俺は美月とは違って料理が出来ないから、出来合いのものを買ってきて食べている。当然のように唯も出来なかったので、こうなってしまうことは致し方ないのだが。
呼び掛けると唯は読んでいた本に栞を挟んで、ぱたんと閉じる。
父のところから唯を連れ出して、少しずつ唯の状態は落ち着いてきた。最初は早く父のところへ帰らないとと怯えて震えていたのだけれど、最近は一人で仙台駅近くまで行けるようになった。主に本屋に行きたいという気持ちでのようだけれど。実家と仙台駅が遠いというのも理由の一つかもしれない。
唯が求めたのは、知識だった。なくしてしまった、忘れてしまった、あるいは覚えることが出来なかった感情や表情を探すように、今はとても多くの本を読んでいる。
「なあ、唯。今度さ、美月に会ってみないか?」
「……みつき?」
「俺の大事な友達」
それは思いつきというか、インスピレーションだった。もしかしたら、美月と唯は気が合うのではないかという。
聞いてみると、唯は特に何も言わなかった。何も言わないということは、恐らく駄目ではないということだろう。乗り気というわけではないにしても。
「じゃあ、今度連れてくるよ」
くしゃくしゃと唯の頭を撫でる。触る時、唯は一瞬ぴくりと体が震えて強張る。そのことが悲しくて、痛ましかった。
「……唯」
俺があの時選択を間違えなければ、唯は今幸せに暮らせていたのだろうか。そう思うと後悔がやまない。事実、母の癇癪は病気に罹ってからは落ち着いて、時間面、金銭面での苦労はしたものの、闘病生活を送る母を支える毎日は短いながらも幸せなものだった。ありがとうとよく口にしてくれて、笑ってくれていた。唯が母と暮らせていたなら。何度も、そう思う。
ごめん、と謝るのはずるい気がして、俺は何も言えなかった。ただ、怖がらないでほしくて、様子を窺いながらそっと抱き締める。その体はとても細くて、頼りなくて、折れてしまいそうだった。
「どうして、陽影が泣くの」
唯が問い掛ける。その言葉が悲しい。
子供の頃の唯の笑顔を思い出す。子供らしく純粋で、可愛らしいものだった。あの時は、お兄ちゃんと呼んでくれていた。喧嘩をして泣かせてしまったことだってあったが、最後には仲直りをして一緒にご飯を食べて、そうやって過ごした。
「……うん。どうしてだろうね」
泣きたいのは唯のはずなのに、唯は泣かない。泣き方さえ、きっと忘れてしまったのだ。
俺はこの子を助けなくちゃいけない。助けたいというのが自己満足だとしても、それでも。
きつく抱き締めて、かたく誓う。必ず幸せにするのだと。唯が失くした一つ一つを、一緒に見つけていくのだ。
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