八月



 生まれてからこれまで、港町に住んでいても船に乗って島に来たことはこれまでなかった。

 はじめて降り立った離島の空気は、吸い込むと潮の匂いが体に染みていって澄んでいくようだった。

 ぼーっと音を立てて離れていく船を追いかけるようにウミネコがミャアミャア鳴きながら飛んでついていく。

「綺麗なところだな」

 ぽつりとそう呟くと、陽影は嬉しそうに柔らかく微笑んだ。

 船着場から歩いて移動する。結構急勾配の坂を上っていく。道路は車一台分ほどの幅しかなくて、島内を移動するには徒歩かバイクが良いのだと陽影は話した。確かに軽自動車同士でもこの道路では擦れ違うのは難しそうだ。擦れ違えるのだろうか。歩いていて見掛ける車も一、二台ほどしかなかった。港に人を迎えに来たのだろうか。そのどれもが小さな軽トラックだった。

 坂道を上り終えると、その先に海が見える。

 正面の道路はここからは下り坂で、ずっと海の方まで続いている。津波避けなのか、松の木が海の側にたくさんあった。家も建ち並んでいて、こんなに海の近くに住めるのは心地良いだろうなと思う。海から運ばれてくる潮風は、心にじんと沁みるようだった。

「美月、ここから曲がるんだ」

 それまで道なりに進んできた道路を右に曲がる。そこからは更に細くなった道を歩いていく。また上り坂だった。少し歩いてから左に曲がると、あとは道なりらしい。下り坂になって、海が近くなったように感じた。

 しばらく歩くと長い階段があった。舗装は大してされているわけではなく、上っていくとじゃりじゃりと音が鳴った。土と小石の音だ。上の方まで行くと、両脇には緑。何の木かはわからないけれど、夏の日差しで鮮やかな緑色がキラキラとしていた。

 そこを抜けると、さあっと風が吹く。高い場所にあるからか、遠くの水平線が綺麗に見える。何故だか胸がきゅうっと締め付けられる感覚がした。着いた場所は、墓地だ。墓参りと聞いていたから当然ではあるのだけれど。周りには木が生い茂り、自然が溢れている。遠くに見える海も眩しくて、とても眺めの良い墓地だ。ここに陽影のおばあさんは眠っているのか。

「島暮らしはわりと不便だからさ。両親……うちの母親が結婚する時に島を出て、移り住んだんだ。俺はよくこの島に遊びに来ていたし、ばーちゃんのことも好きだった」

 陽影が立ち止まった墓石の前には、既に花が添えられていた。墓石も手入れをされているようだ。だから陽影はほとんど手ぶらだったのか。

 陽影は鞄からペットボトルの水とお茶を取り出して、墓石の側に置いてあったコップに軽く洗ってそれぞれ注ぐ。備えるお菓子もしっかり持ってきていたようで、それも鞄から出した。が、お供えするお菓子ってこう、花の形をした和菓子とか日持ちする系のやつだと思っていたけど、陽影が出したのはお月様みたいな黄色くて真ん丸のお菓子、萩の月だった。……いや、こういうのはつっこまない方が良いんだよな。生前、陽影のおばあさんが好きだった可能性とかあるし。

 お線香をあげて、三人で手を合わせ、目を閉じる。

 僕は陽影のおばあさんの顔は知らない。会ったこともない。でも陽影が好きで、今でもこうして墓参りに来るような人だったのだ。良い人だったのだろう。

「うん。じゃ、はいコレ美月の分」

 陽影に差し出されたのは、先程お墓に供えた萩の月だった。

「……僕の分?」

 首を傾げていると、ばりっと隣で音がする。袋を開けて唯が萩の月を食べていた。

「唯!?え、それお供え物なんじゃ」

「そうそう。供えたお菓子は残さず全部、ここで食ってくの。みんなでね」

「そう、なのか?」

 少なくとも家の墓参りでは供えたお菓子はそのままにして帰るはずだけれど。地域性なのだろうか。

 陽影も食べはじめたので、僕もそれに倣って食べる。ふわふわして、ほんのり甘くて、美味しい。


「海、寄ってくか?」

 帰り道、陽影が指を差す。

「今の時期は人がいるからいい」

「じゃ、また今度な」

「うん」

 唯がすぐに否定すると、陽影がくすっと笑った。最初から否定されることはわかった上で聞いたのだろう。

 ここの海にはとても静かな場所があって、きっと美月も好きになる、という陽影の力説を聞きながら僕たちは来た道を戻っていく。船の時間までまだしばらくあるから、ゆっくりと。

 本当に、穏やかな場所だ。

 潮風に包まれながらミンミンときつく鳴き続ける蝉の声を聞いて船を待つ。いつも大してない口数は、陽影がそんなに喋らなくなったことで更に少なくなっている。でも、そんなことは些細なことでしかなかった。

 見上げた空は広く、青く、雲は白くて美しかった。それだけの景色が何故だかひどく胸に残る。いつまでも残しておけるだろうかと、目蓋を閉じて深く息を吸い込んだ。



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