七月
毎週休みの度に陽影が会いに行っている懐かない猫は、唯という名前の先月二十歳になったばかりの女の子だということが判明した。
それはまあいいのだけれど、謎なのはその毎週休みの逢瀬に何故か僕まで連れていかれるようになったことだ。本当に何故、という感情しか出てこない。
不服なのはそれを悪くないと思っている自分がいることだ。本気で嫌なら断固拒否だって出来る。けれど陽影に引っ張られながらも毎週連れ出されるし、唯は唯で僕がいても平然とした顔をしている。どうやら陽影と二人きりで会いたい、などという欲はないらしい。まさか陽影の片思いなのだろうか。
「ここ、家」
唯が指を差す。七月になったところで、これまで外で会っていたが唯の住むアパートに案内されたのだった。
僕の住む大して広くないアパートとそう変わりはない大きさで、古すぎるということはなくてもオートロックのような設備もない。一人暮らしと聞いているけれど、女の子の一人暮らし
でこれは大丈夫なのだろうか。
がちゃり、と唯は鍵を開けて、そして中に案内される。
「……お邪魔します」
挨拶をして中へと入る。
第一印象としては、生活感のない部屋だった。家具なども必要最低限といった感じで、どれもこれも柄のないシンプルなデザイン。僕の部屋とどこか似た感じがある。といっても、今の僕の部屋は陽影の荷物があるから、生活感が溢れまくってしまっているけれど。
「美月、こっち来てみろよ」
陽影は遠慮もなくずかずかと中を進む。そして押し入れを指差して、がらっと開けた。この部屋の主の許可は取らなくていいのか。
「陽影、流石にプライバシーの……」
言い掛けて、ふと止まる。開けられた押し入れの中にはぎっしりと本が詰まっていて、思わず見入ってしまった。ありとあらゆるジャンルの本が詰まっている。雑食なのだろうか。僕の部屋にも大量の本があるが、唯のこの量もすごい。
「すごい量だ」
だからこの言葉が素直に口から出た。
「好きに読んでいいよ」
それは陽影が言う言葉ではないと思うけれど。
ちらりと見ると唯は三人分のお茶を準備しているようだった。僕と陽影の会話は同じ室内だし当然聞こえているだろうけれど、特に何も話さない。否定しないということは了承しているということなのだろうか。
それから唯が淹れてくれたお茶を飲みながら、三人それぞれ別段会話もなく、黙々と本を読みはじめた。こういう時、相性というものがよくわかる。
沈黙が苦ではない関係。それは僕にとって、とても居心地が良いものだ。特に陽影はよく話すしよく笑うけど、僕と二人でいる時はこうしてふと喋らなくなることがある。その沈黙の時間は苦になるようなものではなくて、とても自然な感じがする。だからといって普段が無理をして明るく笑っているのだとか、そういうことでもないのに。
意外だったのは、唯がいても同じ空気になったということだ。
はじめて会った時もその後何度か会った時も、確かに唯の口数は少なかった。悪くない時間だなとは思ってはいたけれど、まったく気を遣わずにいれたかといえばそれは違う。けれど今、こういった狭い空間で、まるで自分の部屋にいるかのような感覚を、はじめて来た場所で、知り合って間もない人と一緒で、味わえるとは思っていなかったのだ。
「夕飯食べていく?」
ぽつりと、何もなかった空間に唯の声が響いて、はっと現実に帰る。それまで居心地の良さに甘えて、本に入り込んでいた。
陽影は読みかけの本に栞を挟んで、ぱたんと閉じる。
「どうする?美月」
「いや、そこまで甘えるわけにはいかないだろ」
午前中に家に来たはずなのに、お昼も食べずに最早夕方。どれだけ集中して三人で読書していたんだ。
流石に帰ろうと思ってすぐに否定の言葉を放ってから僕も本に栞を挟み、閉じる。唯の家の本だというのに、これでは陽影同様また来る気満々といった感じだが、それも良いなと思ってしまっていた。勿論、家主である唯が良ければが大前提なのだが。
本から視線を外してふと夕飯の提案をしてくれた唯を見た時、その手にカップラーメンを持ちながら首を傾げている姿が見えて、立ち上がって帰ろうとしていた僕の体がほとんど無意識のうちにぴたりと止まった。
「……いや……まさか、夕飯ってそれ?」
こくん、と唯が頷く。
「唯は俺と同じで、料理が出来ないんだよ」
「は?じゃあ、いつもこういうもの食べてるのか?」
こくん、とやはり唯は頷く。
年頃の女の子がこういったカップラーメンばかりだとか嗜好食品ばかりを食べるのってどうなんだ。いや、どう考えても体に悪いだろう。買って食べたり外食したりはカロリーも当然高いし、それらばかりでは栄養も偏る。僕だってそうガチガチに食生活にこだわっていたり気にしているわけではないけれど、一切の自炊をしないというのは問題を感じる。
「料理を覚えようとは思わないのか?」
一応聞いてみると、唯は少しの間の後、ふるふると首を振った。覚えてみたいという気持ちはどうやらあるらしい。
「いやあ、俺じゃあ教えられないしね」
確かに、陽影は料理が出来ない。教えながら一緒にやってみたこともあったけれど、そっちの才能は陽影には皆無といってもいいほどだった。恐らく教える人がいなかっただけで、唯には覚えるつもりがないわけではないようだ。
「わかった。良ければ、僕が教える」
はあ、と溜め息を吐く。流石に食生活が心配だ。乗りかかった船とはいえ、何故僕が人の彼女に料理を教えるなどというおかしな状況になっているのだろうか。
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