六月
「あれ、二人とも一緒にいたのか?」
陽影の声がして、そっちを見る。と、隣の人もまた陽影の方を見た。その瞬間、すごい早さで図鑑を閉じて棚に戻した。
「なに見てたんだ?」
「別に」
ニコニコと笑いながら隣の人に話し掛ける陽影。そして隣の人からぶっきらぼうに放たれた声は、とても澄んだ、女の子のものだった。
「ほら、こいつが美月だよ。蒼依美月」
陽影が僕を指差すと、隣の人がこっちを向いた。目が合う。
真ん中で分けた顎より少し下くらいの短めに切り揃えてある髪は、くせっ毛なのか少しふんわりしている。薄い茶色の髪は染めた感じはなく、恐らく陽影と同じように生まれつきのものなのだろう。
こうして正面で見てみればとても華奢で、彼女が高校生くらいの男の子だろうかなどとは考えなかっただろう。
「可愛いだろ」
自慢げにへらりと陽影が笑う。ちなみに人見知りと陽影が言っていた通り、ふいっとすぐに視線を逸らされてぴくりとも笑顔などは見せなかった。まあ、それは僕もだけれど。
「で、この子が懐かない猫ちゃんの
そう話し、陽影はその唯という女の子の頭を撫でる。ぱっと見た感じの印象ではあるが、陽影はどうやらこの子を子供扱いしているようだ。そんな感じの撫で方だった。
「……こんにちは」
「……」
一応挨拶をしてみたが、警戒しているのか無言だった。
ふと気付くが、つまりはこの子が二十歳になったということか。小柄な体格のせいか、少し幼く見える。二十歳の女性ならば、唯ちゃん、と呼ぶのは流石に失礼だろうか。少し迷いながらひとまず一礼をする。
「よろしく。……唯さん」
年上は僕なのだしと自らを奮い立たせ、人見知りなりにどうにか最低限の挨拶はした。帰りたい。
「よしっ、じゃあ飯食いに行こう!」
相変わらず陽影は空気を読まなかった。
僕が断る時間を与えてはくれず、陽影は唯さんの手を引いて歩きはじめる。仕方なく僕はその後に続く。どう考えても邪魔者でしかないと思うんだけど、帰ったら駄目かな。
歩いている途中、ふと唯さんが振り向いた。じ、と子猫のような瞳が僕の姿を捉える。
「唯でいい」
透き通るようなソプラノで簡潔にそれだけ話して、すぐにまた後ろ姿しか見えなくなる。そしてその後は陽影の話す声だけが僕の耳に届く。
名前を呼び捨てで呼んでも構わないらしい。初対面なのに。どうやら思っていたよりはずっと、歓迎されているらしい。
ご飯を食べている間も陽影はべらべらと色んなことを話していたけれど、彼女の表情にあまり変化はなかった。口数も少ない。懐かない猫、とは言い得て妙である。ただ、本屋であの大きくてぶ厚い石の図鑑を熱心に読んでいたあたり、唯はわかりづらいだけでちゃんと陽影のことを好いているように見える。
その後はアーケード街を歩いて回ったり、駅の中にあるお店を見たりして、時刻は早くも夕方になった。くいっと唯が陽影の服を引っ張ったのを合図に、この奇妙な時間は終わりを告げる。
「もうそろそろ帰るか?」
陽影が問い掛けると、唯が小さく頷く。
「じゃあ俺、唯のことを送っていくよ。……その時、プレゼント渡すからな」
こそっと陽影が僕に耳打ちをする。そしてこれから悪戯を仕掛ける子供のように笑った。
唯はこちらに向かって小さく手を振ってくれた。僕も小さく手を振り返す。
不思議な雰囲気の子だった。結局笑って話していたのは陽影だけで、僕と唯は言葉少なで表情もあまり変わらなかった。それでも嫌な沈黙というものは訪れなかった。
静かで、穏やかで、落ち着いて。そして緩やかに変わっていく。『カノン』みたいだな、と思う。一人で喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら本を読む。そこに流れるカノンは居心地が良くて好きだった。
確かに陽影の言う通り、僕と唯はもしかしたら気が合うのかもしれない。何となく、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます