一月



 死ぬ理由を見つけてしまった唯を一人にしておけなくて、僕の住むアパートへ連れて行った。

 ついこの間まで、ほんの一週間ちょっと前まで、陽影と住んでいた狭い部屋だ。陽影の荷物は僕は片付けず、そのままにしていた。いつでも帰ってこられるように、なんて、そんな微かな願いをまだ捨てきれずにいたから。

 部屋の所々に、陽影が勝手に飾った石がある。昨年の四月から少しずつ増えていった陽影の荷物は、今では当たり前のようにこの部屋に馴染んでいる。かつて殺風景だった様子をもう思い出せないほどに。

「陽影」

 この部屋に色濃く残る陽影の存在感に押されてか、唯がぽつりとその名を呼んだ。けれどもう、返事は返ってこなかった。





 僕と陽影が一緒に暮らしていたという事実も手伝ってか、会社は驚くほど寛大に休みをくれた。ただでさえ突然社員を一人失って大変だというのに、僕の有給休暇があまり使っていなくて溜まっていたこともあって、今はゆっくり休んで陽影の妹を支えてあげてほしいと嫌な顔なんて一切されずにそう言われた。本社ともうまく掛け合ってくれたらしい。田舎の会社だからだろうか、元々会社の雰囲気は良い方だとは思っていたけれど、僕は本当に恵まれた環境にいるのだと改めて感じた。

 離婚をして陽影と一緒に東京へ行った母親は数年前に亡くなっていて、他に近しい血縁はいなかった。母方父方どちらの祖父母も既に他界している。遠い親戚はいるようだけれど連絡は取っていなかったようで、お墓の管理をしてくれている親戚にたまに挨拶をする程度の関わりしかなかったようだ。唯には本当に陽影だけだったのだと、思い知らされる。

「大事な人がいなくなっても、人って生き続けるんだね」

 唯が手にしているのは、水入りメノウだ。それを耳にあてながら、そっと呟く。

「そうだね。唯は生きてる」

「絶望的だよね」

 長い睫毛が伏せられる。

 今、何を思っているのだろう。やはり死にたいと、そればかりだろうか。

「世の中にはもっと生きたいって思ってる人が、きっといっぱいいるのに」

 ただ生きているという事実に、罪悪感で押し潰されそうな表情。僕はずっとズキズキと壊れてしまったかのように胸が痛い。

 唯は、本を読まなくなった。料理もしなくなった。僕に促されて何とかご飯を食べて、時々眠って、それ以外はずっとぼーっとしたような遠い目をして、何かを考えている。

 希望も何も見出せない、空っぽの眼差し。これは生きているといえるのだろうか。大分窶れてしまったとはいえ、体はどうにか正常に活動して、鼓動を刻んでいて、けれど心はもう止まってしまっている。これでも生きていると、そう表現していいのだろうか。

 ——陽影。

 僕の力じゃ足りないんだ。

 どうして僕じゃなくて、陽影だったのか。今ここにいるのが陽影だったら、きっと唯をすくいだせたのに。陽影は、もういない。

「陽影にとっての、石になりたかった」

 しばらく水入りメノウに耳を傾けていた唯が、ふと話す。こうしていくらか言葉を交わしてくれるようになった分、当初よりは随分ましになったとは思う。

「ラピスラズリだって、言ってたよ」

 僕は以前聞いた陽影の言葉を思い出す。

「唯は、陽影にとってのラピスラズリだって」

「……」

 はじめて聞いたのだろう。唯は動揺しているようだった。久しぶりに視線が合い、真ん丸に見開かれた両目がはっきりと僕を映す。

 陽影が亡くなる前。昔話をして驚かせたあの時の陽影と、同じ顔をしていた。

 ラピスラズリの原石は、陽影は部屋には飾っていない。引き出しに大切にしまっていたはずだ。何度も自慢げに見せてもらったから、場所は覚えている。それを出して、唯に渡す。

 出会った頃よりも更にほっそりとしてしまった手のひら。そこに乗せられたラピスラズリを、唯はじっと見つめる。

「……携帯に、ついてた?」

「ああ、地球儀のストラップ。うん、あれもラピスラズリだ」

 今聞いた言葉を噛み締めるように、唯はまた無言になってラピスラズリを見つめ続ける。

 陽影にとって、唯は大切な存在だ。そしてきっと僕のことも大切に思ってくれていた。だからこそ、このままで良いはずがない。陽影の大切な唯を、ぼんやりと死に向かって時間を浪費させるわけにはいかないのだ。

 ぐっと、強く拳を握る。




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