秋
話し合いに中々進展はなかった。父は唯はどこにいるのかと、返せとそればかりで、離婚の時母についていった俺に心を許してはくれなかった。相変わらず話もまともに聞いてくれない。荒れ放題の部屋もどんなに片付けても次に来た時にはまた戻っているし、俺から都合の悪い話をされると寝たふりをしたり、部屋から出て行ったり、機嫌が悪いと殴りかかってくる。ずっとこれの繰り返しだった。
俺の記憶の中にある父と、今の父の違い。何が父をこうさせたのか、その間にあったものがまるでわからない。
精神関係の病院の人などにどう対応すれば良いか相談したり、アドバイスを貰ったが、思うようにはいかない。せめて病院に連れて行ければ、専門の先生との話し合いや薬での治療などで進展はあるのかもしれないけれど、父はとにかく嫌がった。
子供の頃頭を撫でてくれた大きな手は、今は皺が増えて少し痩せた。骨ばってごつごつとしている不健康そうな手。そしてその手で、唯を殴っていたのだ。
「俺は無力だよなあ……」
ぽつりと、そんなことを呟く。香夏は中途半端な慰めを口にするわけでもなく、頑張れと叱咤するわけでもなく、決まって静かに微笑んで俺の頭を撫でてくる。
香夏は仕事中も危なっかしい印象が強いのに、こういう時は何故かやけに安定感がある。俺の方が年上だというのに、女性が強いというのは本当なんだな、と思い知らされる。
先日、休憩中にお茶を派手にこぼしていた人と同一人物とは思えない。
「そういえばこの間、石を買っちゃった。陽影の影響よね」
くすくすと笑いながら香夏が話す。
「へえ。何買ったの?」
「えっとね、魚眼石っていうの」
「おお、結構コアなとこ攻めたね」
「そうなの?」
香夏は当初石どころか、宝石に対しても興味は抱いていないようだった。それでも俺が主に鉱石について色々話していたせいか、最近は石関係の本を読むようになっていたけれど、まさか実際に石を買うほどはまるとは。
魚眼石は、俺の好きな石の一つだ。三月生まれのうお座だからか、基本的に水関連の石に惹かれがちなのだ。
「アクアオーラとかも、すごく綺麗だよ」
「それって、あのすごく綺麗なやつ?わたし、丸い形のしか見たことない」
「水晶みたいな形で、たまに売ってる」
「そうなんだ。今度探してみるね」
アクアオーラは人工加工された石だが、あれはびっくりするほど不思議で綺麗だ。その名の通り青色で、もとが水晶だから透き通るような美しさは健在だ。魚眼石が気に入ったのなら、恐らくこちらも好きだろう。
最近になって、自分は幸福だと実感する。
これまでそんなことはあまり考えてはこなかったのに、これは香夏の影響が強いのだろう。一緒にいることで俺たちは互いに何かしらの影響しあっている。それはとても尊いことに思える。
駄目だなあ。まだ父のことをどうにか出来ていないというのに。唯のことは大分落ち着いてきたとはいえ、父を何とか落ち着かせないといつまでも唯は安心して暮らせない。だというのに、俺は唯と美月と過ごす時間や、香夏と過ごす時間に、驚くほどの幸福を感じてしまっている。
「あー唯にまた、お兄ちゃんって呼んでほしいなあ」
「ふふ。今更恥ずかしくて呼べないんじゃない?」
「クリスマスプレゼントか誕生日プレゼントに呼んでくれないかなー」
「安上がりなお兄ちゃんだね」
あまりにも穏やかな時間だった。こんな時間がいつまでも続けば良いと、そう思ってしまうほどに。
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