九月
「陽影は今日、どこに行ってたんだ?」
帰りの電車の中で問い掛ける。彼女を放って出て行くほどの用事とは一体何なのだろうか。
「ん?まあ、野暮用だよ」
さらりと話を逸らされた感がある。陽影はふいに、そういう時がある。話したくないことなら深入りはしないけれど。
「そういえば見て、ほら」
陽影は携帯電話を取り出す。見て、と言われてもどこを、と思ったら、見覚えのないストラップが付いていた。これは地球儀だろうか。深い青色をしているがただ青いというだけではなく複雑に混じり合っている。素材は勿論、石だ。何の種類かはわからないけれど、陽影が嬉しそうに話すのだから確実だろう。
「ラピスラズリの地球儀のストラップ。見つけちゃったんだ」
子供みたいに笑って陽影は言った。どうやら用事を終えた帰り、ししゃも以外にも寄り道をして買い物をしていたらしい。
「ラピスラズリって、やっぱり石?」
「そう」
「陽影は加工した石じゃなくて鉱石派じゃなかったのか?」
「ラピスラズリの地球儀は別だよ。わかってないなー美月は」
何故だか得意げに言われるが、わかるはずがない。
「美月はアゲートって言ったけど、唯はラピスラズリだな」
「また石に例えるのか」
「勿論。好きだしね。どんな形でも、ラピスラズリは綺麗だ」
甘やかな笑顔を見せて、陽影はラピスラズリを見つめる。どんな惚気だ。砂糖を吐きそうだ。
でもそんな惚気はともかくとして、このラピスラズリという石は確かに、目を奪われるものがあった。この石で地球儀を模すということを最初に考えた人はすごいと思う。深い深い青はただただ美しく、神秘的で、ガラス玉のようなキラキラしたものとはまったく違う重く鈍い光が、ずっと眺めていたいような気持ちにさせる。
僕のアパートに戻ると、陽影はラピスラズリの原石を出して見せてきた。
地球儀とはまた違う感じだけれど、深い青ということは変わらない。青だけではなく色々な色がちらほらと混じって見えるから、不思議な感じがするのだろうか。持ってみると見た目よりもずっしりと重たく、妙に冷たかった。
「陽影は石のどこが好きなんだ?」
「持ってみるとよくわかるだろ?ずっしり重くて、冷たいんだ。真夏に触っても、どこかひんやりするんだよ。そこが好き」
「ふーん……」
わかるような、わからないような。ただ確かに石というものは、普段触るものと何かが違う気がする。長い年月のせいなのだろうか。生き物というわけでもないのに。
「水入りメノウなんて、石の中にずっと昔の水が入ってるんだ。それってすごいロマンだろ?」
水入りメノウを耳元にあてられて、それを陽影が軽く振ると、確かに石の中から水の音がした。
「へえ……」
不思議なものだ。大して興味はなかったけれど、こうして実際に触れてみるとじわじわと気になってくる。そうはいっても、陽影ほどの熱量には遠く及ばないけれど。
その後、結局唯に断固拒否され持ち帰ってきたししゃもを焼いて夜食として二人で食べた。
陽影は出掛けて疲れたのか、先にお風呂に入ると今日はすぐに寝ていた。
お風呂から上がりぼんやりとした明かりをつけた部屋の中で、僕は眠る前に気になっていた唯から借りた本を読んでみることにする。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』というタイトルからでは、内容を全然想像出来なかったから。
その小説は結末からはじまる珍しいタイプの小説で、勢いがあり、すぐにその世界観に引き込まれる。
青春群像小説、というのだろうか。けれどそれにしては内容が暗く、それでも登場人物たちの気持ちは不思議と理解出来た。最初に示された結末は、やはり最後も変わらない。それなのにそこへ向かう間、変わってほしいと、主人公に入り込むように願いながら夢中になって文字を追った。そうして結局、一気に読んでしまった。
唯が何度も読むというその理由がよくわかる。とても悲しくて、寂しい話だ。読み終えた後も心に何かが引っ掛かる。
唯は、これが好きなのか。この胸を締め付けるような痛みを、唯も感じているのだろうか。
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