十月
この後また地下鉄に乗って移動する。次のコンサートは十六時半くらいだ。先ほどのコンサートは一時間ほどで終わったから、まだ余裕はある。
「次どこ?」
唯が乗り気になったらしい。陽影に問い掛ける。
「うん。仙台市太白区文化センターなんだけど、これ何て読むんだろう」
陽影が指を差したそこには、『楽楽楽ホール』と書いてあった。
「らくらくらく?」
「がくがくがく」
「いや、唯、流石にそれは」
確かにがく、と読めるけれど。
会場まで行くと、ちゃんとふりがなが書いてあった。『らららホール』と読むらしい。この会場はさっきのような大きなコンサートホールではなくて、少しこぢんまりとしていた。置いてあるのもピアノ一台だけで、ピアニストの女性が一人で弾くようだ。曲目は『月光』『エリーゼのために』『愛の夢』など、有名なものだった。
ヴァイオリンも良かったけれど、ピアノはピアノでとても聞き応えがあった。陽影も唯もそのようで、ピアニストのさらさらと流れるように動く指先や足元をじっと見つめて、そして聴き入っている。小さな会場では奏者がとても近いという利点があるのだな、と思う。
クラシックは有名な曲しか知らないけれど、ちゃんと知っていたらもっと楽しめるのだろうか。テレビや喫茶店で流れている普段聞き流してしまっている音楽も、それぞれ曲名があり、作曲者の意図や想いがあって、歴史がある。そんな当たり前のことにこれまで触れてこなかった。ずっと宮城に住んでいたわりに、毎年開催されているこのコンサートに僕は行ってみようとも思っていなかった。
陽影はすごい。いつもこうして新しいことを簡単にするし、容易く引き込んでくる。
「グランドフィナーレも行きたかったなー!でもチケット完売してたんだよなあ」
惜しいことをした、と陽影がとても残念そうに呟く。
確かにたった二つのコンサートを聴いただけでここまで気持ちが盛り上がっている。グランドフィナーレというだけあって、やはり最後のコンサートはすごいものなのだろうな。
「来年、来ればいいだろ」
自然とそんな言葉が出た。それを聞いた陽影が少し驚いたような顔をしてから、嬉しそうに表情を緩めた。
「四月に再会したばっかの頃は、美月はつまんなそうに生きていたのにな」
「……否定はしないけど」
あの頃の僕を見て、陽影はそんな風に思っていたのか。今だって別に強く生きていたいと思うことはないし、いつ死んでも構わないという気持ちも変わらない。眠ったままそのまま、と考えることだってまだまだある。死ぬ理由がないから生きている。
ただ、毎日を過ごしている中で、楽しいことが増えたのは確かだ。
僕が死んだら陽影と唯は泣いてくれるのだろうか。……泣いて、くれるのだろうな。陽影はあのまますごく良い奴だし、唯は表情には出にくいけれどそれなりに慣れてくれたのではと感じている。だからこそ理由もなく死ねないな、とは思うのだ。
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