十一月



 十月に芸術の秋というものを三人で堪能したわけだけれど、それで調子に乗ったのか、陽影はミュージカルのチケットを取ってきた。

「なんと!劇団四季だ!」

 また得意げにチケットを見せてくる。当たり前のように三人分あった。

「……お前はそろそろ、唯と二人で行こうとは思わないのか?」

「ん?なんで?」

 陽影が首を傾げる。さも当然のことのように三人で会うことばかりしているけれど、陽影と唯の恋人関係的にはそれは大丈夫なのだろうか。いや、僕も居心地が良くて何やかんやとずるずるとお邪魔し続けてしまっているわけだけれど。

「チケット取ったはいいんだけどさ、俺この日用事あるんだよ。勿体ないし、唯と二人で行ってこいよ。残りの一枚は、誰かにあげるし」

「は?」

 何が楽しくて友人の彼女と二人でミュージカルを観に行くというのだ。わけがわからない。これまで唯の家で陽影が出掛けて二人きりになることはあったけれど、最初から二人で出掛けるというのはまたわけが違う。

「唯も楽しみにしてたからさ。デートしてこいって」

「デートって……唯はお前の彼女だろ」

「は?」

 今度は陽影が呆けた。そして数秒の間の後、くつくつと肩を震わせて笑い出す。

「なに」

 不機嫌を隠さずに言うと、陽影にばんばんと肩を強めに叩かれる。

「痛い」

「ははっ、だってすげー勘違いされてんだもん!」

「なにを」

「唯は俺の妹だよ」

「…………はあ?」

「だから、妹だって。流石に俺も近親相姦の気はないかな」

「……時和唯?」

 そういえば最初から当たり前のように、唯、と名前で紹介されたから、名字を聞いていなかった。

「いや。ほら、うち中学入って間もなくさ、親離婚して引っ越しただろ?俺は名字変わって東京に引っ越したけど、唯は父親と宮城に残ったんだ」

 言われてふと思い出す。そうだ、小学生の頃は陽影は名字が今とは違っていた。だからこそ当時出席番号がいつも隣だったのだ。

「じゃあ、あおい唯、か」

「そう。漢字は違うけど、お前と同じ名字だよ。蒼依美月」

「ああ……だから」

 当然のように名字を省いて紹介された理由がそれか。ややこしいもんな。

 ……いや、でもそれにしたって、もっと早い段階でわからなかったものだろうか。唯と出会ってから結構経つ。これまで勘違いをしていたことが急に恥ずかしくなって、顔に熱が集まってくる。

「やっぱ美月は面白いなー」

「うるさい」

「まあそんなわけだから、唯のことよろしく頼むよ」

 ここが自分のアパートで良かった。流石にこの勘違いを唯に知られるのは恥ずかしすぎる。





 結局陽影からチケットを受け取り、唯と二人で出掛けることになった。

 唯が楽しみにしているからと言われれば無碍には出来ない。いつものように仙台駅近くの本屋で待ち合わせて、唯に会う。

「陽影は?」

「来れないって」

「そう」

 唯の反応はといえばそれだけで、想定以上にあっさりしたものだった。この対応も確かに恋人として見るなら心配ものだけど、血の繋がった兄に向けるものなら納得出来る。

 そして僕たちは会場へ向かってゆっくりと歩き出した。

 隣を歩く唯に視線を向ける。よく見ると、確かに陽影と似ている気がする。少し色素の薄い、茶色のふわりとした細い髪。それから目。性格が違うから今まで気にすることはなかったのだけれど。

「なに?」

 僕の視線に気付いた唯が、歩きながら不思議そうに問い掛けてきた。

「いや、何でもない」

 どう話しても上手く言える気がしなくて誤魔化す。唯もそれ以上気にすることはなかった。


 会場までは歩いて結構距離があった。けれど時間に余裕があったこともあり、歩いて行けない距離でもなく、電車に乗ろうとはせずに僕たちはアーケード街をのんびりと歩いた。はあっと吐く息は白く、空気はもう冷たい。段々と冬の気配を感じていた。

「『魔王』読んだよ」

 ぽつりと、唯が呟いた。前に僕が勧めた本だ。貸すと言ったのだけれど、唯が買うと言って、それからしばらく話題には出なかったけれど、買って読んでくれたようだ。

「人間は感情を継続させることが出来ないって、わかる気がする」

 それは本の中で書かれていたことだ。一度がつんと怒ると、人間は二回目はその勢いのままで怒れない。感情を続けることが出来ないから。本の中ではもっと詳しく丁寧に書かれていたけれど、大体そんな感じのことだった。

「唯には、続けたかった感情があったのか?」

「わからない」

 そう答える唯の目は遠くを見ていて、ここを見ていないとはっきりとわかった。

 僕の知らない唯の感情。それはどんな感情だったのだろうか。続けることが恐らく出来ずにもう失ってしまったもの。

 気になるけれど聞けないし、唯も聞いてほしくはないのだろう。それは何となく理解したから、僕は口を噤んだ。



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