第10話 予期せぬ客人
マリクとミシェルとともにクッキーを作った翌日。
メリッサはバラを見ながら庭でお茶をしていた。テーブルには昨日のクッキーがある。
今の時間、ミシェルは歴史、マリクは剣の授業中である。
昨日二人は楽しそうに会話していた。
しかもミシェルはマリクを演奏会に自ら誘ったのだ。
転生して出会った頃はマリクを避けていたのに……二人の仲が戻って嬉しい。
昨日作ったクッキーの残りを摘まみながら、メリッサはドレスの下で足をプラプラさせご機嫌だった。
「メリッサ」
後ろから声をかけられた。
この良く通る低い声、後ろにいるのは……
メリッサの背筋がピンと伸びる。
「何でしょう」
思った通り、エドアルドが立っていた。
「話がある」
そう言って向かいの椅子に腰かけた。
何だろう……ミシェルを1ヵ月も休ませた事かしら。それはちゃんと報告したわよ?
それともお菓子の食べすぎかしら? 習い事の増やしすぎ?
心当たりが多くてわからないわ……
習い事はミシェルだけでなく、メリッサにも影響を与えた。
退屈だった日々に楽しみができ、毎日が充実している。
最近では毎日楽しくて、自分の興味で好きに気ままに過ごすようになっていた。
それを咎められるのだろうか? さすがに貴族としてふさわしくなかったかしら?
ティーポットから二杯目の紅茶を注ぎ、誰か来た時のために用意していた新しいカップにも注いだ。それをエドアルドの前に置く。
ドキドキ。
エドアルドは表情を変えず静かに口を開いた。
「ミシェルは明るくなったな」
あら?怒られるわけではなさそう?
「ええ、そうですわね」
「……」
沈黙。
エドアルドはじっと紅茶の水面を眺めている。
そういえば、この人は寡黙で口下手だった。仕事の時は平気なのにね。
メリッサの記憶の断片が蘇った。
ねぇメリッサ?こういう時どうすれば良いんだっけ?
転生前のメリッサはゆったりと待っていたんだっけ。
それなら待ってみようか。
二杯目の紅茶にミルクと砂糖を入れる。
夕日よりも深く濃い色の紅茶は、ミルクを注ぐとパステルカラーのような淡い茶色になる。
口に含めばまろやかで優しい甘さが広がった。
ミルクティーを楽しむ数分間、エドアルドは黙っていた。
が、視線がメリッサの瞳を捉えた。言葉が決まったのだろう。
「……メリッサがいてくれて良かった。私ではミシェルに何をしてやればいいかわからなかった」
メリッサはエドアルドの固い表情から出た、柔らかな言葉に面食らった。
エドアルドは目を伏せて続ける。
「父上は私を強くしようとして厳しい訓練を私に課した。跡継ぎとして、貴族として。それが、父親としてできることだと思っていた。だからミシェルが授業から足が遠のいてると知った時にどうしていいか分からなかった。強くする以外でどう接していいか分からなかったんだ」
両眉を寄せ、声も普段のはっきりした言い方よりも弱さが滲んでいる。
「メリッサがミシェルのフォローをしてくれて助かった。父上のようでは、このままでは駄目だと分かったよ。二人のために、できることをしたい。手伝ってくれるだろうか」
エドアルドも、ミシェルを気にかけていたのね。
良かった。ミシェルに関心があって。
「もちろんです。これから挽回すればいいのよ!」
エドアルドの目が細くなり、口角が上がった。
あ、笑うんだ。いつも無表情だったのに。
「何かできることはあるか?」
「そうねえ、あ、今度ミシェルとコンサートを開くので聴きに来てください」
「コンサート?」
あっ、まだ言ってなかった。
「ええ、習い事の部屋で行う予定の小さなコンサートです。ミシェルが上手く弾けたら褒めてあげて下さい。もし上手く弾けなくてもがんばりを褒めてあげて。練習すごく頑張っているしミシェルはとっても上手なのよ!」
ミシェルの出す音はとても綺麗だ。
思わずうっとりと聴き惚れてしまう。
ミシェルは芸術系の才能があるみたい。
「わかった」
優しい笑みをうかべ、エドアルドはやっと紅茶に手をつけた。こくりと飲み、ほっとしたような表情をした。
「そういえば、習い事をしたいと言った時、『ミシェルに習い事のことは聞かないで』と言っていたが、あれはどういうことだ?」
そう。メリッサはエドアルドに習い事についてミシェルには何も聞くなと伝えていた。
「ミシェルはエドアルドに授業について聞かれて辛そうにしていたので、私との習い事は、評価や上達を気にしなくていい場所にしたかったの」
成績が上がらないのは自分が一番分かってるから、触れないで欲しい。
親に好きなもの、ことを否定されたり、酷いことを言われなくても反応で傷ついたりすることもあるし、自分の活動を知られるのが恥ずかしくなることもある。
それを避けたかった。窮屈さを感じないようにしたかった。
だから、ミシェルから言い出さない限りは言わないようにした。
さすがに怒るかと思ったが、
「そうか……私にも覚えがある。ミシェルには辛い思いをさせてしまったな……」
悲しそうな顔をするエドアルド。
あ、思い出した。木の影で泣いていたミシェル。あの時に感じたデジャヴ。
それはエドアルドだ。
エドアルドは小さい頃、メリッサの義父であるエドアルドの父から厳しく魔法と剣の訓練をさせられていた。
それについていけなかったり、上達しなかったり、弱者を吐くだけで、義父にものすごい剣幕で叱られていた。
そんな日には、エドアルドはバラ園の隅で一人で泣いていた。
そこにハンカチを差し出したのが私。
婚約者で幼なじみだから渡したんじゃない。
努力家で、口下手で、一人で抱え込んでしまう彼の力になりたかったから。
翌日、花を私の前にぐいっと差し出して「やる」とだけ言って、真っ赤な顔で渡してくれたっけ。
あぁそうか、私やミシェル、マリクへの愛情表現は不器用だけどちゃんと愛したいという気持ちはあったんだ。
「これから変わればいいのです」
「間に合うか?」
ミシェルは変わった。
それなら父親であるエドアルドだって変わることができるはずだ。
「大丈夫。気持ちは伝えないと伝わらないわ。これから少しずつ、できることをしていきましょう」
「そう……だな……」
エドアルドがメリッサの手をきゅっと握る。
「ありがとう。頑張ってみるよ」
エドアルドは笑った。顔が少し赤い。
あら、なんだか可愛い……
最初は怖い顔だと思っていたけど、よく見ると整った顔立ちだし、笑うと可愛いのね。
「あ、これ昨日、マリクとミシェルと作ったクッキーです! ココアは私が作ったの」
「そうなのか」
エドアルドはハートの形をしたココアクッキーをつまみ、口に入れた。綺麗に並んだ歯がクッキーを割る。
彼の小さな口が変き、喉仏が上下する。
「美味い」
「良かった。お口に合って嬉しいわ!」
残りのクッキーも口に入れ、プレーンのクッキーも食べ始める。
「これも美味いな。上手にできてるじゃないか」
「そうでしょう。二人とも上手に作ってたのよ」
エドアルドが仕事に戻るまで、二人はゆったりとした時間を過ごした。
メリッサはエドアルドの気持ちを知ることができて、もう最初の怖かった印象はすっかり無くなっていた。
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