第4話 絵画の授業

 その男性は白髪でくるくるとした長いくせ毛を後ろで束ねていて、四〇歳ぐらいだろうか、目元にしわがある。ニコニコと笑顔で朗らかそうな人物だ。


 彼は先程の元気な調子とうって変わり、洗練された動作で丁寧にお辞儀をした。


「私は絵画の授業を担当させていただきます、ロマン・ラミと申します」


 メリッサがドレスの裾を少し持ち上げ、カーテシーで応じたのでミシェルもお辞儀を返す。

「メリッサ・ティローネです。これからよろしくお願いしますわ」

「ミシェル・ティローネ……です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 一通り挨拶をし、ミシェルがラミに尋ねる。

「ラミってルイーズ・ラミの?」

「ご存じですか! そうです。アメーシスの誇る、ルイーズ・ラミ。私はルイーズの親戚の子孫にあたります」

「アメーシス?」


 メリッサがこっそり聞いてきた。

「アメーシスは芸術で有名な国ですよ。ルイーズ・ラミは有名な画家です」

「あら、そんなすごい人の子孫の方が教えてくれるの?」


「私はルイーズと違い、ただの絵画教師ですよ。さ、立ち話もなんですから、さっそく授業を始めましょう!」

 授業といっても堅苦しいものではなく、のんびりとした雰囲気だった。


「今日はデッサンをします。最初は難しいかもしれませんが絵を学ぶ上で大事な基礎になりますので頑張りましょう」

 イーゼルを三脚用意し、紙を準備する。


 目の前の机にリンゴが置かれた。

「このリンゴを描いてみましょう。軽くお手本を見せますね」


 ラミは素早くリンゴの形を紙に軽いタッチで描き、鉛筆を傾け寝かせた状態で一面をうすく塗り始めた。時々鉛筆を立てて描き、シャッシャッシャッと小気味よい音が響く。


「デッサンではモチーフ、今日はリンゴですね。それをよく見ることが大切です。そしてそのまま描くのです。モチーフの明暗、明るいところと暗いところをしっかり描くのもポイントです」


 リンゴの下の影になっている部分を濃く塗り始める。みるみるうちに紙には立体感あふれるリンゴが描かれていた。


  まるで本物のリンゴみたいだ! ミシェルもメリッサも驚き興味をひかれた。

「では描いてみましょうか!」


 メリッサもミシェルも描き始める。

 ミシェルはリンゴをよく見て熱心に描いた。ガリガリと音がなる。

 見て、描いて、見て、描いて、ラミのような作品になるように必死に手を動かす。


 上手く描かなきゃ。


 何かが違う、上手く線が引けない。消しては描いて、消しては描いて、そのうち時間を忘れていった。

「そろそろ時間ですね」


 しまった! 完成しなかった!


「さ、並べて見てみましょう」

 自分の絵とメリッサの絵が並べられた。


 メリッサの絵は全体が描かれている。

 対して自分のは、形に時間を使っていて、あまり描き込めなかった。輪郭はしっかり描かれているが、明暗が描けず、皮の赤い部分の色が薄く塗られているだけでのっぺりとしていた。


「初めてでしたが、よく頑張りましたね。お疲れ様です」

 ラミがねぎらいの言葉を言ったが、ミシュルの頭の中は完成しなかったことへの焦りでいっぱいだった。


 また駄目だった。

 お母様や先生に何か言われる?

 やっぱり自分は何も上手くできないんだ……

 

 うまく描けなかった自分に落ち込む。


 ラミの講評が始まる。ミシェルの心臓がバクバクと鳴る。


「さて、まずミシェル様の絵ですが……」


 酷評が来る!


「観察がしっかり出来ていて、形をしっかり描けています! 素晴らしい!」


 ミシェルは目をぱちくりさせる。


 褒められた? 完成しなかったのに?


 魔法や剣の授業のように呆れられるかと思っていた。そこに予想外の褒め言葉がきたのだ。


「描いている時もよくリンゴを見ていましたね。描いていると熱中してモチーフを見ることを忘れがちになるのですが、ミシェル様は忘れることなく観察できてました。すごいことですよ」

 ラミは両手をたたいた。メリッサも拍手をし、ミシェルを褒めた。

「すごいわミシェル」


「完成しませんでした。全然先生のような絵になっていません」

 ミシェルはラミに言う。


「最初はこんなものですよ。最初からうまくはできません。大丈夫、描き続ければ必ず上手くなります!」

 ラミはきっぱりと言い切った。ミシェルの胸が熱くなる。


「では、アドバイスです。描いてる途中に立っていいので離れて見てみましょう。遠くから全体を見るとバランスの悪いところや足りない部分がわかりやすいですよ」

 今は少し遠くに作品が置かれている。確かに、距離を置いてみてみると、観察していたはずなのに、形が違う。


 デッサンって難しい!


「さて、次はメリッサ様です。メリッサ様は素早く全体を仕上げていますね。素晴らしいです。ただ早い分、観察がおろそかになっていましたね?」

「はい。その通りです」

「次からはじっくりと観察してみましょう」

「わかりましたわ!」


「次回は今日の点をふまえ完成を目指してみましょう!」

「次…….」

「ミシェル、次はどうします?」

 

 完成しなかったが、何も言われなかった。

 むしろ誉められた。

 それはミシェルのやる気を引き出した。完成させてみたいという思いが出てきたのだ。


 最初はうまくできない、必ずうまくなる。ラミの言葉がミシェルの頭の中で響く。


「次も来たい……」

「では次も来ましょう! ねぇミシェル、相談なんだけど、もしよかったら一カ月ほど魔法と剣の授業を休んで一緒に習い事をしてみませんか? 絵も、他のことも!」


 魔法と剣の授業にもう行かなくていい?


 でも一カ月も休んだら……マリクとの差は開く。使用人たちから陰口を言われる……

 頭の中に響く「マリク様がいれば安泰だ」「ミシェル様は出来が悪いなぁ」という言葉。

 休むか続けるか逡巡する。

 

 でも、やっぱり……

 

「休みたい……」

 辛いことから離れたかった。ミシェルは恐る恐る口にする。


「わかりました。私から伝えておくわね」

 メリッサは優しい顔で言った。

「うん」


 行かなくていいんだ。

 ミシェルの目はうるんで視界がぼやけた。

 メリッサが背中を撫でてくれて、涙がぽろぽろとこぼれた。




 数日後、二度目の絵の授業を迎えた。

 魔法や剣の授業が無いと思うと心が軽かった。ただ、休んでいいのかという罪悪感はあった。それでも行くのは嫌だった。


 ラミは今日もミシェルとメリッサを明るく出迎えた。

 イーゼルと紙の準備をし早速描き始める。


「ミシェル様は明暗を描いていきましょう。メリッサ様は形の修正と細部を描いてみましょうね」

「「はい!」」


 よく観察して、紙に鉛筆をすべらせる。

「光源がどこから来ているか、窓からですね。ですから右上が明るく左下は暗くなる。それと、もっと思いっきり濃くしても大丈夫ですよ」

 ラミがアドバイスをくれる。そのおかげでだんだんと絵のリンゴがモチーフのリンゴに近づいてくる。


 離れて見ることも忘れない。

 確かにもう少し濃くてもいいかも。

 離れると全体のバランスがよくわかった。

 デッサンは長いようであっという間に終わった。


「はい、お疲れ様です。完成ですね」

 まだ拙いが前回よりも格段に良くなっていてミシェルは満足していた。


「講評の前に鉛筆を紙に定着させておきましょう。これで鉛筆の粉が落ちづらくなり、保護できます。大切な絵ですからね。」


 ラミが杖を振る。絵の周りに輝く鱗粉のような光が現れた。その光は紙の表面へと付着し消えていった。


 絵の保護、そういう魔法もあるのか。メリッサと二人で目を丸くする。


「さて講評に移りましょう。ミシェル様は明るいところと暗いところをしっかり描けていますね。花丸です! タッチなどはこれから学んでいきましょう」


 褒められ顔が熱くなる。

 こんな気もちになったのはいつぶりだろう。


「メリッサ様も今日はよく観察できましたね。よく描けています!」

 わーい、とにこにこ喜ぶメリッサ。

 ミシェルもつられてにっこりと笑った。


「これからもデッサンは続けますが、他にも絵の具等いろんな画材に触れてみましょう! 楽しいですよ」


 絵はもくもくと描けて楽しかった。他の画材も使ってみたい。

「楽しみにしています!」

 明るくミシェルは言った。




 メリッサは絵以外にもミシュルを誘った。


「楽器も習おうと思うの」

「僕もやってみたいです」


 早速教師が来て授業が始まった。


 絵画、音楽の他にダンスなどもやってみた。習い事以外にも庭の手入れの手伝いや刺繍、料理など色んなことに誘われた。


 庭の手入れって使用人がやることだったので「自分が?」と最初は戸惑った。しかし、いざやってみると大変だったが、花の種類や育て方を知るのが面白かった。

 この屋敷は色んな人の手で綺麗に、過ごしやすくなっていると実感した。


 いろんなことを体験してダンスはあまり気が乗らない、苦手だとわかった。しかし、メリッサとの習い事は上手くできなくても怒られず、何度でも挑戦できるから気が楽だった。

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