第30話 『灰焔』

(ハッ! 無駄だ無駄だ! たかが小娘一人、私の『蒼白』に勝てるわけがない!)


 モンフォールはあんな小娘がたかが一人でドラゴリッチに向かったところで、捻り潰されて終わるだけだろう、とそう考えていた。


 なにせ、あれは二つ名持ちの竜だ。

 少し竜の血が混じったただの人間が勝てるわけがない。


 自ら無駄死にしようとしているグレイに対して、モンフォールは心のなかで嘲笑を向けていた。


 ドラゴリッチの目の前に立ったグレイは、胸の前で拳を握ると目を閉じる。

 生物の中で頂点捕食者であり、王者である龍の前でそんなことをするなんて、自殺行為でしかない。


 無防備なグレイに向かって、ドラゴリッチはブレスのチャージを一時中断し、食おうとした。

 死してなお鋭利な牙がグレイへと向かう。


 今まさに死にかけようとしているのに、グレイはまだ目を閉じていた。


 モンフォールがニィ……と笑みを浮かべる。

 しかし、その時だった。


 ドクン。


 グレイの身の内から魔力が溢れ出た。


 同時に、濃厚な死の恐怖。

 モンフォールは思わず一歩後ずさった。


 同時に、後ずさった自分の足を見て驚愕する。


(バカな……!? 息すら忘れるほどの恐怖をあいつから感じ取っていたのか……!?)


 髪が燃え盛る炎のように赤く染まったグレイを、モンフォールは驚愕の目で見つめる。


 ありえるはずがない。あれはただの人間で、小娘だ。

 しかしモンフォールの生物としての生存本能が訴えてくる。


 あれがこの場の中での何よりも、絶対的な王者であることを。

 あれは竜なんぞではない。そんなものを超えた、恐ろしいなにかだ。


 そうでなければ、二つ名持ちの竜を遥かに上回るような重圧など、放てるわけがない。

 二つ名まで与えられた竜が、恐れるように骨を鳴らすわけがない。


 加えて、今のグレイには恐ろしいほどの膨大な魔力が内包されていた。

 その魔力は竜であるドラゴリッチをはるかに凌駕していた。


 モンフォールはまるで神に等しい魔力を持つグレイへと、恐怖の眼差しを向ける。


 指先が震えて動けない。

 まるで死そのものに直接睨まれているように身体が硬直していた。


 恐怖で、身体が縛り付けられているように動けないのだ。

 これではアレクから魔法を撃たれれば、その時点で負けてしまう。


 モンフォールは必死に目を動かし、アレクの様子を確認する。

 するとアレクは冷や汗をかきながらグレイを凝視していた。


 アレクは、興味深げにグレイを観察していた。


(この魔力量、重圧、残火の女神イリシアと対面した時に迫る……いや、それ以上だ。魔力の量も俺より……)


 アレクは自身の経験から、グレイより発せられる魔力、重圧が神と同格であることを確認した。


(これで、こいつの中にながれている血が、ただの竜の血ではないことは確定した。本当に、こいつは興味が尽きないな……)

 今自分が戦っている最中だということすら忘れながら、アレクはグレイを観察した。


 そして辺り一面が静寂に包まれる。

 均衡を破ったのは、ドラゴリッチだった。


 ドラゴリッチは弾けるように身の内に溜まった魔力を蒼炎のブレスへと変換する。

 グレイへと向け大きく口を開け、蒼炎の魔力砲ブレスを吐いた。


 先程よりも大きな蒼炎のブレスがグレイへと迫る。


(私の使い魔は残火を司る女神……火の魔法が一番強いんだっけ?)


 それを受けてグレイは、ただ一言だけ呟いた。


 グレイの平凡な防御魔法では防ぐことは出来そうにない。

 その時、グレイの脳裏に記憶が蘇る。


 ──『いい? グレイ。この名前はむやみに言っては駄目よ。言うのは本当に危険が迫ったときだけ。でないと……』


(今は、本当に危険が迫った時、だよね)


 母の言いつけに反していないことを確認すると、グレイは自分に送られた名を告げる。


『『灰焔かいえん』のグレイ・アッシュフォードが告げる──灰となれ』


 放った魔力を乗せられたその言葉は詠唱となり……残火の女神はそれに答えた。


 グレイの正面に魔法陣が現れ、竜によく似たブレスが放たれた。

 ドラゴリッチのブレスですら凌駕する魔力量。


『──』


 なすすべもなくドラゴリッチは焼かれ、断末魔を残す時間すらなかった。

 骨の身体が、高熱のブレスに曝され、焼き尽くされていく。


 展開されていた魔法陣が消える。

 炎が収まった後には、ドラゴリッチがいた場所には大きくクレーターが出来ており、クレーターの中は焼け野原になっていた。


 クレーターの中にはドラゴリッチだったものが灰と化している。

 グレイはそのクレーターを、燐光を散らしながらただ見下ろす。


 ドラゴリッチか、それとも焼かれた木の灰かが空から落ちてきて、グレイの燐光と踊るように舞う。


 焔のような燐光と灰の中に佇むその姿は、まさに『灰焔』そのものだった。


「ば、ばかな……」


 モンフォールがありえない光景を見たように呟く。


「あり得ない……! どうして『蒼白』が、二つ名持ちの竜がただの小娘ごときに負けるのだ!!! こんなことはあってはならない!!!」


 想定外の事態に、ついに限界を迎えたモンフォールがグレイへと震える声で叫んだ。


「お前は……お前は一体なんなのだ……!!」

『私? 私はただのグレイです。竜の血が混じっているだけの、ただの人間です』


 お前がただの人間なわけがあるか! という心の中の叫びを押し殺し怒声を上げる。


「何か、何か二つ名があるはずだ! ただの竜ごときに『蒼白』が負けるはずがない!」


 それは、ただの自分を納得させるためだけの問いかけだった。

 それを察したグレイは、モンフォールの問いに答えてあげることにした。


『そうですね……『蒼白』になぞらえて言うなら……』


 グレイは顎に手を当て考えた後、自身の名を告げる。


『母からもらった名は『灰焔かいえん』。私は『灰焔』のグレイ・アッシュフォードです』

「灰焔、灰……まさか……!」

「勝負ありだ」


 モンフォールが何かに気が付いた時、アレクが割って入った。

 アレクはモンフォールへと杖の先を向ける。


「ドラゴリッチを失ったが、これ以上戦いを続けるつもりはあるか?」

「…………私の、負けだ」


 数秒の沈黙の後、絞り出すようにモンフォールはそう告げた。

 モンフォールの強さの半分を占めていたドラゴリッチはもういない。


 今更魔法卿エルドリッチと戦ったところで、魔法の腕で敗北するだけだ。

 その上、グレイという絶対的な強者によって、モンフォールの心はとうの昔に折られていた。


***


 その後、駆けつけたエルドリッチの憲兵によって、モンフォールとその手下たちは連行されることとなった。


 魔法を封じる枷を嵌めているため、脱走はできない。

 あとは王都へと連れて行かれ、今回の騒動の裁きを待つだけだ。


 モンフォールが連れて行かれた馬車を見送った後、アレクの背中へとグレイは告げる。


「それにしても今回は私、活躍しましたよね。アレク様が勝てない相手にも勝ちましたし。特別手当をくれるか、お給料をアップしてくれても良いんじゃないですか?」


 グレイはどさくに紛れて給料のアップを図ろうとした。


「馬鹿を言うな。あれくらい、俺なら十秒もかからず始末できる」

「えっ」


 アレクは呆れたようにため息を吐いた。

 その言葉に嘘や偽りは見えない。


「お前には明かしておくが、俺の使い魔はお前と同じ様に、神だ。竜程度、それもアンデットとなったあいつなど相手にすらならん」


 愕然とするグレイ。

 同今まで隠されていたアレクの使い魔についての情報に驚くと同時に、グレイの頭には一つ疑問が湧いた。


「じゃ、じゃあ苦戦してたのは……」

「そう見せてお前の力を測ろうとしていただけだ」

「なっ……」


 グレイは絶句する。

 苦戦しているように見えたのは、あれは全て演技だったのだ。

 道理で全く反撃する気配がないと思った。


(実力を確認するためだからって、そこまでするか普通……!?)


 グレイはそこまでして自分のことを把握しようとするアレクの行動に、ドン引きしていた。


「それと」


 すると突然、不自然にアレクが言葉を挟んできた。


「一応言っておくが、俺のモノというのは、言葉以上の意味はないからな」

「え、それ以外何かあるんですか?」

「……分かっているならそれでいい」


 グレイがきょとんと首を傾げると、アレクは少し複雑そうな顔になった。

 しかしすぐに表情を戻すと、アレクはマントを翻した。


「早く帰るぞ。戻ったらまずは説教だ」

「はい……」


 げっそりとした表情になったグレイは、その後についていく。

 グレイの前方を歩きながら、アレクは呟いた。


「二つ名持ちの竜すら圧倒する力……そして『灰』が入った竜……まさかな)


 頭の中に浮かんだ予想を、アレクは打ち消した。


***


 かつて、最強の竜がいた。


 その竜は数多の敵を討ち滅ぼし、力を増やし、やがて神の領域へと至った。

 その竜が司るのは『灰燼かいじん』。


 炎はすべてを焼き尽くし、後に残るのは燃え尽きた後の灰と塵だけ。


 よって、灰燼。


 そして神の中でも更に別格の存在となった竜は、終焉の象徴とされた。

 人々は恐れ、幾度も討伐しようとするものの、灰燼はその度に全てを退け、自分を討伐しようとした国ごと焼き尽くした。


 挑んでくる人物が誰もいなくなった頃、『灰燼』の竜は頂点に君臨した。


 絶対的な強者、何人も触れてはならぬ神として。


 しかし百年ほど前、『灰燼』の竜は突然表舞台から姿を消すことになる。


 学者は様々な説を唱えたが、行方は未だに知られていない。

 今はただ、神話の存在として知られるのみである。

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