第2話 仮初めの婚約者
ガラガラと馬車に揺られていた。
もう王都を出発してから一週間ほど、馬車に揺られ続けている生活のせいか、最初に感じていた酷い馬車酔いも、今はまったく感じなくなっていた。
(どうして私はこんなところにいるんだろう)
グレイは自分がどうしてこんな状況に陥っているのかを思い出す。
二週間ほど前、王都の片隅でしがない薬屋として暮らしていたグレイの元に、執事がやって来た。
「あなたはウィンターハルト家の血縁にあたります」
執事の説明によると、どうやらウィンターハルト伯爵家の当主の弟がグレイの父に当たるらしい。
道理で母に父のことを尋ねても教えてくれないはずだ。貴族の血が混じっているなんて、街で知れ渡ってしまえば面倒でしかない。
「それで、我々はグレイ様をウィンターハルト家にお迎えしたく思います」
なんでも、グレイの父は平民だった母と駆け落ちし、そのまま当時当主だった先代に勘当されたそうだ。しかし現当主は寛大な心の持ち主であることから、一族に戻っても構わないのだそうだ。
グレイは別に貴族になりたくなかったので、断ろうとした。
大抵の場合、うまい話には裏がある。
しかしグレイが断ると執事は半ば強制的に、誘拐犯もびっくりするような華麗な手口でグレイを拉致した。
グレイの悪い予感は当たっていた。
ウィンターハルト家に到着するや否や、貴族用の石鹸で体をゴシゴシと洗われ、ゴテゴテとした飾りがある窮屈な服を着させられ、慣れない口調と礼儀作法を叩き込まれた。
その仮定で元々の姓であるアッシュフォードから、ウィンターハルトという姓に変えられた。
そして一週間後にはまるで家畜の牛を出荷するみたいに少量の荷物を持たされて、馬車に詰め込まれ、旅立たされた。
かくして、グレイ・アッシュフォードは弱冠十五歳でありながら、知らぬ土地へと旅立つこととなったのである。
馬車に揺られながら窓枠に頭を預け、外の様子をぼんやりと眺める。
(貴族の血さえなければ、こんなことにはならなかったのに)
顔さえ見たことのない、父を少し恨んだ。
この二週間、良かったことと言えば熱い湯の張った湯船に、ゆっくりと浸かれたことくらいだ。
平民として暮らしていた頃は濡れタオルで身体を拭くか、大衆浴場に行くくらいだった。
たった一週間という短い期間で詰め込まれた礼儀作法や最低限の知識の中によれば、今から自分が向かわされるのは四大貴族と呼ばれる貴族のうちの一つらしい。
この国は東西南北の四方を敵国に囲まれており、四大貴族は敵国の侵略を防いでいることから、四大貴族と呼ばれているそうだ。
その権力は国王の次に高く、たとえ王族であろうとも四大貴族には簡単には手を出せないほどだと言われている。
独自に城を持つことを許可されている、といえばその権力の大きさがわかるだろうか。
グレイが向かわされているのは国の西側を防衛している、エルドリッチ伯爵家。
通称『魔法卿』と呼ばれている貴族だ。
エルドリッチは魔法における大家であり、その魔法の腕の高さからそう名付けられた通称である。
魔法を使う貴族は数多あれど、その中で『魔法卿』を名前を与えられていることから、その実力の突出していることがうかがえる。
ウィンターハルト家で盗み聞いた話では、魔法卿は現在婚約者を募集中で、四大貴族ということもあり、今までたくさんの貴族令嬢が魔法卿と婚約したらしい。
しかしその全てがたった一日で魔法卿に追い出されてしまったそうだ。
魔法卿は随分と気難しい性格らしい。
女嫌いである、という噂もあるが案外間違いではないのかも知れないな、とグレイは思った。
そんな人物のところに向かわされているのかと不安になったが、問題ない。
なにせ、自分は使用人として向かうのだ。自分のいとこであるウィンターハルト家の令嬢も、「使用人として雇ってもらえればいいわね」と言っていた。
ある程度働く力があると証明できれば一日で追い出されることもないだろう。
このときのグレイは、自分がまさか婚約者候補として送られているなど露ほども考えられなかった。
窓の外を見ていると、向こうの方に城壁が見えてきた。
あれが、自分が嫁ぐことになるエルドリッチの城下町だと知ることになるのは、もう少しあとになる。
***
目が覚めた。
まず目についたのは天井の天蓋。
実家兼薬屋だった実家とは似ても似つかない目覚めの光景だ。
そして身が沈むほど柔らかいベッドに、肌触りの良い寝間着。
挙句の果てにはベッドから起き上がれば。
「おはようございます、お嬢様」
「目覚めの紅茶をご用意いたします」
控えていた執事が流れるように自分へと紅茶を差し出した。
「ご朝食の用意は出来ております」
そしてグレイの前へ朝食を載せたワゴンがゴロゴロと音を立てながら到着し、あっけにとられている内に部屋の中にある少し大きなテーブルに朝食が並べられていく。
(ああ、そうだ……私、エルドリッチ伯爵と婚約したんだっけ?)
そこでグレイは昨日のことを思い出した。
グレイを貴族に戻したり、最低限の礼儀作法は身に着けさせた理由がわかる。恐らく、ウィンターハルト家は悪い噂のある魔法卿に、自分のかわいい娘を嫁がせたくなかったのだろう。
そこで身代わりとして送られたのが自分なのだ。
(要するに、使い捨ての駒だったというわけか)
グレイは心のなかで大きなため息を付く。
自分の本心とは別でも命令されれば従わなければならないのが、身分制というものだ。
平民の自分がウィンターハルト家を恨んでも仕返しなんてできる訳が無い。
恨むとするなら貴族の血が混じっていた自分か、それを黙っていた両親だ。
かっちりと整えられたテーブルの上には様々な種類のパンがこれでもかと置かれ、皿にはハムとした肉や、ブルーベリーやイチゴなどの果物が惜しげもなく盛りつけられている。マフィンに至ってはクロテッドクリーム、ジャム、蜂蜜がそれぞれ用意されていた。
少し前までなら考えられないような豪華な食事だ。
普通なら緊張して味もわからないところだろう。
しかし、グレイは変なところで肝が座っていた。
(まぁ、出てきたものは仕方がないし、食べるしか無いか……)
一週間ほどで叩き込まれたテーブルマナーを駆使しながら、グレイはもぐもぐと朝食を食べていく。
ウィンターハルト家でテーブルマナーを叩き込まれたことを少しだけ感謝した。いや、そもそもウィンターハルト家に拉致されなかったらこの状況は生まれていないので、感謝するのはおかしいかもしれない。
そういえば、実家の薬屋はどうなっているのだろうか。
ろくに身辺整理すらできないままこちらへと来てしまったので、零細の薬屋である内の主な収入源である常連の客は、今頃困っているかもしれない。
(まぁ大丈夫か。薬屋くらい王都にいくらでもあるだろうし、それに私が出していたのはとりたてて特別な薬というわけでもない)
確かに、うちの薬はそこらの薬に比べて少しだけ効き目がいいかもしれないが、うちが無くて困るほどではないだろう。
そんなことを考えている内に朝食を食べ終わってしまった。
すでにちょっと慣れてきたグレイはメイドに食後の紅茶を頼むと、それを飲みながら部屋を見渡した。
(しかし……流石に落ち着かないな……)
部屋の中にいる執事三人、メイド三人。恐らくアレクと婚約した自分のために付けられた使用人だろうが、こうも人数がいると落ち着かない。
「あの……寒いのが苦手なので羽織るものをいただけませんか」
「わかりました。すぐにご用意いたします」
本当にすぐに羽織るものが用意された。
メイドがケープをグレイへと差し出す。
「こちらです、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
グレイへとケープを持ってきてくれたのは、グレイへと部屋を案内してくれたメイドだ。
今なら何でも要求が通るような気がしたので、グレイは言うだけ言ってみることにした。
「それと落ち着かないので、使用人の方の数を減らしていただけないでしょうか」
「えっ……?」
グレイの言葉に執事が驚いたように目を見開く。
「それは……できかねます。御主人様より賜った私どもの仕事は、貴方様のエルドリッチ城での生活をサポートすること。私どもごときの意思で勝手に人数を減らすことはなりません」
「それは婚約者である私の命令であっても?」
「私どもの主人はアレク様ですので」
(なるほど、そういうこと)
これは考えを改めなければならない。
この人たちにお願いを聞いてもらうなら、言い方を変える必要がありそうだ。
(というか、よくよく考えれば、平民である私が四大貴族の婚約するなんて恐れ多いんじゃないか……?)
一応今の自分は貴族であるとはいえ、庶民根性が抜けないのだろう。
こんな豪華な食事や、大きな部屋を与えられても逆に落ち着かない。
そもそも、つい最近まで平民だった自分と、国を代表する四大貴族の当主であるアレクが婚約するなんて、現実では起こり得ないようなロマンスを描いた恋愛小説でだって「現実味がない」と評されるだろう。
そして、グレイは決心した。
(うん、婚約の件、やっぱり辞退しよう。今ならただの間違いだったで済むだろう)
正直、このままでは身が持たない。
問題があるとすれば、追い出されたところで無一文なので生活資金をどうするかということと、エルドリッチから馬車で一週間かかる王都までどうやって帰るかだが、魔法卿に泣きついたら少々の路銀と馬車くらいは出してくれるかもしれない。
それも無理なら覚悟を決めて、エルドリッチの街で仕事を探そう。
そう心に決めたときだった。
扉がノックされ、部屋の中にとある人物が入ってきた。
グレイは入ってきた人物を見て目を見開く。
(なんでこんなところに……)
部屋に入って来たのは、魔法卿ことアレク・エルドリッチだったからだ。
「もう起きていたのか」
「ご、ごきげんよう、魔法卿……」
「俺をそのような名前で呼ぶ必要はない」
グレイはアレクの言葉を聞いて、唐突に嫌な予感がした。
アレクの浮かべている笑顔が、王都に住んでいた頃に近所に住んでいた子どもの、悪戯を企んでいるときの顔にそっくりなのだ。
これは不味い。早く自分から婚約を辞退しないと更に面倒くさいことに巻き込まれる気がする。
「あの、婚約の件についてですが、辞退──」
「昨夜、お前の言っていたことを考えたが……その話を受けることにした」
アレクはグレイの前までやってくると、グレイへと端正な顔を近づけ……。
そしてグレイの顎をくい、と持ち上げた。
その不思議な引力を感じる瞳から目が離せなくなる。
「──今から、お前には俺の婚約者を演じてもらおう」
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