第3話 取引成立
「婚約者を、演じる……?」
グレイはアレクの言葉を繰り返した。
意味がわからなかったからだ。
「お前が言ったことだろう。俺とお前は雇用関係である、と」
「い、言いましたが……」
顎を持ち上げられたままグレイは答える。
「それはつまり、俺とお前は協力関係ということだろう」
「……はい?」
「俺は鬱陶しい縁談を断るために、お前を婚約者にする。そしてお前は将来の生活のために金がほしい。ギブアンドテイクというわけだ」
(なるほど……いや、私が言ったのはそういうことじゃないんだが)
グレイは遅まきながら状況を理解する。
昨日、グレイは自分は使用人としてここまで連れてこられたと思っていたので、雇用関係は使用人とその主人を指していると考えていた。しかしアレクの方は婚約の話をしていると思っていたので、雇用関係という言葉を婚約へと当てはめてしまった。
ここで綺麗にすれ違いが起こっていたらしい。
グレイは、昨日自分が「雇用関係ですよね?」と言った後のアレクの反応がおかしかったことを思い出す。
思い返せば、あそこですれ違いが起こっていたのだ。
(あそこでしっかり言葉の意味を考えるべきだった……!)
内心で苦虫を噛み潰したような表情になりながら、グレイは過去の自分を責める。
「なかなか、良いアイデアだ。俺もどうして考えつかなかったのだと悔いているほどには」
「いえ、その話はやっぱりなしにしてください。私のような者が魔法卿と釣り合うはずがありません」
「そう、それだ。俺がお前を仮初の婚約者へと選ぼうとした理由。それはお前が今までの女とは違い、俺との婚約に全く乗り気でないことだ。そこが逆に信用できる」
アレクはグレイにどうして仮初の婚約者にしようと思ったのかを説明する。
その理由を聞かされたグレイは……。
(いや知らんがな)
というのがグレイの本心だった。
アレクの婚約事情には全く興味がないし、関係もない。それどころかとっととこの城から出ていきたいくらいなのだ。
婚活くらいそこら辺で勝手にしといてくれ、というのがグレイの本音でもある。
自分が婚約者になるなんてまっぴらごめんだ。
(それに、さっきからこの体勢、寒気がするんだが……)
先程からずっとグレイはアレクに指で顎を持ち上げられている状態である。
いくら絶世の美男子といえど、そろそろ鳥肌が立ってきそうな頃合いだった。
それにしても、間近で見るとまるで女性のようにも見える顔だな、とグレイは思った。
しかし顔から視線を外すと喉仏や体格がアレクが男性であることを教えてくるので、間違えることはないだろうが。
あまりにも整っているとどこか中性的に見えてくるのだ、と新たな知見を得ながら、グレイは思考をもとに戻す。
(というか、やっぱり面倒なことに巻き込まれてるじゃないか)
仮初の婚約者とはつまり、これからグレイはアレクの婚約者として振る舞うことになる。
冗談じゃない、とグレイは思った。
アレクの婚約者になるということは、この絶世の美男子の隣で、好奇の視線を浴び続けるということでもある。
魔法卿ことアレクは、これまで数多の婚約者候補をその日に送り返した、というよろしくない噂が流れている。しかしこの顔と四大貴族という地位だ。
婚約者になりたい女性なんて、この世にごまんといるだろう。
女の嫉妬や逆恨みほど怖いものはない。
それが社交界という伏魔殿なら尚更だ。
この男の婚約者なんて、いくら生命があっても足りやしない。
「いえ、やはり考えたのですが、私は婚約者としては相応しくありません」
「仮初の婚約者に相応しいかどうかは関係ない。ただ、「婚約者がいる」という事実が重要だ」
「いやいやいやいや、それでも私は駄目ですって。絶対に」
「そうか、そんなに俺と婚約するのが嫌か…………ますます、欲しくなってくるな」
「……っ!!」
アレクの最後につぶやいた言葉に、グレイの背筋がぞわぞわっ、と粟立った。
「あれを」
アレクが背後に控えていた執事に命令するすると、執事が銀のトレーを持ってきた。
そしてトレーの上に乗っていたものを、グレイの前に置いた。
どんっ、と大きな音と共にグレイの目の前に置かれたのは……革袋だった。
「……っ!?」
グレイは目を見開く。
なぜなら、その革袋の口から覗いていたのは、キラキラと輝く……。
「お前の言っていた雇用関係の報酬だ。金貨十枚が入っている」
──グレイには喉から手が出るほど欲しい大好物がある。
お金だ。
その中でもとりわけ金貨が大好きなのだ。
加えて、街のしがない薬屋で、毎日その日暮らしの生活であったグレイにとっては、金貨はそれ自体が滅多にお目にかかれないものでもあり……。
「き、金貨だぁ……!!」
あっさりと金貨へと飛びついた。
「こ、こんなに綺麗なキラキラが……! 始めてみた……! うぇへへへ……!!」
グレイはへにゃりとした笑みを浮かべ、金貨の入った革袋を頬ずりをする。
「……」
そのグレイの変わりように、金貨を渡したアレクも唖然とした表情を浮かべていた。
グレイは周囲の空気がおかしいことに気がつき、あたりを見渡す。
「………………あっ」
そして自分のしていたことに気がつくと、ごほん、と咳払いをした。
「……私はお金で釣られたりはしませんから」
「それは無理があるだろ」
思わずアレクが突っ込む。
誤魔化すためにグレイはアレクへ逆に質問を投げかけた。
「というか、なんでこんなに大金なんですか」
「俺の婚約者という職業は、使用人の報酬では割に合わないからな」
それは裏を返せば、報酬に見合った働きをしてもらうということだ。
仮初の婚約者が周囲にバレてはいけないため、雑な演技は許されない。
「俺の仮初の婚約者となるなら、毎月同じだけの報酬を用意しよう」
「っ!!!」
毎月金貨十枚の報酬!!!
金貨はたった一枚だけで、平民が三ヶ月は全く働きもせずに遊んで暮らせるだけの価値がある。
(ま、毎月金貨十枚!? え、えーと、それはつまり……一年で金貨がひゃ、ひゃくまい以上に……!?)
グレイからすれば途方も無いような金額に、薬屋の仕事で慣らした計算能力ですら怪しくなる。
一年後、自分の目の前に積まれた大量の金貨を想像して、ニヤけた口元からよだれすら出てきていた。
しかしすぐに首をブンブンと振って我を取り戻す。
(い、いやいや……一旦冷静になれ。このままじゃ貴族の政争に巻き込まれる)
アレクは四大貴族のうちの一家だ。
もしアレクの婚約者になってしまえば、どろどろとした貴族の争いに飲まれてしまうことは必至。
自分はまだ死にたくないのだ。
だが、その時また手の中の金貨が目に映った。
(こ、こんなに毎月もらえるなら巻き込まれても…………い、いやいや、冷静になれ!)
グレイは必死に断る言い訳を絞り出す。
「私は演技なんてしたことはありません」
「これから練習すればいい。時間はある」
「わ、私は礼儀作法はおろか、貴族としての振る舞い方も知りません」
「それも、学べばいい話だ」
グレイが絞り出した理由は全てアレクに封殺される。
「そう言えば、昨夜調べたんだが……お前は二週間ほど前までは、平民だったらしいな」
「っ!?」
(な、なんでバレている!?)
グレイは自分の出自が特定されていることに驚愕する。
サーっ、とグレイの顔が青くなっていく。
まずい、自分が平民であることがバレると……。
「つまるところ、お前とウィンターハルト家は、四大貴族である俺に、平民の女を貴族の令嬢だと偽って寄越したわけだ。駄目だろう、経歴詐称は」
「私は、ただ拉致されて……」
「平民が貴族を騙した時、罪の重さはどれくらいになるのだろうな?」
アレクが耳元で囁いてくる。
「っ!!」
知ってるくせに、という言葉をグレイはすんでのところで飲み込む。
平民が貴族を騙したときの刑は──即刻断頭台だ。
自分が「ただ拉致されただけだ」と無実を訴えたところで、ただの平民の言葉をどれだけの人間が信じてくれるのか……いや、それも嘘だと断じられる可能性だって高い。
つまり、アレクにこの事実をバラされると、グレイにはどうしようもないのだ。
ぐっ、とグレイは悔しそうな表情になった。
その表情を見て、アレクは口の端を吊り上げた。
(こ、こんなところで笑うなんて、なんて性根の曲がった男なんだ……!)
グレイは笑顔のアレクにドン引く。
「悪いが、お前に拒否権はない。──命令だ、俺の婚約者となれ」
身分制の辛いところは、地位が上の相手に対しては逆らえないことだ。
たとえ、本心では嫌だったとしても。
こうして、グレイは魔法卿ことアレク・エルドリッチの”仮初”の婚約者となったのだった。
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