第4話 魔法卿の興味

【アレク視点】


「お前を愛するつもりはない」


 アレク・エルドリッチはこれで何回目になるか分からない言葉を、目の前の女へと投げかけた。


 ──自身の魔法で生み出した氷剣を喉元へと突きつけながら。


 四大貴族のうちの一家である、エルドリッチ家には日々大量の縁談がやってくる。

 当然、エルドリッチを利用してやろうという邪な考えを持った人間も近づいてくる。

 そうした人間を弾くために、アレクはまず始めに出会い頭、脅しをかけることにしていた。

 そもそもの話、この程度で臆するようなら、そもそもエルドリッチには相応しくない。


 しかし、目の前の灰髪赤目の女は、アレクに氷剣を突きつけられても、大して恐れているようには見えなかった。

 ただぼーっと氷の刃を見下ろしているだけだ。


 アレクは眉をひそめる。

 その目に、違和感を覚えたからだ。

 今までの令嬢は喉元に氷剣を突きつけられれば、驚くなり恐れるなりと多少なりとも反応を見せた。

 しかし灰髪の少女はただ氷剣を感慨もなく見つめていた。

 まるで、氷剣を突きつけられても全く命の危険を感じていないように。

 違和感を抱えながらアレクは次の言葉を述べる。


「俺はお前を丁重には扱うつもりもない。贅沢三昧もさせるつもりはない。金もお前には渡すつもりはまったくない。ましてや、俺が死んだとてエルドリッチの遺産は相続させない。それでもいいなら、この城に滞在することを許す」


 なまじ最初の脅しが効かなくても、この言葉でエルドリッチの財産を目当てにしていた人間は、すべて追い返すことが出来た。

 その代わり王都に戻った彼女らは魔法卿の悪い噂を流すことになるのだが、アレクは全く気に留めてもいなかった。

 自分の命は西の敵国の侵略を防ぎ、国土とこのエルドリッチの土地を守り通すことだ。

 そこにエルドリッチの金で豪遊しようとするような、欲に駆られた人間など必要ない。

 そもそも、アレクはまだ自分には婚約者は必要ないと思っていた。

 王命で婚約者を選定するように言われてなければ、そもそも会ってすらいなかっただろう。


(今回も、こう言っておけば憤慨して逃げ出すだろう)


 そう思っていたのだが。


「別に、構いませんが」

「は?」


 一瞬、聞き違えたのかと思った。

 しかしすぐに自分の言葉は聞き間違いではなかったのだと悟った。

 顔に「何を言っているんだ、この男は?」というのがありありと浮かんでいたからだ。


「お前……間諜スパイか」


 まず初めに疑ったのは間諜スパイだった。

 四大貴族の地位は誰もが欲しがるものだ。自分の娘を婚約者として送り子を産ませることで、家ごと乗っ取ってしまおうと計画する家だってある。

 氷剣の切っ先が灰髪の少女の喉元についた。


「確か、お前が来たのはウィンターハルト家だったな。真実を話さなければ……殺す」


 アレクは並大抵の女性なら泣き出すような怒気を放つが、灰髪の少女は全く動じない。

 それどころか更に「本当に何を言ってるんだこいつは」と訝しげな視線を強めてくるほどだ。

 演技ではない。

 エルドリッチの財産目当てでもなく、間諜でもないなら、何が目的でエルドリッチの領地まで来たのかがわからないが、ひとまずは城に滞在させても構わないだろう。

 アレクは氷剣をしまい、立ち去ろうとした。

 しかし、さらに灰髪の少女はアレクの度肝を抜いた。


「あの……賃金は支払っていただかないと困ります」


 なんと、賃金を支払えと言ってきたのだった。

 アレクは始め、何の事を言っているのかと思ったが、すぐに得心した。

 そして目の前の灰髪の少女がこれを考えついたという事実に、アレクは目の前の灰髪の少女に興味を持ち始めていた。


 その後、灰髪の少女は何度もアレクを驚かせた。


 曰く、本当はエルドリッチへと嫁いできたくなかった。

 心のなかで思っていたとしても、四大貴族である自分に本心を言ってしまう者がどこにいるのか。

 取り敢えずアイデアは一晩考えることにして、灰髪の少女にいくら欲しいのかと質問した。


「いくら欲しい」

「使用人の最低賃金でも構いませんので、いただければ」


 灰髪の少女の言葉に、アレクは唖然とした。

 いくらなんでも欲がなさすぎる。

 使用人の給料程度など、貴族の令嬢にとってははした金だ。パーティーで使う一夜限りのドレスどころか、装飾品アクセサリー程度の価値しかない。


 「お前には一銭も出さない」と言っていたアレクですら、本当にそれだけでいいのかと問い返すくらいだった。


 しかし灰髪の少女はまるでそれが適正な報酬であるかのように頷くばかりだ。

 エルドリッチの財産にも興味はない。間諜ですらない。となると灰髪の少女がアレクと婚約するメリットは、アレクを好いているから、だけしかない。

 アレクは疑いの眼差しを灰髪の少女へと向けたが、直ぐに自分でそれを否定した。

 灰髪の少女はアレクを毛ほども意識していない。それどころかどうでもいいとすら思っているだろう。

 その美貌から女性を惹きつけて止まないアレクにとっては、珍しい反応だった。

 というか、こんな反応を向けられるのはアレクにとってこれが初めてだった。

 だからこそ、アレクは灰髪の少女へと告げた。


「今日は滞在することを許す」


 エルドリッチ城の廊下を歩きながら、アレクは灰髪の少女の名は何だったか、と思い出す。


「確か……グレイ・ウィンターハルトという名前だったな」


 アレクがエルドリッチの城に滞在を許した令嬢は、これが初めてだった。


***


「アレク様、調査が終わりました」

「ご苦労、ジェームズ」


 その夜、アレクは執事から報告書を受け取った。

 ジェームズはエルドリッチ家の家令であり、白髪が交ざり始めた髪を後方へと撫でつけた初老の紳士だった。

 年齢に似つかわしくない、執事服の上からでも分かるその鋼の肉体は、ジェームズに武術の心得があることの証左でもある。


「……なるほどな、元は平民か」


 受け取った報告書、そこに書かれていたのは、本日婚約してアレクに城へ滞在することを許された灰髪の少女、グレイ・ウィンターハルト……いや、グレイ・アッシュフォードの身辺調査の結果を纏めたものだった。

 グレイがエルドリッチの財産を狙っているわけでも、間諜でもないということは分かっているが、それでも念には念を重ねて、出自などを軽く調べることにしたのだ。


「二週間ほど前にグレイ様の名前が、ウィンターハルト家に追加されています」

「ふん、悪い噂のある魔法卿には可愛い娘ではなく、そこらで攫ってきたどうでもいい小娘を、か。……随分と舐められたものだ」


 アレクの目に怒りの色が混じる。

 しかしその怒りはグレイではなく、ウィンターハルト家へと向けられていた。


「一応、血縁ではあるようですが」

「そこら辺の形式は守ったか。それで正解だな。これで本当にどこの出自とも知れぬ平民であれば、その時点でウィンターハルト家は終わっていた」


 本来であれば同じ伯爵家同士、どちらか一方の一存で相手の家をどうこうできるような権力はない。

 傲岸不遜にも聞こえる台詞だが、アレクにはそれを実現する権力も、実力もあった。

 それが国王の次に権力を持つ四大貴族というものだ。


「ということは報復なさらないので?」

「そこら辺の形式を守ってくれたおかげで、こちらも存分に利用できるからな」

「ということは……グレイ様を?」

「ああ、仮初の婚約者として、これからの縁談避けに使う」

「……私としては、婚約して欲しいのですが」

「すまないが、俺はまだまだ婚約するつもりはない」


 ジェームスの悩ましげな言葉に、アレクは肩を竦めた。




 そして翌日、アレクはグレイの元を訪ねた。

 仮初の婚約の件を飲むことを伝えたが、グレイは辞退しようとしてきた。

 アレクと婚約できると聞けば大抵の女は飛び上がるほどに喜ぶものなのに。

 どうやらグレイは考えが変わったようで、自分との婚約をなんとか回避しようとしているらしい。

 しかしアレクにとって仮初の関係を維持するのに必要なのは、今のグレイのようにアレクのことを好きにならないことなのだ。

 何より、自分が初めて興味を抱いたこの灰髪の少女を、逃がすつもりはなかった。

 グレイに拒絶される度に、アレクは尚更自分の手駒にしたいと思った。

 嫌がるグレイを納得させようと、アレクはグレイの前へと金貨を差し出した。


(まぁ、流石にこんなものに食いつきはしないだろうが……)


 昨日は「使用人の賃金程度の報酬で構わない」と言ったので、いくら金を積んだところであまり意味はないだろうと思っていた。

 ある種の様式美として、あとは婚約したときのメリットを提示する意味で、グレイの前に金貨を置いたのだ。

 しかし、グレイの反応はまたもアレクの予想を超えた。


「き、金貨だぁ……!!」


 グレイは今までで最も目を輝かせ、金貨に飛びついた。


「こ、こんなに綺麗なキラキラが……! 始めてみた……! うぇへへへ……!!」


 ずっと仏頂面だったグレイは、見たことのないような笑みを浮かべ、金貨の入った革袋に頬擦りする始末だ。

 アレクは、あまりの衝撃に唖然とすることしか出来なかった。


「………………あっ。ご、ごほん」


 しかしグレイはすぐにアレクの視線に気が付いて、なんでもない風を装った。


「さすがに無理があるだろ」


 突っ込みを入れながら、アレクは心のなかでニヤリと笑みを浮かべた。

 彼は使えるものは全て使う主義だった。


「俺の仮初の婚約者となるなら、毎月同じだけの報酬を用意しよう」

「っ!!!」


 グレイの心が動いたのを見て、アレクは更に畳み掛ける。

 誘惑でも心を傾けきることができないのなら……脅せばいい。


「そう言えば、昨夜調べたんだが……お前は二週間ほど前までは、平民だったらしいな」

「っ!?」


 グレイの目が驚愕に見開かれた後、顔が青く染まっていく。


「つまるところ、お前とウィンターハルト家は、四大貴族である俺に、平民の女を貴族の令嬢だと偽って寄越したわけだ。駄目だろう、経歴詐称は」

「私は、ただ拉致されて……」

「平民が貴族を騙した時、罪の重さはどれくらいになるのだろうな?」

「っ!!」


 グレイの顔が悔しさに染まる。

 ついに予想外の塊であるグレイを思い通りに動かすことが出来て、アレクは心のなかで満足する。

 するとなぜかグレイがドン引いた目で見てきたが、一体どうしてだろうか。


 そして両者合意のもと(?)、仮初の婚約者を手に入れたアレクは城の廊下を歩いていた。

 その足取りは軽い。

 久々に面白いものを見れて、機嫌が良かった。


「アレク様、その……口元が」


 するとアレクの後ろからついてきていた家令のジェームズがそう言ってきた。


「? どうした」


 ジェームズは見たものをそのまま伝えるかどうか迷った末、伝えることにした。


「グレイ様との会話を、お楽しみになられたようでなによりです」

「なに……?」


 アレクは口元を触り……目を見開いた。


「そうか……俺は笑っていたのか」

「私も、久々にアレク様の笑顔を拝見できて嬉しく思います」

「ふん、行くぞ」


 アレクは無表情に戻った後、また歩き出す。

 このときはまだ、使い勝手の良い駒を手に入れた、くらいの感想だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る