第5話 エルドリッチ城の案内

 そしてアレクと仮初の婚約を結んだ後、グレイにはしばしの身支度をする時間が与えられた。

 寝巻きの上にケープを羽織っていたグレイは、メイドによってテキパキと着替えさせられていく。

 何をするのかと思いながら身支度を終えると、アレクが部屋の中に入ってきた。


「ついてこい。城の中を案内してやる」


 どうやら城の中を案内してくれるらしい。

 グレイはアレクの後ろについていく。

 二人の後ろには執事と、最初にグレイへと部屋を案内してくれたメイドがついてきていた。


(はぁ……婚約者になってしまった)


 心のなかでグレイはため息を付く。

 しかし過去のことをグチグチ悩まないタイプのグレイは、すぐに気持ちを切り替えた。


(まぁ、なってしまったものは仕方がないか。せいぜいお金……路銀を貯めることにしよう)


 一瞬意識が先程の金貨に向きそうになったのを修正する。

 ……決して、金に釣られたわけではない。

 仮初の婚約と言っても、五年も関係を続けることはないだろう。

 恐らくアレクと自分はせいぜい数年の付き合いだ。それを乗り越えれば良い。

 疑問をアレクの背中へと投げかける。


「どうして私を案内してくれるんですか」

「お互いを知るためだ。仮初の婚約者を演じる以上、お互いをある程度知る必要がある。話せることは何でも話せ。もう一つは会話の練習だ。お前はまだ貴族の言葉遣いと話し方に不慣れだ。おかしなところがあれば俺が指摘してやれる」


 つまりは、城の案内と、お互いを知ること、そしてグレイの貴族用の会話の練習と、三つの目的を同時にこなせるわけだ。


「それは随分と……効率的ですね」


 グレイは慎重に言葉を選んだ。


(平民のことを脅しに使ってくるような相手だ。油断すればすぐに揚げ足を取られてしまう)


 ……実際のところ、アレクはもう脅すつもりはなかったのだが……印象というのは拭うのが難しいものである。


「俺は無駄が嫌いだからな。それに、エルドリッチ城はそれほど人手が余っているわけではないから、こっちの方が全体の仕事を減らせて効率がいい」

「それはどういうことですか?」

「……お前は政治に関してはなにも知らないのか」

「お恥ずかしながら」


 しがない薬屋としてその日暮らしで働いていたので、忙しすぎて世間のニュースや噂などは全く知らないのだ。


「まぁいい。それも教えれば済むことだ」


 アレクはまた歩き始める。


「まずは書庫だ」


 最初に案内されたのは書庫だった。

 天井まである本棚にはぎっしりと本が詰められ、それが見渡す限り続いている。

 グレイにとって本とは、一冊買うだけで家計簿とにらめっこしなければならないものなのだが、それがここには百や千では利かないほどの数が蔵書されている。

 当然、ここの中には薬草や、薬に関する本もあるのだろう。

 王都にある学校というものはしっかりとは通ず、学がないグレイだが、本を読むことは嫌いじゃない。

 薬屋という職業上、ずっと薬草や薬の本を読んできたからだ。

 グレイは書庫を見ながら、


(時間があるときに、できるだけ多くの本の内容を写しておこう)


 と、貧乏くさいことを考えるのだった。


「ここには魔導書や魔法に関する本が置いてあるが、書庫の中で魔法を使おうものなら即刻荷物をまとめて叩き出すから、そのつもりで」


 結構本気な忠告をアレクから受けると、次の施設へと移る。


「次は庭園だ」


 次に連れてこられたのは庭園だった。

 庭園と言っても貴族の庭園のように芸術的な花壇が設置されていたり、迷路のような高い生け垣があるわけではなかった。

 どちらかと言えば──『畑』と称するべきだろう。

 美しい花から雑草のような草まで、様々な植物が栽培されていた。

 ガラス張りの温室の中には、常に温度を保たなければならない植物が植えられているのだろう。

 グレイがいつも薬の材料として使っている薬草も生えていた。


「ここには研究や魔法に使う植物が植えてある。勝手に引っこ抜いたり、食べたりしようとするなよ」


 その時、ふよふよと綿毛のようなものがグレイの方へとやってきた。

 風に吹かれながら漂ってくる綿毛に、グレイは両手で皿を作り、その綿毛を手に乗せた。

 まるで意思があるかのようにグレイの両手にやってきた綿毛だが、もちろんただの綿毛ではない。

 よくよく見てみればわずかに光っていることが分かる。

 これは綿毛ではなく──『精霊』だ。


(精霊か……このタイプは清流があるところにしかいないのに。もしかして、清流から水を引いているのか?)


 王都にいた頃は滅多に見かけないものだったのでまじまじと観察していると、何やら視線を感じた。

 そちらの方を見れば、綿毛を手に乗せているグレイを、凝視しているアレクがいた。


(まずい、しまった……!)


 精霊が見えるというのは、王都にいた頃は疎まれる対象でしか無かった。

 なにしろ、なにもいないのに「いる」と言っているのだ。

 気味悪がられる対象でしかない。

 死んでしまった母親も、人には見えないものが見えることは秘密にしなさい、とグレイへと口酸っぱく言ってきた。

 しかし、アレクの反応はグレイの予想とは違っていた。


「お前、精霊が見えるのか……!」


 アレクは少し興奮気味にグレイへと問いかけてくる。

 王都にいたときのように気味悪がる様子ではなかったので、取り敢えず頷いておく。


「え、はい……そうですけど」

「これは……お前には魔法の才があるな」

「え、魔法の才能ですか? 精霊が見えることとなにか関係があるんですか?」

「いいか、精霊や妖精は普通の人間には見ることすらできない。しかし──いや、今は長く語るのはやめておこう」


 アレクは講義に入りそうになったのを自覚して辞めた。


「かいつまんで話すと、魔法は他者の魔力を借りて発動するものだ。魔法の中には妖精や精霊の魔力を使わせてもらうわけだが、そうなると妖精や精霊が見えていないと話にならない」

「それはなぜなんですか?」

「人から物を借りるとき、その人間がどこにいるのか分からないのに、物を借りることはできるか?」

「なるほど……」


 妙にわかりやすい例えに納得してしまう。


「相手の姿が見えているということは、相手から物を借りることができるということでもある。つまり、精霊が見えているお前は精霊から魔力を借りることができる」

「ということは、精霊が見えるのは結構稀有なことなんですね」

「ああ、一般的に見ればな」

「……」


(じゃあ、精霊以外も見えてる、というのは言わないほうが良さそうだ)


 グレイは心のなかで呟く。

 庭園の中をのっしのっしと歩くサラマンダー。あくびをしながら飛んでいる妖精。日向ぼっこをしている服を着た猫。

 グレイには、精霊だけじゃない、「一般人は見えないもの」が見えていた。

 これがすべて見えている、と言ったらまた大変な仕事が待っていそうなので、グレイは黙っていることにした。

 ──それが後でどんな事態を招くのかを知らないで。


「アレク様はどれほど見えているのですか」

「俺は妖精も精霊もすべて見えている。そういう家系だからな」


 どうやらアレクはグレイと同じく、すべてが見えているらしい。

 さすがは『魔法卿』と呼ばれるだけはある、と言うべきだろうか。


「ただ、不思議なのは……」

「不思議なこと?」

「精霊は心のきれいな人間にしか見えないはずなんだが……」


 その先の言葉は言わずとも分かる。


(失敬な……)


 グレイは「あなたも心がきれいには見えませんよ」と言いそうになるのを必死に堪えたのだった。

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