魔法卿と竜の花嫁 〜女嫌いで有名な辺境伯様に使用人として雇われたと思ったら実は婚約者でした〜

水垣するめ

第1話 使用人だと思ったら婚約者だった

「俺はお前を愛することはない」


 開口一番告げられたのは、その言葉だった。


 突き放すような言葉とともに突きつけられたのは──氷の剣。

 魔法によって創られたその剣は、グレイの喉へと突きつけられていた。


 グレイはその氷剣を、瞳だけを動かして観察する。

 自分の顔が反射するほどの刀身に、鍔にあたる部分は美しい氷の彫刻が施され、氷で出来たことを主張するかのように冷気をその刀身に纏っていた。

 ひんやりとした空気がグレイの皮膚へと伝わってくる。


 喉元まで後数センチほどのその氷剣は、見た目こそ家宝として飾られていそうなほど美しいものの、グレイの喉を引き裂くには十分すぎる働きをするであろうことは分かっていた。

 しかし、グレイは動じなかった。

 無言で、目の前の男へと視線を向ける。


(美しい顔の割には、随分と物騒な歓迎だ)


 自分に氷剣を突きつけていたのは、大層顔が整っている青年だった。

 絹のようにサラサラと輝く金髪は後頭部で纏められており、自分を睨めつけている青い瞳は、今突きられている剣と同じく、氷のように冷ややかな印象を受けた。

 だが、冷たい印象だけではなくどこか瞳の中に引き込まれるような、魔力を感じる瞳だった。

 鼻筋はすっと通っており、まるで絵画の中の天の使いだとか、およそ人間とは思えない隔絶した美貌。

 一週間というごく短い期間でグレイの頭の中に詰め込まれた情報では、アレク・エルドリッチという名の青年だったはずだ。


 二つ名は──『魔法卿』。


 これは社交界にすごく熱心な信者ファンがいるのだろうな、とグレイは思った。

 自分のようにくすんだ灰色の髪、そして髪と同じく奇異の視線の対象である赤い瞳とは大違いだ。


「俺はお前を丁重には扱うつもりもない。贅沢三昧もさせるつもりはない。金もお前には渡すつもりはまったくない。ましてや、俺が死んだとてエルドリッチの遺産は相続させない。それでもいいなら、この城に滞在することを許す」


(この男は、何を言っているんだ?)


 グレイは頭の中で首を傾げていた。アレクの言葉が意味不明だったのだ。

 愛するとか、相続だとか考えたこともないような話しばかり。

 自分は使用人としてこの家に連れてこられたと思ったのだが、どうしてそんな話をしているのだろう。

 グレイは少し考えて、得心がいった。


(ああ、なるほど。愛人にはしない、ということか)


 多分、アレクは自分に対して釘を刺しているのだ。

 この美貌だ。今まで数多の女性から言い寄られて来たはず。これは別に目の前の美男子が自意識過剰なのではなく、本当に今までに使用人に言い寄られたこともあるだろう。

 その経験から、自分へと言い寄ってこないように、予め強く脅すということをしているのだ。


 自分はそんなに美しい見た目でもないし、どちらかと言えば普通くらいのはずだ。そんな自分にまで脅すということは、相当の人間が寄ってきて迷惑していたのかもしれない。

 別に、いくら目の前の男が美しかろうがグレイにとってはどうでもいいことで、言い寄るつもりは毛頭ない。恋をすることなんて絶対ないだろう。グレイは顔が良いだけの男には興味がない。だから別にその脅しは素直に聞いておくつもりだ。


 だからこそ、アレクにとっては予想外の反応を示した。


「別に、構いませんが」

「は?」


 アレクが素っ頓狂な声を上げた。

 目を見開き、まるでグレイが信じられないような事を言ったような反応を見せている。

 喉に突きつけられた氷剣も少し揺らいでいるほどだ。


 なんだろう、自分の反応はそんなに特異だっただろうか。

 アレクはすぐに衝撃から立ち直り……グレイの言葉に更に細く目を細めた。


「お前……間諜スパイか?」


 アレクは再度、グレイの喉に真っ直ぐ氷剣を突きつける。

 先程までとは比較にならないほどの鋭い雰囲気と、気の弱いものなら卒倒しそうなほどの怒気をもって、グレイを睨めつける。


「確か、お前が来たのはウィンターハルト家だったな」


(いや、知らないんですけど……。関係があるって聞いたのもつい最近だし……)


 グレイは心のなかで一人呟く。

 それも仕方がない。

 グレイはつい半月ほど前に「血縁がある」と半ば強引に連行……世間一般で言うなら拉致され、一週間後にはウィンターハルト家の一員として、このエルドリッチ領へと送り出されたのだ。

 つまり、ウィンターハルト家の人間とは、一週間ほどしか関わりがない。それなのに一緒くたにされるのは勘弁してほしかった。


「真実を話さなければ殺す」


 さらに冷たい声でアレクは剣を突きつける。


「私は、そのようなものではございません」


 弁明したいが、ウィンターハルト家に滞在していいた一週間で詰め込まれた礼儀作法では、「主人には極力口答えしないこと」という教えがあった。

 貴族の身ならともかく、貴族に口答えすれば、今から使用人として雇われる自分の首なんて、すぐに飛んでしまうことだろう。

 だからグレイにできるのは、ただ必死にアレクの目を見つめて無言の釈明をすることだけだった。

 張り詰めた緊張感がグレイとアレクの間に漂う。


(どうする、このままじゃ…………いや、いざとなったら”力”を使えば……)


 グレイが黙っていると、アレクからフッと張り詰めていた雰囲気が消えた。


「……ひとまずは合格にしておいてやる」


 アレクが剣を収めた。

 いや、正確には氷剣を下ろすと氷の剣が音を立てて消えていった、という方が正しい。

 アレクはそう言い残してマントを翻しながら踵を返し、去っていこうとした。


「ちょっと待ってください」


 しかし、グレイはその背中を呼び止めた。


「……なにかあるのか」


 アレクは面倒くさそうな表情を隠さずに振り向く。

 平民が貴族様に意見するのはとても気が引ける。

 だが、一点だけ。グレイにとって聞き逃がせない部分があった。


「あの……賃金は支払っていただかないと困ります」


 そう、グレイにとって聞き流せなかったのはその一点だった。

 一番大切なものはなにか、と尋ねられれば、グレイは迷わずに「金貨」と答える。

 それくらいに大切なお金が支払われない。それは相手が貴族であったとしても退けない点であった。

 まぁ、グレイも命は惜しいので、危険がありそうなら退くつもりではあるが。


「……はぁ?」


 アレクはまた素っ頓狂な声を上げた。

 もしかして、クールそうな雰囲気とは裏腹に、実際は心根は明るい感じなのだろうか、と仏頂面の下でグレイは考えを巡らせた。


「どうして俺がお前に金を払わなければならない」

「私たちは雇用関係になるわけですよね? でしたら賃金を支払っていただかないと困るのですが」


 しかしアレクはグレイが想像していたのとは別の言葉に反応した。


「雇用関係……?」


 アレクはグレイの言葉に眉を顰めたあと、「いや待て……」と顎に手を当てて考え込む。


「なるほど、そういうことか……。俺は縁談を断ることが出来て、その見返りに金を受け取る事ができる、両者得をするわけだ」


 ぶつぶつと一人で呟いた後、顔を上げた。


「中々いいアイデアだ、考慮に入れておこう。だが、ここを追い出されてどうして困る? 追い出されればウィンターハルト家に帰れば良いだろう」


 グレイにはアレクの言っていることが九割以上理解できなかったが、まずはアレクの質問に答えることにした。


「私は王都で暮らしていて、半ば無理やりここまで連れてこられました」

「……それはつまり、お前はこの話を望んでいなかったと?」

「……嘘偽りなく申し上げるなら」


 グレイの言葉を聞いて、近くに控えていた執事やメイドたちがざわめいた。

 まさか一介の使用人(予定)ごときの人間が、そこまで赤裸々に本音を語るとは思っていなかったのだろう。

 アレクも面食らったような顔で固まっている。


「ここから追い出されても、ウィンターハルト家は私のことを養ってくれないでしょう。私がここを追い出されれば、一文無しになってしまいます」


 元々平民の出なうえ、一週間で礼儀作法や口調などを叩き込まれたため、本当にこの言葉が正しいのかはわからない。


「……つまり、俺との関係が切れた後のための、ある程度の蓄えが欲しいと?」


 しかし、アレクはグレイの言いたいことを正確に読み取った。

 グレイはアレクの言葉に頷く。


「いくら欲しい」

「使用人の最低賃金でも構いませんので、支払っていただければ」

「し、使用人……?」


 アレクがまた驚いたような声を上げた。


「はい。適切かと思われるのですが」

「……本当にそれだけで構わないのか?」

「それだけあれば十分です」


 アレクの質問にグレイは頷く。

 使用人という職業は、世の職業の中でも結構な高給取りだ。

 使用人としての最低賃金と言っても、自分が元いた王都で就いていた職業よりは実入りがいい……と思う。

 追い出されるのが半年後か一年後かはわからないが、流石に一ヶ月足らずで追い出されることはないだろう。追い出される頃には、それなりの蓄えになっているはずだ。

 それだけあれば王都にある自分の家に帰ることも可能なはず。


(それにしても、さっきは一銭も払わないと言っていたのに、それで足りるのかを聞いてくるなんて、なんか変だな……)


 グレイはアレクの言葉に若干の疑問を覚えつつもアレクの返答を待った。


「……今すぐには返答できない。考えておいてやる」


 そのアレクの言葉に、グレイはホッと安堵のため息を付いた。

 これで追い出されたときの当面の生活資金は確保できる。

 首になって即文無し、という状況は回避できるだろう。


「今日は城に滞在することを許す」

「ありがとうございます」


 去っていくアレクにグレイは頭を下げる。

 すると使用人たちが突然騒ぎ始めた。声は顰めていたものの、とても興奮しているためか近くにいたグレイには聞き取れた。


「まさか、滞在を許可なさるなんて……」

「今までで初めてではないの……!?」


(え、別に変なことは言ってないと思うんだけど…………まさか、この人たち、賃金が支払われてないのか?)


 グレイは自分が変なことを言ったのかと不安になると同時に、この部屋の使用人たちに賃金が支払われていない可能性があることに戦慄する。

 アレクが部屋から出ていくと、グレイに一人のメイドが近づいてきた。


「では、お部屋にご案内します」


 そのメイドはまるで大切な客人に接するかのように恭しく、丁寧にお辞儀をする。

 それに釣られてグレイもお辞儀をした。


「どうどこちらへ」


 メイドが示すままにその後ろをついていく。


(私はただの使用人なのに……やけに丁寧だな)


 グレイはそんなことを考えながらメイドについていく。



 この時、グレイはまだ自分の勘違いに気づいていなかった。



 自分が盛大な勘違いをしていたと気が付いたのは、部屋についたときのことだった。


「ここがグレイ様のお部屋でございます」

「な、なんだこれ……」


 グレイは自分の部屋を見て唖然とした。

 なぜならそこは……。

 まるで広間かと思うほど広い部屋。天蓋付きの大きなベッド。北向きの日当たりの良い部屋。そして壁には効果そうな絵画や、暖炉、そして服が何十着でも入りそうなクローゼットまでついていたのだから。

 どう見ても平民の使用人に与えられるような部屋ではない。

 挙げ句の果てには部屋の中には部屋を案内してくれたメイドと、執事二人までついており、グレイへと恭しくお辞儀をしている。

 この使用人たちは、絶対にただの使用人には必要ない。

 ここで初めて、グレイは自分がなにか勘違いしていることに気が付いた。


「あ、あの……ここは?」


 恐る恐る、グレイは執事に尋ねる。


「あなた様のお部屋でございます──

「お、お嬢様……? まさか、私……?」


 まさかと思いグレイは尋ねる。


「はい」


 執事は頷いた。


、グレイ様のお部屋です」

「こん、やく……」


 グレイは呆然と呟く。


 かくして、グレイは『魔法卿』ことアレク・エルドリッチと婚約することになったのだった。

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