第21話 残火の女神

 エルドリッチの街から出たところにあるこの森の中は、妖精の森と呼ばれている場所らしい。

 その中の泉がある開けた場所で、グレイはアレクから魔法の講義を受けていた。


「魔法には、厳密な定義はない」


 アレクが手に炎を出す。


「魔力を使ってこの世に奇跡を起こす方法の総称が、『魔法』だ。ただ、一般的には魔法は妖精や精霊を介した魔法の発動である、というイメージを持たれている」


 アレクのグレイに対する魔法の講義は堂に入っている。

 グレイは肩の辺りまで伸びてきた髪をいじりながら、この男が教師をしたらとてもモテるのだろうな、とどうでもいい感想を抱いた。


「そしてエルドリッチ家は妖精や精霊を介した魔法の大家だ」


 アレクはためらいもなく、そう言ってのけた。

 まぁ、王国中の貴族から『魔法卿』という通称をつけられている事実と、アレクの実力を見ているので、グレイとしてもそう言ってのける実力があるのは分かっているが。


「ということで、これからはエルドリッチの魔法を叩き込んでいく」

「はーい」


 というわけで、グレイの魔法の特訓が始まった。

 以前まではグレイに貴族としての振る舞いを叩き込むことが優先されていたので、これがほとんど初めての魔法の特訓だった。


「魔法の基本は、『相手の力を引き出して魔法を発動すること』だ」


 グレイはなんとなくアレクの言っていることは理解できた。

 妖精や精霊に、自分の代わりに魔法を使ってもらう。これはグレイが薬の効果を上げるときに、妖精や精霊にお願いして上げてもらうのと一緒だったからだ。


「そのためにはまず、妖精や精霊を呼び出す必要がある。彼らに来てもらうために言葉に魔力を乗せ、呼び出すこと。これが詠唱というものだ。お前が彼らを呼び出すときに使っていたのも詠唱の一つだ」

「え、でもあれ、単に来てって言ってるだけですよ」

「魔力を乗せた、彼らを呼ぶ言葉が詠唱だ。だからあれも詠唱の一つだと言える」

「なるほど」


 どうやら、グレイは知らない内に詠唱をというものを使っていたらしい。


(頭の中で念じるよりも言葉にしたほうが来てくれる確率が高いと思ってたけど、あれは無意識の内に詠唱になってたからなのか)


「慣れれば俺の様に詠唱を用いなくても魔法を発動できるようになるが、急いでいないときは詠唱をした方がいい」

「わかりました」


 グレイは頭の中に基本的には詠唱をしたほうが良い、とメモを残しておく。


「そして力を借りる、ということはつまり力が安定しないということでもある。それは分かるな」

「はい。私の薬の効果がいつもバラバラだった原因ですね」


 グレイが呼び出したところで来てくれるのがどんなものかは、全くのランダムとなる。

 妖精か精霊かすら選べないため、いつもどんな効果になるかはバラバラなのだ。


「彼らは気まぐれだ。そのときの気分によって大きく魔法の威力が変わる。これは魔法というものの構造上、仕方のないことだと割り切る他ない」

「でも、それだといざという時、どうなるんですか」


 グレイはアレクに質問する。

 魔法が安定しなければ、いざ命の危険があるときに妖精や精霊の気まぐれによって、本来回避できたはずの危険で大怪我を負ったり、命を落としたりするかもしれない。

 その疑問にアレクは頷いて答える。


「だから俺たち魔法使いは、彼らと契約する」

「契約?」


 グレイは首を傾げる。


「彼らに対価を差し出す代わりに、自由に力を引き出し魔法を扱えるようにするということだ。一般的には使い魔と言われている存在だな」

「なるほど、お小遣いをを上げる代わりに家事を手伝ってもらう、みたいなものですね。確かに、労働には対価が必要ですよね」


 現在、無償で家の掃除をさせているグレイは、うんうん、と頷いた。


「代々、エルドリッチは妖精や精霊の中でも高位の存在と契約をしてきたことで、安定した高威力の魔法を扱えた」


 グレイは心の中で「へー」と呟く代わりに、一つ質問を投げかけた。


「アレク様は、どんなのと契約してるんですか?」


 以前の戦場でグレイが見たアレクの魔法は、凄まじいものだった。

 だからアレクはよほど高位の存在と契約していると思ったのだが……。


「……」


 グレイの質問に、アレクは分かりやすく言葉を詰まらせた。

 眉にしわを作って少しの間考えた後、答えた。


「……俺のは少し、いやかなり面倒くさいから、教えたくない」


 アレクがこれだけ悩ましげな表情を浮かべるのは珍しい、とグレイは思いながら、アレクが面倒くさいと言った使い魔について想像を膨らませた。

 するとアレクが話題を変える。


「魔法使いはいずれかの妖精や精霊と契約するのが一般的だ。お前も契約してもらう」

「その……契約することでデメリットとかあるんですか?」

「契約にもよるが、ほとんどない。あるとすれば代償だな、その存在によっては重い代償を求められることがある」

「アレク様は何を代償にしているんですか?」


 ふとした疑問をグレイはアレクへと投げかける。


「……ということで、お前にも契約を結んでもらう」

「えっ、今からですか」

「今からだ。そのために妖精の森まで連れてきたんだからな」


(あれ、今話をそらされた?)


 グレイは一瞬首を傾げたものの、特に気にしないことにした。


「この森が妖精の森、と呼ばれている理由は、ここに妖精の国の入口があるからだ」

「えっ、妖精の国なんてあるんですか?」

「ああ。そこにある」


 アレクはそう言って泉を指さした。


「……なにもないんですけど」

「その泉自体が入口だ。今は門が繋がっていない状態だから、なにもないように見えるだけだ」

「そうなんですか」

「今から、妖精の国との入口を開ける。そこから出てきた奴と契約を結べ」

「え、契約ってどうやって……」

「詠唱を始める」


 アレクがグレイの肩を掴んで抱き寄せた。

 グレイが目をまんまるに見開いて驚いていると、アレクは一言注意を促してきた。


「言っておくが、これは必要があるからこうしている。いいな」


 アレクは息を吐き出すと、真剣な表情になって詠唱を始めた。


『夜空の星の煌めきよ、古き森の囁きよ、我らを誘え、かの国へ。エルドリッチの名に応え、光舞う楽園への門を──』


(詠唱が止まった……?)


 グレイは眉をひそめる。

 アレクの詠唱が、途中で途切れたのだ。

 顔を上げると、アレクは驚いたような表情でとある一点を見つめていた。


 グレイが顔を上げる。

 すると泉の上には見たことのないものが浮かんでいた。


 それは、炎をドレスのように纏った女性だった。

 この世のものとは思えないほど美しく、そして優しげな笑顔を浮かべてグレイを見つめていた。


「あれは……」

残火ざんかを司る神がなぜここに……!?」


 アレクは炎の女神から守るように後ろに回す。


 グレイは目を見開く。

 目の前にワイバーンが迫っていたときも全く焦っていなかったアレクが、今は額に汗をかいていた。

 それだけでなく、グレイが驚いたのはアレクの言葉にだ。


「神……?」

「あれは、イリシアという名の神だ」


『そう案ずるな妖精の隣人エルドリッチ。我はただ竜の子を見に来ただけよ』


 そう言って泉の上を歩きながら、残火の女神はグレイへと近づいてくる。

 アレクは危険がないことが分かったのか、グレイの前からどいた。


『はじめまして、古き灰の子。我は残火の神、イリシア』


 イリシアと名乗った女神は馴染みのない呼び方でグレイを呼ぶ。


「どうして私に会いに来たんですか?」

『なに興味深い話が聞こえてな』


 そして残火の女神イリシアはグレイを指さした。


『使い魔とやらだったか、私がなろう、竜の子よ』

「なっ……!?」

「えっ?」


 アレクは驚愕し、グレイはぽかんと口を開けた。


「なぜあなたのような神がただの人間の使い魔になるのです。これは何の面白みもないような人間です」


 アレクはイリシアへと問いかける。


『そんなことはない。竜の血を継いだ子など、興味の固まりでしかない。それに、我は元は妖精だ。妖精が面白いものに惹かれるの当然だろう?』


 イリシアは掴みどころのない言葉と共に、くすくすと笑う。


『グレイ、私と契約するか?』

「これ、契約したほうがいいですか?」


 グレイはアレクに目を向ける。

 アレクは無言で頷いた。

 契約しておけということだろう。


「契約します」


 グレイはイリシアに向き直り、そう言った。


『良いだろう、対価としてそうさな……髪を少しもらおうか』


 イリシアは顎に手を当て考えた後、グレイの髪の毛を指でさした。


「わかりました、えっと……」


 グレイがどうやって髪を切ろうか悩んでいると……。

 目の前にイリシアが来て、グレイの髪を少量手に取った。

 イリシアはその灰色の髪を飲み込んだ。


『うむ、対価は受け取った。これで我はいつでもお前の協力を拒まない。古き灰の子よ』


 そう言ったイリシアは踵を返すと、泉の上を歩いてき……残り火が消えるように去っていった。


「気配はないな。行ったか……」


 イリシアがいなくなった途端、アレクはどっと疲れたようにため息を吐いた。

 グレイは首を傾げる。


「どうしたんですか?」

「どうもこうもあるか、”あれ”と対峙して、お前は本当に何も思わなかったのか……?」

「別に、何も感じませんでしたけど……」


 本当に何を言っているんだ? とグレイは首を傾げる。


「本当になにも感じなかったのか? あの重圧を……」

「いえ、ありましたかそんなの?」

「……竜の血を引いているから? いや、しかし……」


 グレイの返答を聞いたアレクはブツブツと呟く。

 そんなアレクを怪訝な目で見つめつつ、グレイはエルドリッチに来たときと同じくらいの長さになった髪を触る。


(ちょっと短くなっちゃったな)

「まあいい。原因はあとで考えれば済むことだ。それよりも……」

「それよりも」

「お前はどうしてそんなに予想外ばかりのことをするんだ……女神を使い魔にするなんて前代未聞だぞ……」

「今回は私のせいじゃないですよ。あっちから目をつけてきたんです」


 グレイは冤罪に抗議する。

 今回はグレイが原因なのではなく、グレイは目をつけられた方だ。


「お前といると寿命が縮む……」


 最終的に、少しげっそりとした顔でアレクはそう言ったのだった。

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