第9話 魔法卿の驚き


「グレイ様、朝です。起きてください」

「む、ぅ……」


 ゆさゆさと身体を揺すられて、グレイはゆっくりと目を覚ました。


「はぁぁぁ、寝顔も素敵……」

「おはよう、リリアナ」


 グレイは目をこすりながらベッドから起き上がる。

 昨夜、グレイはリリアナが男爵家であることを知り、敬語を使おうとした。

 しかしリリアナは「これは仕事ですから」と頑なに譲ろうとしなかった。

 グレイのいいと言われたことはそれ以降気にしないという性格もアリ、一晩ですっかり慣れてしまっていた。


「今、なにか言った?」


 グレイはあくびをしながらリリアナに問いかける。

 目を覚ます直前、リリアナが何かを言っていたような気がしたのだ。


「いいえなにも」


 しかしリリアナは首を振って否定した。


(まぁ、否定するということはなにも言ってないのだろう)


 寝起きでまだ頭がしっかりと働いていないグレイは、リリアナの言葉を深く考えなかった。


「グレイ様、ご朝食の用意はできています」

「ああ、ありがと……」


 横から差し出されるケープを受け取りながら、グレイはベッドから立ち上がる。

 グレイの部屋の中にはリリアナしかいなかった。

 これは昨日、グレイがアレクと交渉して使用人の数を減らしてもらった成果である。

 もちろん洗濯や掃除などは他の使用人も手伝っているが、食事や着替えなどのグレイの個人的なことはすべてリリアナが担当することになっている。

 しかし使用人の数が一人しかいないということは、全てを一人でこなさなければならないということだ。

 だが、リリアナにとっては逆に好都合であり、専属のメイドが一人であることを喜んでいるくらいだった。

 リリアナは若くしてアレクに目をつけられただけあり、メイドの中でもかなり仕事ができる方だった。


(竜の血を引いているからか、寒さには弱いんだよな……)


 グレイはケープを羽織りながらテーブルに付く。

 テーブルの食事は、スコーンと紅茶というシンプルなものに変わっていた。

 これもグレイが注文を出したのだ。

 あまりに多く朝食を出されてしまうと、無駄遣いをしているようで申し訳なく感じてしまう。

 これも平民の貧乏性なのだろうか、と考えながらグレイはスコーンを口に運んだ。


 今日から正式にグレイを貴族として、また魔法使いとして育てるための忙しい日々が始まるのかと思いきや、意外にもそうではなかった。

 アレクによると、まだグレイを教育するための人材が整っていないとのことだ。

 グレイは嵐の前のつかの間の休息を取っているのだった。


(しかし、やることがなくて手持ち無沙汰だな……)


 なにせ、ここにやってくるまではその日暮らしの生活を送っていた。

 薬を作って売り続けないと、今晩のパンですら買えるかどうか怪しかったのだ。

 こうも暇だと、なにかしていないと落ち着かない。

 なにかしていないと落ち着かないのは、グレイの習性みたいなものだった。


 最終的にグレイは、

(薬でも作るか……)

 と思い至ったのだった。


 長期保存できる薬を作って貯蓄しておき、エルドリッチを追い出されたときにはその薬を持ち出して売ろう、という魂胆だ。


(あの庭園の植物を少しいただくのは……いや、そんなことをすれば魔法卿に追い出されそうだな)


 庭園で栽培されていた植物は、どれも薬にすればかなりの効能を得られそうなものばかりだった。

 あれを少しだけ拝借できれば……と思ったものの、魔法卿からは「勝手に引っこ抜くな」と命令されているのでそれもできない。

 勝手に植物を引っこ抜こうものなら即刻エルドリッチから叩き出されるだろう。

 グレイとしてもこの実入りの良い仕事を失いたくはなかった。


(ケチだな。少しくらい分けてくれたって良いだろうに)


 グレイはベッドの上に寝転がってふてくされる。

 そのとき、グレイの脳裏に良いアイデアが降ってきた。

 そうだ、要は庭園がだめと言われたなら、庭園以外の植物を使えば良い。

 そう思い立ったグレイは、すぐに部屋を飛び出した。


***


【アレク視点】


「今日の報告書となります」

「ご苦労。前線の様子はどうだ」

「まだアレク様自ら出ていただくような事態ではないかと」

「そうか。このところは平和だな」


 家令のジェームズから報告書を受け取ったアレクは、ジェームズへと質問を投げかけた。


「城内の様子はどうだ」


 抽象的な質問だ。

 しかしアレクがジェームズにこの質問をするときは、意味は決まって一つだけだ。

 ジェームズは主人の質問の意図を正しく読み取り、答えた。


間諜スパイの類は潜り込んではいないようです」


 ──城内にスパイが潜り込んでいないか、否か。

 敵国との戦争真っ只中のエルドリッチにとっては、警戒しなければならないものだ。

 間諜が潜り込んでいた場合、物資の状況も、人の流れも、作戦も、機密情報がすべて流れ出てしまう。

 そうなれば、いくらアレクが自ら前線に立ち魔法を振るっても、どうにもならなくなってしまう。


「それと、もう一つご報告が……」

「なんだ」


 ジェームズは言いにくそうに切り出す。


「その、グレイ様のことなのですが」

「あいつがどうした」

「その、城内で雑草をつんでいるところを見かけた、と使用人から報告が……」

「……あいつは何をしているんだ」


 アレクは額を手で抑えた。

 自分の予想外の行動をするグレイは、さっそく城内でも予想外の行動をしているようだ。

 あの灰髪の少女は、この城にやってきたときからアレクの度肝を抜き続けている。

「どうやら薬を調合しようとしているご様子です」


「薬……? ああ、そう言えばここに来る前は薬屋を営んでいたんだったな」


 アレクはグレイのほぼ全ての経歴を調べ上げている。

 これは婚約者が間諜で、いつの間にかエルドリッチの情報を敵国に全て抜かれていた、なんて間抜けな事態を防ぐためだ。


「どうして薬の調合なんかしているんだ」

「これは私の予想になりますが、恐らく手持ち無沙汰だったのではないかと」

「暇になったら薬を調合する奴がいるのか?」

「案外、人間とはそういうものです」

「いや、しかしなぜそれ雑草なんかを摘むことに繋がる」

「アレク様に庭園の植物は使わないように言いつけられたからではないでしょうか」

「……なるほど、だから雑草を摘んでいたわけか」


 アレクは背もたれに体重を預ける。


「経緯は理解したが……それで城の中で雑草を摘むことになるとは。本当に行動が予想外すぎるな、あいつは」


 アレクは深く息を吐き出す。

 そして椅子から立ち上がった。


「ちょうどいい。注意がてら、庭園の使用許可を伝えにあいつのところに行ってくる」

「よろしいので?」

「薬の調合の知識があるなら、それを利用したほうが効率的だ。たとえ庭園の植物を少し使用することになったとしてもな」


 そうしてアレクはグレイの元へと向かっていった。

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