第8話 専属メイド

 メイドの言葉に、書斎の中が一瞬静まり返った。

 流石に予想外だったのか、アレクもジェームズも目を見開いている。


「専属の、メイド……ってなんですか?」


 グレイはアレクを方を振り向いて質問する。

 貴族のことに関しては全くの無知であるグレイにとっては、このメイドが何を言っているのか分からなかった。


「専属のメイドとは、つまりグレイ様を主人として仕えるメイドのことです」


 グレイの質問にはジェームズが答えてくれた。


(へぇ、つまり、「私に仕えてくれる」メイドということか……)


 グレイはリリアナに向き直り、質問する。


「どうして私のメイドなんかに?」

「グレイ様にお仕えしたいと思ったからです!」

「そうではなくて、もっと具体的に……」

「さっき助けていただいたときの姿がとてもお美しくて、一目惚れしました!」


 なるほど、とても簡潔で分かりやすい説明だ。

 一目惚れなんてあるのか、とも思うがこの熱量だ。嘘をついているわけではないだろう。


 その時、ピーン! とグレイの頭の中で一つの閃きがあった。


「アレク様、彼女を専属メイドにしていただくことは可能ですか?」

「構わん。どのみち専属メイドをつけようと思っていた。本人同士が納得しているならそれでいい」

「では……私の部屋で待機するのは彼女だけにしていただいてもよろしいでしょうか?」

「……ほう?」


 アレクはグレイの言葉に眉をピクリと上げる。


「私以外に仕えている使用人が、部屋にいるのは落ち着かないので」

「ほほぉ……」


 ジェームズは感心したように声を上げた。

 アレクはグレイを見つめ少しの間思案した後、頷いた。


「……良いだろう。お前も貴族のやりかたが分かってきたようだな」

(よし……!)


 グレイは心の中でガッツポーズをした。

 仮初の婚約者生活を送る中で一番のネックは、大勢の使用人が部屋にいることだった。

 子供の頃から使用人が近くにいる貴族は気にならないかも知れないが、平民であるグレイにとってはプライバシーは死活問題だった。

 ただ、一筋縄では彼らを遠ざけることはできない。

 だからこそ、リリアナという存在を利用することにした。

 心に引っかかるのはリリアナを利用したような形になってしまったので、リリアナが傷ついていないかどうかだが……。


「グレイ様のお傍にいられるなんて素敵……!」


 リリアナは酷く感激していたので、まぁそれほど気にしてはいないだろう。


 そして、グレイには専属のメイドがつくことになった。

 少しグレイに対して熱心な、という枕詞が付くが。


***


【リリアナ視点】


 私はとあるしがない男爵家に七人兄弟の次女として生まれた。


 つまり、貴族だ。

 しかしオーベル家は貴族といっても落ち目の貴族で、ほとんど平民と変わらないような暮らしをしていた。

 その上両親が考えもなしにたくさん子供を産んだため、家計はいつも逼迫しており、子供全員が明日のご飯のために毎日バイトをする、という事態に陥っているくらいだった。


 その中で一番上の姉が結婚の適齢期になった。

 お相手はなんと伯爵様で、身分違いの恋にも関わらず姉と結婚するつもりらしかった。


 だが、嫁ぐということは当然、結納金が必要となる。

 もちろん、ほとんど平民と変わらないうちにとっては途方も無いような大金だ。

 私たちは一家総出で姉の結納金をかき集めることとなった。

 私も破談にはさせまいと、全てのお金をその結納金へ注ぎ込んだ。

 私たち一家の努力は実を結び、姉は無事に伯爵様と結婚していった。

 そうこうしている内に私にも結婚の適齢期がやってきた。

 しかし、姉の結納金にすべてを注ぎ込んだ我が家には当然、私の結納金なんて残っていなかった。


 だけど別に私は構わなかった。

 誰とも結婚したいという気持ちがまったくなかったからだ。

 両親は私に本当に申し訳無さそうに謝ってくれたが、どちらかと言えば私のほうが申し訳ない気持ちだった。

 年下の兄弟たちが学校に通うための資金や、妹たちの結納金を貯めようと、ちょうどメイドを募集していた魔法卿ことアレク・エルドリッチ様のお屋敷で働くことにした。

 ……ほんの少し、美しいと噂されている魔法卿を見れば気持ちが変わって、結婚したくなるのではないか、と思っていたというのは秘密だ。


 しかしまるで彫刻のように美しく、浮世離れした絶世の男性を見ても考えは全く変わらなかった。

 私は残念だったが、皮肉にもこのまったく恋心を抱かないということは時給のアップに繋がった。

 アレク様に対して全く恋心を抱かないことが評価され、メイドの中でもかなりの立場へと昇格したのだ。

 そうしてメイドとして働きながら、数多の婚約者が追い出されるのを見送っていった。

 エルドリッチ城までやってくる婚約者は皆、アレク様によってその邪な考えを見抜かれ、城から追い出された。

 追い出された令嬢を数えることすらやめた頃、一人変わった雰囲気の少女がアレク様の元へと嫁いできた。


 灰色の髪の少女。

 見たことのない髪の少女は、アレク様に氷剣を突きつけられても全く動じていなかった。

 それどころか摩訶不思議な発言でアレク様の平常心を乱していた。


 正直に言うと、アレク様が困惑したり唖然としたりする表情を見たのは、これが初めてだった。

 皆が初めて見るアレク様の表情に驚いている中、私は彼女に釘付けになっていた。

 彼女からなにか惹き寄せられるものを感じたからだ。


 灰髪の少女の名前はグレイ・ウィンターハルト、というらしい。


 できるだけ可愛い笑顔でグレイ様をお部屋へと案内した。

 本当はグレイ様につくのは別のメイドだったけれど、無理を言って代わってもらった。

 アレク様がグレイ様を案内するときも、着いていくことにした。

 家令であるジェームズ様からついてこなくても大丈夫、と言われていたけれど、どうしてもと頼んでついて行かせてもらうことにした。

 私は、この妙に惹きつけられる感覚がなんなのかを確かめたかったのだ。

 私の予想通り、その後この感覚が何のかが分かることになった。


 飼育場へとやってくると、しんとあたりが静まり返った。

 異様な雰囲気にビクビクとしていた私は、足元が疎かになっていた。


「きゃっ」


 そして、ペガサスの近くにあるバケツを倒してしまった。

 ペガサスが嘶き、前足を振り上げる。

 この個体は神経質で、驚かすと暴れてしまうから気をつけるように言われていたことを思い出すが、今更だった。

 私にできるのは、両手で頭を守るくらいだった。


「──待て」


 その声は驚くほどすっと耳の中に入ってきた。

 いつまで経ってもペガサスの前足が自分へと振り下ろされないことに違和感を覚えた私は、恐る恐る顔を上げた。

 するとそこには毛先が炎を思わせる赤色に染まった、灰髪の少女が立っていた。

 まるで私をペガサスから守るように立っているグレイ様は、大人しくなったペガサスの頭を「いいこだね」と撫でた。

 いや違う。まるで守るようにではなく、実際にグレイ様は私を守ってくれたのだ。


 ──恋に落ちるとは、こういう感覚なのかもしれない。


 毛先が赤く染まった髪、ヘビのような瞳孔、鱗のように割れた皮膚、そこから漏れる燐光。

 その全てが美しいと感じた。

 目の奥を強烈にノックされたような衝撃だった。

 こんなに美しいものがこの世にあるのかと思った。

 多分、これを一目惚れと言うのだろう。

 それに、ペガサスを撫でるその顔。


(な、なにその優しそうな顔……!!!)


 あまりにも慈しみが深くて、まるで聖母のように見えた。

 ズキューン!!!

 私の心は射抜かれてしまった。


 その後、さらにグレイ様を好きになる出来事が会った。

 グレイ様はのあの姿は、竜の血を受け継いでいることによるものだそうだ。

 その後、グレイ様とアレク様が何かを話していたが、当の私はグレイ様に見惚れていて何を話していたのか、具体的には覚えていない。

 ただお二人で話している過程で、グレイ様は「街で迂闊に竜の力を見せれば迫害される」と言っていたのは、はっきりと覚えている。

 つまり、自分の身を危険にさらしてグレイ様は私のことを守ってくれたのだ。


 私の全てを賭してこの方に仕えよう。

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